清水礼子先生・・安らかにお眠り下さい。

2006-03-09 10:38:24 | Weblog
今月4日。青山学院大学名誉教授 哲学専攻 清水礼子先生が 呼吸不全のため
お亡くなりになりました。70歳でした。
私は、同大学時代、先生に大変お世話になり、この訃報を聞き、心がねじれるほど
悲しく、残念に思いました。
 先生に教えて頂いた カントの「道徳形而上学の基礎付け」が、今でも私の心の
支えであること・・プラトンの「洞窟の比喩」が人生の苦しさを乗り越えて、後に
大きな希望が訪れる予感を感じさせてくれること・・「プロクルステスのベッド」が自分の尺度でしか世の中を弄ることの出来ない人間の姿であること・・多くの貴重なお話を拝聴させて頂きました。
 30年も経ちましが、大学2年の春に、先生とお話したなかで、私は、弁護士であった父「安田 忠」という偉大な法律実務家(まさに、実務の天才でした)が、自分の今後の成長にとって目標ではあるけれど、大きな大きな壁でもあり、それは、絶対的に乗り越えられない存在であり・・人間的にも到底敵わない「敵」でもあり得る・・という趣旨の事柄を述べましたら
先生は、「それは自分も同じことだ!」(先生のお父上は、高名な哲学者 清水幾太郎先生です)・・と言われ、「安田君の言いたいことは良く分かるわよ」と言われました。
 私は、到底・絶対・無限的に父「安田 忠」は乗り越えられません。
 先生は、いかがでしたか?
 こんなことは、先生に失礼かも知れませんが、日経新聞等々の新聞の訃報欄には
「清水礼子 青山学院大学名誉教授 哲学専攻」とあり、カッコ書きで、「故・哲学者 清水幾太郎の長女」と書かれておりました。私は、そのカッコ書きが悲しく切なく思います。
 先生、私も53歳になりました。いつまで経っても「安田 忠の息子」としか
思われていません。私は「安田 忠彦」なんだ!!と言いたいです。
 しかし、先生、私は、確かに 青山学院大学で、清水礼子先生に 哲学を教えて頂き、今も、ソフィストとして生きて行こうと努力しております。
 チンケなチンケな行政書士ではありますが、清水 礼子先生の教えを忘れず哲学を愛して残された人生を歩んでいきます。
 先生は、「清水 礼子」と言う哲学者として、偉大な方です。
どうか、どうか、安らかにお眠り下さい。
 心より、ご冥福を お祈り申しあげます。

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6 コメント

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清水礼子先生 (あお)
2006-03-30 04:52:15
私も青学時代に清水先生の哲学の授業をとりました。恥ずかしながら、安田さんのように内容をきちんと覚えていませんが、夢中になって授業を聴いていたことは憶えています。親を超える超えないは、私にはよく分かりませんが、素晴らしい人間としての親と深い充実した関係を持てたという事実は何にも変え難く、ご自信の中に実を結んでいるに違いないと思います。私も謹んで清水先生のご冥福をお祈りいたします。
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ありがとう (安田 忠彦)
2006-03-30 08:51:44
コメントありがとうございます。

青学にいた頃、私も先生と同じく荻窪に住んでいたため、何度か先生のお宅にお邪魔して

夜遅くまでお話をしました。

こよなくお子さんを愛しておられましたね。

いい思い出です。

では。
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お悔やみ (OSEKI)
2007-07-09 17:37:47
なんとなくネットサーフィンしているなかで清水先生はどうされているのかなあとふと思い出したところ、去年亡くなられたとの記事。空虚な気分になってしまいました。きっと安田さんとほぼ同じ時期に授業を受けていたと思われます。当時青学の法学部の学生だった自分が、教職の必須科目との理由から哲学史を受け、どちらかというとマンネリ化した他の授業に辟易していたころに、たいして期待もせずに受けたところ、密度の濃さや、熱意と知識と迫力を持ち合わせた清水先生がおり、その授業に引きずり込まれてしまい20人程度の狭い教室に行くことが毎週の期待と楽しみだったと記憶しています。先生が個人的にもいろいろあった時期に重なるようでしたが、その教育に対する熱意に、ほとんど欠席せずに授業を受け内容はすっかり忘れてしまいましたが大学で唯一授業らしい授業を受けたなあと今でも思い出します。残念なのはノートを評価の対象にしたため、提出したまま戻ってこなかった気がします。教わった内容をまったく忘れてしまっている自分が情けない限りです。安田さんのようにきっちり内容にも踏み込み人生の礎として清水先生がいるように、私にとっても非常に感覚的で卒業後のコンタクトもまったくとっていなっかったですが清水先生のことが気にかかり忘れられない影響を自分にとって与えてくれた先生でした。遅ればせながらご冥福をお祈り申し上げます。52年卒 大関
oseki@icnet.ne.jp
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プロクルステスのベッド (関野純子)
2009-01-20 22:38:01
「プロクルステスのベッド」を30数年間、心にしまってきました。青学生だった1年生と2年生のことです(単位を取得できなかったため2年間履修しましたが結果取得できませんでした)清水礼子先生が亡くなった事も知りえませんでしたが、ハイライトをくゆらして教壇に腰掛けての授業は印象的で今でも覚えています。今日、この安田様のサイトに巡り合い、永年の胸のつかえが降りました。「プロクルステスのベッド」は、実在したのですね。ありがとうございます。
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思い出があるのですね! (安田です。)
2015-12-19 15:32:58
皆様それぞれの思い出があるようですね。
青学に入学して良かったなぁ~と感じました。
清水礼子先生の思い出を大切に頑張って行きましょう!
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Unknown (aurelie)
2023-05-19 06:48:42
私も清水先生の哲学、とっていました。一番面白い授業だった。ノートはもちろん今もとってあります。スピノザは、私の生きる杖。まさに生きた哲学を授けていただきました。同じような気持ちの方がおられることが嬉しくてメッセージを残します。私が授業を受けていたのは1998年。そこから10年もたたないうちにお亡くなりになっていたとは、
改めて貴重な時間を頂いたな。
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