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南知多まで ドライブ その3  『野間大坊』へ 後編

2014年09月16日 17時00分00秒 | ドライブ & 散策
知多半島を一周の途中 寄り道した「源義朝公ゆかりの地」 『野間大坊』の後編です。・・・

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↑ 『野間大坊』案内図です。   地図はこちら → 

   
   (野間大坊(のまだいぼう)HP)←詳しくは、こちらで・・・


  前回 中央駐車場より 西の野間大坊本殿へと向かい また元の中央の場所へと戻った所で終了したので

  今回は、東側の鐘楼堂からスタートします。



↑ 鐘楼堂 (梵鐘は建長2年 国重要文化財)



↑ 福を授かるって場所でしょうか?  福力運 と 開運の文字がありました。 

  何だろうか?と検索して調べてみると 以前は、看板もあり

  「福力運’宝塔中心の梵字マニを「オンマニソワカ」と称えて回すとあらゆる病悩を除くと云われています」と書かれていたそうです。

  看板も風雨にさらされ 朽ち果ててしまったんでしょうね。



↑ その宝塔に忍者の如く 身を隠していた奴です。




↑ う~ん何でしょう? ますます意味がわからない物 見つけました。



↑ 中央駐車場の奥で見つけた ○○様? 何故? この場所に?



↑ 悩み不眠除け稲荷    しかし何故 幟には出世稲荷の文字が??



↑ 流潅頂  この布を張った物 下には壷があり何だろうかと? 

  これは看板によると

  「白布の中心、阿弥陀様の梵字の上から水を流すとご先祖や知人、水子の霊をなぐさめ煩悩や罪を流れます。」だそうです。



↑ やってみました。





↑ ここの絵馬 とてもカラフルな絵が描かれていますね。






↑ この看板でも判るように キャラクターの絵を用いてこの地で起きたことを若者に知って欲しいとの願いでしょうね




↑ 大御堂寺本堂 (3度の火災により宝暦4年(1754)鎌倉様式で再建)

  本尊は、阿弥陀三尊像(藤原時代 作者:快慶  県重要文化財)


  そして一番奥にある義朝公御廟へと・・・







↑ 義朝公  まさか家臣(長田忠致・景致)の裏切りで 風呂場で殺されるとは さぞ無念だったことでしょうね。

  「我れに木の太刀の一本でもあれば」と言い残したことで 墓には、小太刀が供えられているそうです。


  この義朝公御廟には、他にも墓があり




↑ 織田信長の三男 織田信孝の墓・・・



↑ 鎌田政家と妻の墓・・・

  戦国の世とはいえ 無常な出来事の末 妻があとを追い自害したなんて・・・




↑ 何でしょう? 蕾 発見



↑ 平 康頼公 供養塔




↑ 冷た~い カキ氷まだやってました。   でも 時間も無いので このまま素通りです。




↑ しかし ここって 訳の判らない 物 色々ありますね。

  他にも 血の池とか マニ堂とかあるらしいんですが 時間的都合で この地は ここまでで終了することに




↑ 信徒会館    いつ頃の建造でしょう? かなり古い感じがします。

  中央駐車場の横にありました。    ・・・さて自宅に帰るのが遅くなってしまう

  またまた 国道247号へと戻るのでした。



  ではまた 








  

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2 コメント

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知多といえば (ぱぺっと)
2014-09-17 10:19:13
弘法88ケ所巡りもちょっと気になっていたんですが、野間大坊は50番札所なんですね。
不思議な場所なので、いつか寄ってみたいものです。

不安定な戦乱の世を過ごした義朝公、いったいどんな世の中になることを夢見ていたのでしょう。
裏切りによる死に対する無念いかほどであったかを、お墓に山のように積み上げられた小太刀が無念さを語っているようです。
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知多新四国88ヶ所めぐり (ヤ ス ケ)
2014-09-17 19:20:23
ぱぺっとさん
新四国八十八箇所巡り 流石に巡る場所が多すぎますね。
http://goo.gl/maps/81QD7

年数をかけて 少しずつ巡っていくのもいいでしょうね。

源義朝公は平安時代末期 都の武者として名をあげた人物で  その子の頼朝公が鎌倉幕府を開く前の時代ですから まだまだ日本が国としてまとまっていない時代 明るい未来を信じ 生きていたんじゃあないでしょうか  でも この時代 何か物事があるたびに 刀で収めようとする考えがあったので 人の命の尊さを軽く見ていたんでしょうね。

しかし朝風呂を勧めた家臣に騙され 抵抗も出来ず殺されるとは さぞかし無念だったでしょう。

そして 鎌田政家も その前日に殺されていて 殺した相手が鎌田政家の妻の兄弟だったなんて  こちらもさぞ無念でしょうね。 でも 鎌田政家と その妻と夫婦愛 死んでもなお 後についていくという心 すごいです。
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