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ナビゲーターは魂だ

永井荷風      すみだ川    4/10

2015-08-21 | 

 その週間の 残りの日数(ひかず)だけは どうやらこうやら、長吉は 学校へ通ったが、
日曜日 一日を過(す)ごすと その翌朝(あくるあさ)は 電車に乗って上野(うえの)まで来ながら ふいと下(お)りてしまった。

教師に差出すべき 代数の宿題を 一つもやって置かなかった。
英語と 漢文の下読みをも して置かなかった。

それのみならず 今日はまた、凡(およそ)世の中で何よりも嫌いな 何よりも恐しい 機械体操のある事を思い出したからである。

長吉には 鉄棒から逆(さか)さにぶらさがったり、人の丈(たけ)より高い 棚の上から飛下りるような事は、
いかに 軍曹上(ぐんそうあが)りの教師から強(し)いられても 全級の生徒から一斉(いっせい)に笑われても
到底出来得(う)べきことではない。

何によらず 体育の遊戯にかけては、長吉は どうしても 他の生徒一同に伴(とも)なって行く事が出来ないので、
自然と 軽侮(けいぶ)の声の中に 孤立する。

その結果は、遂に 一同から 意地悪く いじめられる事に なりやすい。
学校は 単に これだけでも随分厭(いや)な処、苦しいところ、辛(つら)い処であった。

されば長吉は その母親が いかほど望んだ処で 今になっては 高等学校へ這入ろうという気は全くない。
もし入学すれば 校則として 当初(はじめ)の一年間は 是非とも 狂暴無残な 寄宿舎生活をしなければならない事を
聴知(ききし)っていたからである。

高等学校 寄宿舎内に起る いろいろな逸話(いつわ)は 早くから 長吉の胆(きも)を冷(ひ)やしているのであった。

いつも 画学と 習字にかけては 全級 誰も及ぶもののない長吉の性情は、
鉄拳(てっけん)だとか 柔術だとか 日本魂(やまとだましい)だとかいうものよりも 全く異(ちが)った 他の方面に傾いていた。

子供の時から 朝夕に 母が渡世(とせい)の三味線(しゃみせん)を聴くのが大好きで、習わずして 自然に絃(いと)の調子を覚え、
町を通る 流行唄(はやりうた)なぞは 一度聴けば 直(す)ぐに 記憶する位であった。

小梅(こうめ)の伯父なる 蘿月宗匠(らげつそうしょう)は 早くも 名人になるべき素質があると見抜いて、
長吉をば 檜物町(ひものちょう)でも 植木店う(えきだな)でも 何処でもいいから 一流の家元へ弟子入をさせたらばと
お豊に勧めたが お豊は 断じて承諾しなかった。
のみならず 以来は 長吉に三味線を弄(いじ)る事をば口喧(くちやか)ましく禁止した。

 長吉は 蘿月の伯父さんのいったように、あの時分から三味線を稽古(けいこ)したなら、
今頃は とにかく一人前(いちにんまえ)の芸人になっていたに違いない。
さすれば よしや お糸が芸者になったにした処で、こんなに悲惨(みじめ)な目に遇わずとも済んだであろう。
ああ 実に 取返しのつかない事をした。一生の方針を誤った と 感じた。

母親が 急に 憎くなる。
例えられぬほど怨(うらめ)しく思われるに反して、蘿月の伯父さんの事が 
何となく取縋(とりすが)って見たいように 懐(なつか)しく思返された。

これまでは 何の気もなく 母親からも また伯父自身の口からも 度々(たびたび)聞かされていた
伯父が放蕩三昧(ほうとうざんまい)の経歴が 恋の苦痛を知り初(そ)めた 長吉の心には
凡(すべ)て 新しい 何かの意味を以て 解釈されはじめた。

長吉は 第一に「小梅の伯母さん」というのは 元(もと)金瓶大黒(きんべいだいこく)の華魁(おいらん)で
明治の初め 吉原(よしわら)解放の時 小梅の伯父さんを頼って来たのだ とやらいう話を 思出した。

伯母さんは 子供の頃(ころ)自分をば非常に可愛がってくれた。
それにもかかわらず、自分の母親のお豊は あまり好(よ)くは思っていない様子で
盆暮(ぼんくれ)の挨拶(あいさつ)も ほんの義理一遍(いっぺん)らしい事を構わず素振そ(ぶり)に現(あらわ)していた事さえあった。

長吉は 此処(ここ)で再び 母親の事を 不愉快に かつ憎らしく思った。
殆(ほとんど) 夜(よ)の目も離さぬほど 自分の行いを目戍(みまも)っているらしい母親の慈愛が 窮屈で堪(たま)らないだけ、

もしこれが 小梅の伯母さん見たような人であったら
――小梅のおばさんは お糸と自分の二人を見て 何ともいえない情(なさ)けのある声で、
いつまでも仲よくお遊びよ と いってくれた事がある――
自分の苦痛の何物たるかを 能(よ)く察して 同情してくれるであろう。
自分の心が すこしも要求していない幸福を 頭から無理に強(し)いはせまい。

長吉は 偶然にも 母親のような正しい身の上の女と 小梅のおばさんのような 或種(あるしゅ) の経歴ある女との 心理を比較した。

学校の教師のような人と 蘿月伯父さんのような人とを比較した。

 午頃(ひるごろ)まで 長吉は 東照宮(とうしょうぐう)の裏手の森の中で、捨石(すていし)の上に横たわりながら、
こんな事を 考えつづけた後(あと)は、包(つつ)みの中にかくした小説本を取出して 読み耽(ふ)けった。

そして 明日(あした)出すべき 欠席届には いかにしてまた 母の認印(みとめいん)を盗むべきかを 考えた。

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