伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

隗より始めず

2018年11月22日 | エッセー

 「隗より始めよ」という。上杉鷹山がすぐ浮かぶ。殿様でありながら羽織袴から下着に至るまですべて衣は木綿、食は一汁一菜。朝餉は粥2膳に香の物、昼と夕餉には干し魚にうどんか蕎麦。酒は嗜まず。これぞ「隗より始めよ」である。寛政期、出羽米沢藩主として質素倹約を掲げ、農村振興、殖産興業を主導し見事に藩政改革を成し遂げた。その高名はつとに知られるところだ。ジョン・F・ケネディが大統領就任時、日本で最も尊敬する政治家にその名を挙げたことは長く語り草となった。武田信玄の名言を元にして家臣に与えた「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」という教訓も人口に膾炙している。
 「江戸の三大改革」がある。いずれも質素倹約がいの一番に掲げられ、諸改革が実行されていった。最初の享保の改革、将軍吉宗は自ら肌着は木綿と決め、鷹狩りの羽織も袴も木綿で通した。一汁一菜、一日二食を貫いた。2番手の寛政の改革、老中松平定信も自ら倹約に徹した事例はないものの江戸時代一の堅物と言われただけあって賄賂はすべて拒否した。
 3番手天保の改革、老中水野忠邦もといきたいところなのだが、これがそうではない。幕閣での昇進に多額の賄賂を使って猟官運動をしている。またさらなる出世のために国替え工作をすすめ、領地の一部を賄賂として差し出したのではないかとの疑いもある。他に、改革中の腹心による疑獄(収賄か)が後に発覚している。加えて失脚後転封が科された時、領民からの借金を踏み倒そうとして大規模な一揆を起こされてもいる。ともかく、カネ塗れなのだ。綱紀粛正、奢侈禁止を厳命しながら「隗より始め“ず”」なのだ。幕閣入りから改革中に至るまで、容赦ない部下の切り捨て、その意趣返し、叛逆にも遭っている。汚れたカネと非情な人使いと切り捨て。1番、2番手のイノベーターとは月とすっぽん、雲泥の差がある。
 と、ここまで来れば誰のことだかお判りいただけよう。九仞の功を一簣(キ)に虧(カ)くという。仰ぎ見る高き山を築くのにモッコあと1杯分の土、つまり一簣が足りない。功成り名を遂げようとした絶頂で頓挫する。その不用心と慢心を誡める言葉だ。
 「隗より始めよ」を下世話にいえば、「言い出しっぺ」となろうか。尾籠で恐縮だが、「臭い!」と喚いたヤツこそ放屁した本人だというわけだ。臭いから要らないといった当人が、なんのことはない、一番要らない臭(ニオ)いの元だったことになる。大きな釣り鐘、打てばゴーンと大音響かと期待が膨らんだ。だが、とどのつまりはカーンと缶蹴り擬きの音だった。嗚呼。 □