伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

遡ってみると

2013年10月19日 | エッセー

 やっと徳俵に足が掛かって,アメリカはデフォルトを回避した。本邦の十八番に準えて「決められない政治」と揶揄する向きもあるが、実はもっと根深い。というか、本質に関わる理念の対立が横たわっている。だから、「譲れない政治」というべきかもしれない。
 共和党にとって、“オバマケア”は「譲れない」一線である。「個人の権利」を重視する同党には、オバマケアは個人への権力による過剰介入以外のなにものでもない。すなわち、建国の精神に反するのだ。だから政争とみるのは皮相的だ。政論、もしくは正論の攻防であろう。どこかの国の茶番とはレベルもラベルもちがう。
 150余年を遡る「奴隷解放」はまちがいなくアメリカ史の劃期である。人類史の金字塔でもある。しかし意外なことに、主導した第16代大統領エイブラハム・リンカーンは共和党であった。建国の精神つまり「独立宣言」に基づき、「全ての者は平等に生まれついており、生命、自由および幸福の追求を含む権利について平等である」と唱えた。だから、共和党=保守は短見といえる。保守というよりも、原理主義的性向が強いというべきであろう。
 それもそのはずで、前身の「民主党」を率いるアンドリュー・ジャクソンの強権政治に抗して、同党からの分派や進歩的知識層を中心に結党されたのが共和党であった。民主党の地盤であった北・南部以外の北東・中西部を支持基盤とした。率いたのはリンカーンであった。名前に眩まされるが、四捨五入すると民主党が分裂して共和党が生まれたのだ。その逆ではなかった。その後二大政党制の流れの中で、キリスト教右派を取り込んだことなどから保守色を強めていく。ついには民主党との政治的スタンスが逆転するに至った。したがってアメリカ史のもう一つの劃期である「公民権法」の成立は、ケネディー率いる民主党が担った。
 となると、今般の共和党の抵抗は先祖返りといえなくもない。遡って、「国のかたち」という琴線に触れるイシューであったといえる。にわかにサンデル先生の「白熱教室」が浮かぶ。やはりアメリカは若々しい国というべきか。

 先日、高校の同級生数人と雑談をした折のことだ。いつものように話は次第にレベルを落とし、下ネタに及んだ。○○○を何と呼ぶか。実にこれがおもしろい。同じ市なのに、川を越え山一つ隔てると呼び名が変わるのだ。かつてそう呼んだ名前を繰り返しては、隣町の奴らはケラケラ笑う。当方はきょとんとしている。その逆もある。驚きの連続であった。60数年生きてきて、初めての発見であった。まことに充実した一時であった。目から鱗である。
 帰宅して反芻するうち、ある愚考が浮かんだ。妄想ともいえる。
 『昆虫』と同じではないか、と。以下、養老孟司氏の言を引く。「養老孟司の大言論 Ⅰ」(新潮社)からである(抄録)。
◇北海道、東北、関東、中部、近畿、中国、四国、九州、沖縄──。これは近くの県をまとめたものではなく、自然区分である。一千万年以上さかのぼると、日本列島がほぼこれだけの数の島からできていたことがわかっている。
 高槻のJT生命誌研究館でオサムシ研究をしていた、大澤省三氏らのグループが明らかにした結果は、それをみごとに裏付けている。オサムシはほとんどの種が飛ばない。地面を歩くだけである。したがって大きな移動をすることは、おそらくあまりない。そのオサムシの分布を見ると、大きな地方区分(北海道、東北、関東、中部、中国、四国、九州、沖縄)がそのまま出現する。とくに日本特産種であるマイマイカブリでは、まことにみごとに「道州制」が出現する。中部と関東は違うし、また近畿とも違う。それがみごとに出るのは滋賀県である。中部、近畿、中国というつの島かつながったとき、あいだの海が残ったものが琵琶湖である。したがって滋賀県はその三つに区分されることになる。ミトコンドリアのDNAを調べると、滋賀県のマイマイカブリは三つの系統に区別される。それは中部、近畿、中国という区分に一致している。◇
 下ネタのスラングはまさに隠語だ。「オサムシ」と同じく、「飛ばない。地面を歩くだけ」である。カバリッジがごく限られる。だから「道州制」とまではいかなくても、遡れば古のテリトリーが仄見えてくるのではないか。ひょっとしたら散在する「滋賀県」に似た衢地(クチ)は、スラングのスクランブル交差点(失礼!)かもしれない。養老先生にははなはだ失礼だが、そんな愚昧な想念が湧いた。実証性にははなはだ乏しいのだが。

 わが朋友のために付け加えておこう。いっぱしの話も出るには出た。農家を継いだ同級生が今年の作況を嘆く中で、「歩(ブ」)だの「反」だのと言い出した。はて、それはどのような経緯で、そのように定められたのか。侃侃諤諤となった。ノンシャランの集まりだ。結論はうやむやのままお開きとなった。帰宅して読みかけの小説を開いて、吃驚した。なんと、符節を合わするが如しとはこのことだ。
◇「戸田(代官所の新米役人・引用者註)は、一反で、人ひとりが一年に食う米が穫れることは知っているか」
「たしか一反でおよそ一石と聞いております」
「その通りだ。一反は三百歩、つまり三百坪だが、その昔は三百六十歩だった。かつては一石の米を穫るのには、それだけの土地が必要だったのだな」
「すると、昔は一坪の土地で、一日分の米が収穫できたということですね」
「そういうことだな。これは偶然ではなかろう。おそらく人が一日に食べる米が穫れる土地の大きさを一坪と定めたのではないかな。そしてほぼ一年にあたる三百六十日分の米が穫れる土地を一反としたのだろう。つまり坪とか反とかいうのは、実はすべて米作りからできた尺度だったのだな」
 勘一は思わず感嘆の声を上げた。自分たちが日頃使っている尺度は米がもとになっているとは思ってもみなかったことだった。あらためて米作りがいかに大切なものであるかということを教えられた思いだった。◇(百田尚樹著「影法師」から)
 これで、氷解した。遡れば、人ひとり、1日の米の量だ。1坪約9000万円もする銀座、丸の内の超一等地も、元を辿れば秋風に揺れる撓わな稲穂に行き着く。1合3千万の米の飯だ。なんとも豪儀な図ではないか。
 遡ってみると、存外な掘り出し物に出会す。 □