オモシロキ コトモナキ世ヲ オモシロク

「広い世界を見るのだ」走る、もがく、こける。どこまでいけるかやってみるそんな東大生の日記。

「なしたいこと」と「なりたいもの」

2007-01-04 02:59:40 | ぼやき
「なしたいこと」と「なりたいもの」は全く持って異なる。と僕は考えている。
まず言葉が違うよいってしまえばそこで試合終了なのだがそこで話を止めずに突き進むと、そこんとこを混同して使ってしまいがちなのだと思う。
たとえばよく就職活動生に

「将来何になりたいとか?」ってあるんですか?

と聞かれる。

ここで曖昧に言葉を濁して、「PEファンドに行きたいなー」とか適当なことを言うと大抵の人は満足そうな顔をする。
そういうときぼくはかなり罰の悪そうな感じがする。
もちろんPEファンドなどの仕事も非常にエキサイティングだろうし、やってみたいことには近いと思う(現状の自己分析では)
同じレベルで「企業家になりたい」なんていうのも安心するのかもしれない。

でも僕は正直よくわからない。
現状での仮説レベルでの5年後10年後のキャリアプランというのは当然あるが、それは仮説としての仮説だし。たぶんその仮説は外れるだろうという仮説をもっている(今までの経験則的に)
「なしたいこと」と「なりたいこと」はたぶん違うのだ。
いつものように誤解のないように保留をつけると環境誘引も非常に強いことも当然に考慮して考えるけれど。
「なりたいこと」を考える前に「なしたい」ことを考えるべきだ。と思う。
僕は親の教育からかすごい人を見ても「こんな人になりたい」とは心からは思わない。それは同じライフラインを描いていたら一生その人を超えることはできないと考えているから。
それでもそういう質問を自分も含め聞いてしまうのは
ようは何かのメルクマールを探しているのだ。

こういうキャリアプランがあると思えば俄然リスクは下がる。

「プロ論」「革命者たち」「ガイアの夜明け」「外資系・・」がはやる理由はそこにあるのかもしれない。(購買層が若い人に限って言えば)

でもそういう生き方から脱却しないとあなたはメルクマールになることはできない。リーディングケースでなくサンプルにしかならない。

今日ある人たちとメールして考えたこと。


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2 コメント

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確かに (★の)
2007-01-05 12:51:45
何になりたいって言う人は多いけど、何したいん?
って言われてそれを喋れる人は少ない気がするね。
学生は何もしないのがあたりまえやからしゃあないけど、おっさんでも多い。

新らしい事をする事に関しては、

・逆張りしないと大儲けはできない。

・英雄は必ず人生のどこかで追放されるなどの不遇な経験をしている。ex徳川家康、西郷隆盛

↑とか思った。

凄い人に関しては、

エジソン
「1%のひらめきさえあれば、99%の努力も苦にはならない」

「ひらめき」を「なしたいもの」、に変えて、
「なりたいもの」や、その他人生全部を、99%の努力に変えてみると、

なしたいものさえあれば、その他人生がどんなに苦難に満ちていても、楽しい。

という文章ができる。

余りに新しすぎると、その時代の人の理解を超えてしまうから、なしたことを評価されるのは死後かもしれないけど。

あけおめです。 (やす)
2007-01-05 17:28:39
毎日そういう生き方をしていると疲れるかもしれないし、日々の業務の中で忘れてしまうのかもしれないけれど、そういう大きなベクトルを常に考え続けれる人、日常の中で見つけられる人こそ素敵だなとか思うのです。

>>なしたいものさえあれば、その他人生がどんなに苦難に満ちていても、楽しい。

という文章ができる。

余りに新しすぎると、その時代の人の理解を超えてしまうから、なしたことを評価されるのは死後かもしれないけど。

同意。当然最低レベルが担保されているがゆえの議論だと思うけれど。それでも何かをなすことの喜びを見出している人は生きている間に結果が出なかったとしても満足のいく生活なんではとか思っています。