永遠の出口 (集英社文庫(日本))森 絵都集英社このアイテムの詳細を見る |
主人公、紀子の小3から高3までの9年間の物語。
担任や友達との葛藤があり、不良になったり、バイトしたり、恋をしたり、将来への不安もあり…
私は、紀子に、自分自身と娘、息子を重ね合わせて読みました。
とても読後感がよかったです。
以下引用です。
P11~12
すべてを見届け、大事に記憶して生きていきたいのに、この世界には私の目の届かないものたちが多すぎた。とりこぼした何かに嘆いているうちに、また新しい何かを見逃してしまう。
裏を返せば、私がそれだけ世界を小さく見積もっていた、ということだろう。
年を経るにつれ、私はこの世が取り返しのつかないものやこぼれおちたものばかりであふれていることを知った。自分の目で見、手で触れ、心に残せるものなどごく限られた一部にすぎないのだ。
(永遠に~できない)ものの多さに私があきれはて、くたびれて観念し、ついには姉に何を言われても動じなくなったのは、いつの頃だろう。
いろいろなものをあきらめた末、ようやくたどりついた永遠の出口。
私は日々の小さな出来事に一喜一憂し、悩んだり迷ったりをくりかえしながら世界の大きさを知って、もしかしたら大人の入り口に通じているかもしれないその出口へと一歩一歩近づいていった。
時には一人で。
時には誰かと。
決して一緒には歩かないけれど、ぶつかることで私を前へおしだしてくれる相手もいた。
P111
それから長い年月が流れて、私たちがもっと大きくなり、分刻みにころころと変わる自分たちの機嫌にふりまわされることもなくなった頃、別れとはこんなにもさびしいだけじゃなく、もっと抑制のきいた、加工された虚しさや切なさにすりかわっていた。どんなにつらい別れでもいつかは乗り切れるとわかっている虚しさ。決して忘れないと約束した相手もいつかは忘れるという切なさ。多くの別離を経るごとに、人はその瞬間よりもむしろ遠い未来を見据えて別れを痛むようになる。
けれど、このときはまだちがった。十二歳の私はこの一瞬、自分の立っている今だけに集中し、何の混じりけもないさびしさだけに砕けて散りそうだった。
P215
もみじがこんなにも美しいものだったなんて…。
桜は人を狂わすというけれど、もみじは人を黙らす。燃える炎を思わせる複葉には桜にない神々しさがあり、それは見る者の胸に限りない静寂と、小さな畏怖を送り込む。なのにとても温かい。
P326
(宇宙の話を聞いて)
それからの数日間は諸行無常の境地だった。
私は太陽を仰ぐたびに地球の最後を思い、いつか襲いくる巨大な炎を重い、その後の虚無を思った。五十億年後に失われる運命にある多くのものたちを思った。形あるものだけじゃない。形のない小さな、でも大事なものたちをひとつひとつ数えあげていった。
それについて考えるのは、自分自身について考えることでもあった。
惜しむべき対象が物理的なものから遠のいていくにつれ、私は自らの精神を掘りおこす作業へと傾いていった。
十八歳のひたむきさと、融通のきかないかたくなさ。あんなにも懸命に自分のことを考えたのは、あとにも先にもあれっきりかもしれない。
考えて、考えて、考えて、ある日、ふと思った。
こうしてはいられない。
P345
永遠の、限りないものに憧れる。
でも、限りあるものほど、いとおしく思える。
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今日は、息子の保護者会と懇親会でした。
学年保護者会の後、クラス懇談会。
欠席者は4名のみでした。
懇親会の席は、くじで先生の隣だったんですが、何となく今年の担任とは話がかみ合いません
個人面談でじっくり話せるといいな。
明日は、ガンバ戦です
また応援頑張ってきます
本当ですね~。
だからこそ面白いとも考えられますが。
今度の担任の先生とっても忙しすぎる方で、クラスのことちゃんとやってくれるのかな?という不安があります(^^ゞ
ガンバ戦負けてしまいました(T_T)
精神を掘り起こす作業というものを
これからも重ね続けていくのでしょうね。
だから「永遠の出口?」なのかな?
人生は深いですよね(*^_^*)
個人面談ではお話が合うと良いですね
ガンバ戦、ガンバ!!!