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地球物理学者が語る手賀沼物語その1 -手賀沼ができるまで-

2021-03-03 09:31:52 | 日記
私は地球物理学者です。地球物理の視点で語ります。

手賀沼は海だった
 海面はさまざまな地球規模の変動で上下する。その大きな要素の一つは、地球温暖化に伴い南極などにある氷河が溶け出し、陸にあった氷が海に流れ、海の水の量が増加することである。約1万年前までは氷河期であったが、その後気温が上昇し、間氷期を迎えた。その気温上昇に伴って海面が上昇した。その上昇量は100メートルとも言われている。
 2万年前頃の氷河期では、陸上にたくさんの氷河が積もり現在よりも海面が著しく低下していた。また富士山や浅間山などの火山が活発に活動し、大量の火山灰を噴出していた。この火山灰は関東平野などに降り積もった。これが赤土と呼ばれる関東ローム層である。およそ1万年前以降、海面の上昇に伴って、関東ローム層が高く積もった場所が陸として残り、低い場所は海となっていった。海面が最も上昇した時期はおよそ5千年前の縄文時代であった。この時期の関東平野の多くは海となり、現在の千葉県は海に囲まれた島になっていたと考えられる。海になっていた低地には川から土砂が流れ、砂と泥の堆積層が作られていった。

写真1:手賀沼の向こうに見えるダイヤモンド富士。富士山から噴出した火山灰で関東ローム層ができた。縄文時代、手賀沼は関東ローム層台地の縁辺に位置した低地だったので、海であった。

 手賀沼があった所は5千年前の縄文時代では低地で海であった。手賀沼周辺は坂が多い。それも急坂である。これは関東ローム層が高く積もった台地の縁辺部に位置し、高台と低地が入り組んでいたことの名残と考えられる。

写真2:高台から眺めた手賀沼と坂。高台は関東ローム層台地。手賀沼は低地で、川から運ばれた砂や泥が堆積したところ。手賀沼と高台を繋ぐたくさんの階段がある。

海であった手賀沼がなぜ沼になったか
 縄文時代、海面の高さは現在よりも4~6mほど高くなっていた。それがなぜ海面が低下したか。約6千年前頃の縄文時代では地球の気候が暖かかった時期で、現在よりも平均で約2度ほど気温が高かったといわれている。そのため陸上の氷河の量も現在より少なく、海に蓄積されていた。それが気温が下がるにつれ氷河の量が増え、海の中の水が減り、海面が下降したと考えられる。

写真3:マッターホルンと氷河。温暖化に伴い氷河は解け、海に流れ出し、海面を上昇させる。

 つまり、1万年ほど前に氷河期が終わり間氷期になると海面は100メートル程度上昇し、約6千年前の縄文時代にはピークに達したが、その後数メートルほど海面が下がった。縄文時代の海面のピークを縄文海進と呼ばれている。
 縄文海進以降、海面が下降するに従って海であった低地は徐々に陸になった。その低地には川から運ばれた砂や泥が厚く堆積し、広大な平野が出来上がった。この平野の中にところどころ川がせき止められ、水がたまる沼や湖が出現した。手賀沼はこのようにしてできた沼である。

(つづく)


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