伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

「信長さーん!」

2022年11月09日 | エッセー

 キムタク信長の第一声で「信長公騎馬武者行列」が幕を切った。11月6日(日)昼、岐阜駅前目抜き通り1キロを80余人の武者を従え1時間練り歩いた。岐阜市の人口を上回る46万人が詰めかけた。ソウルでの群衆雪崩から1ヶ月余、万全の警備体制が組まれさしたる事故なく終わったのはともあれ幸甚。
 岐阜は斎藤道三有縁の地で信長とは縁が薄いのではとのクレームもあったそうだが、800年の天下太平を築いた文王の「岐山」と孔子有縁の「曲阜」を組み合わせて井ノ口を岐阜と名付けたのは紛れもなく信長だった。だから、縁浅からずだ。おまけに岐阜の名に反し、下克上の闇に葬られたのが49歳。奇しくも木村君と同じ年齢であった。
 さて、「出陣じゃ!」には「キャー!」という叫声が沿道を圧した。群衆の代わりに雪崩を打ったのは歓呼の連鎖だった。
「木村さーん!」「キムタクー!」…………
 何度も動画をチェックしてみたが、「信長さーん!」はひと声もなかった。これはなんということか! キムタク信長は確かに嵌まり役、信長が憑依したように堂々たるものだ。それにしても、いや、それなのになぜ「信長さーん!」がない? 
 まことに当日のオーディエンスは無粋といわざるを得ない。聞き漏らしたのならご免なさいだが、せめて「信長さーん!」のさんざめきぐらいはあってよかった。
 内田 樹氏はこういう
〈(引用者註・昔の映画館は)何百人もぎっしり詰まっていて、鞍馬天狗がやって来ると「ドワーッ」とどよめいて。あのどよめきの中に巻きこまれていくと、ある種身体の共同化を経験するわけです。自分自身の持っている感動能力を超えるんですよね。他の人たちの感動が感染してきて。そうすると自分の個体の容量を超えたような感動が襲ってくるんですよね。〉。(「14歳の子を持つ親たちへ」から)
 ひょっとしてあのオーディエンスは「無粋」なのではなく、「自分の個体の容量を超えたような感動」を置き忘れてしまったのではないかと危惧してしまう。
 この「騎馬武者行列」、まさか2日後の皆既月蝕と他の惑星蝕(天王星蝕)が442年ぶりに同時発生する天体ショーに合わせたわけではあるまいが、442年前天正8年(1580年)は勅命により石山本願寺と和睦した年だ。天下布武が成るか成らぬか、その瀬戸際であった。
 付言すると、「武」とは「戈(ホコ)」を「止」めるとの字義である。したがって、「天下布武」とは平和を志向する理念であった。その歴史の切所に平和な天体ショーが重なった。壮大な奇跡といっていい。
 今はその逆である。地球は2度の大戦を経てなお戦禍に怯えている。それも核によるオーバーキルの危機に。
 次の皆既月蝕と他の惑星蝕(土星蝕)が同時発生する天体ショーは332年後の2344年7月。この惑星はまだあっても住人は入れ替わっているかも知れない。サルでなければいいが……。
 宣教師から欧州の軍事パレードの話を聞き、「御馬揃」として日本で最初に繰り広げたのは信長だったそうだ。人気ランキングでは常にトップの織田信長。しつこいようだが、「信長さーん!」がほしかった。 □