伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

悪妻? 

2013年06月11日 | エッセー

 これは看板に偽りありだ。釣りタイトルではないにせよ、中身が相当に違う。

 「悪妻の日本史」 清水 昇(歴史作家)著、実業之日本社“じっぴコンパクト新書”、先月刊。

 “期待”して読んだのに、ほとんどが悪妻どころか良妻たちであった。確かにサブタイトルには──偉人を育てた幕末・明治・大正・昭和の「悪い」女房たち──とある。「悪い」は浮世の評判で、実は大変な良妻であった、ということらしい。
  1.坂本龍馬の妻 おりょう
  2.高杉晋作の妻 雅子
  3,木戸孝允の妻 松子
  4.勝海舟の妻 民
  5.伊藤博文の妻 梅
  6.森有礼の妻 常
  7.黒田清隆の妻 清
  8.井上馨の妻 武子
  9.大山巌の妻 捨松
 10.乃木希典の妻 静子
 11,新島裏の妻 八重
 12,夏目漱石の妻 鏡子
 13,川上音二郎の妻 貞奴
 14.森鴎外の妻 志げ
 15.与謝野寛(鉄幹)の妻 晶子
 16.宮崎龍介の妻 柳原白蓮
 17.小泉八雲の妻 セツ
 18.竹久夢二の妻 たまき
 19.北原武夫の妻 宇野千代
 20.三浦政太郎の妻 環
 21.野口英世の妻 メリー
 以上が取り上げられた人物である。左側は錚々たるメンバーである。右側も 1.  15.  19. あたりは高名だが、他は馴染みが薄い。ただ今年の「大河ドラマ」で、11,は名をあげた(ただし、視聴率は史上最低だそうだが)。
 冒頭に著者はこう述べる。
◇哲学者ソクラテスの妻クサンティッペ、音楽家モーツァルトの妻コンスタンツェ、作家トルストイの妻ソフィアを、世界の三大悪妻というそうだ。ほかに物理学者アインシュタインの妻エルザも、名にし負う悪妻だったという。ソクラテスは妻に怒鳴られ頭から水を浴びせられた。すると「雷のあとに雨はつきもの」と平然としていた。そして「結婚しなさい。よい奥さんだったら幸せになれる、悪妻だったら哲学者になれる」と言ったという。◇(◇部分は上掲書より引用、以下同様)
 ソクラテスの箴言は有名だ。凡人には未到の境地とはいえ、なんとも含蓄の深い言葉だ。
 21人中、亭主の浮気にヒステリックに応対した者は僅かだ。ほとんどが『寛容』であった。時代だといえば身も蓋も無いが、ひたすら往時が偲ばれるのはわたしだけではあるまい。特に、勝海舟はすごい。
◇海舟は『氷川清話』のなかで、「色欲を無理に抑えようとしたって、おさえつけられるものではない」と語っている。だからといって妾子を引き取り、その面倒を民に押し付けるなど、もってのほかだが、彼女たちの処遇は女中と同じで、朝晩には民の居間の前廊下に出向き、三つ指をついてきちんと挨拶させていた。民は実子と異腹の子どもを区別することなく接して過ごした。◇
 断っておくが、一人二人ではない。英雄の名にふさわしい人数である。さらに、
◇民は明治38年5月、84歳で没する。死に臨んだ民は、「海舟のそばに埋めてくださるな。小鹿(嫡男・引用者註)のそばがよい」と遺言した。女道楽に苦しめられ、妻妾同居を押しつけられた民の、これが本音だった。民は遺言どおり、当初小鹿の眠る青山墓地に葬られた。しかし、民の墓はのちに移設され、現在、海舟夫妻の墓は仲良く並んで東京大田区の洗足池のほとりにある。◇
 と、著者は結んでいる。名にし負う糟糠の妻である。民が悪妻であろうはずは一点もない。つい百年ほど前に、まったく異人種と見紛うほどの女性がこの同じ大地に生きていた。その事実に驚嘆する。権妻にはけじめを付けるが、庶子には別け隔てしない。かつ、今際の際に鮮やかな啖呵を切る。男尊女卑などという苔生した規矩を超えて、振るえるほどにすばらしいではないか。
 高杉晋作の妻・雅子、木戸孝允の妻・松子、それに伊藤博文の妻・梅も大同である。政治家には多いパターンかもしれないが、市井に至るまで同工異曲であったろう。従っているように見せかけて、実は掌で遊ばせる。並な芸当ではない。この至芸の因って来たるところを、碩学の卓説に学びたい。再度の引用になるが、抄録してみる。
 
〓男女の違いは性染色体によります。男性は女性をわざわざホルモンの作用でいじって作り上げたものです。元になっているのは女性型なのです。これが非常に重要な点です。実は人は放っておけば女になるという表現もできます。Y染色体が余計なことをしなければ女になると言っていい。本来は女のままで十分やっていけるところにY染色体を投じて邪魔をしている。乱暴な言い方をすると、無理をしている。だから、男のほうが「出来損ない」が多いのです。それは統計的にはっきりしています。「出来損ない」というのは、偏った人、極端な人が出来ると言ってもいいでしょう。いろいろなデータをとると、両極端の数字のところには常に男が位置しています。身長、体重、病気のかかりやすさ、何でもそうです。たとえば畸形児のような形で出産直後に死んでしまう子も男の方が多い。一方で女性のほうがまとまる性質にある。まとまるというのは、安定した形になる、バランスがいいということです。身体の特徴に限らず、さまざまな極端な社会的行動も男が多い。異常犯罪の類の犯人は男のほうが多いし、暴力犯罪にしても男が女の十倍です。
 生物学的にいうと女のほうが強い。強いということは、より現実に適応しているということです。それが一番歴然とあらわれるのは平均寿命です。身体が屈強なはずの男よりも女の方が長持ちします。現実に適応しているからです。 
 現実に適応しているということは、無駄なことを好まないということです。女性で虫を集めている人はほとんどいません。虫好きの世界は男専科です。虫に限らず、コレクターというのはそもそも基本的に男の世界です。マッチの箱とか、ラベルとか、切手とか、余計なものを集めるのは男が圧倒的に多い。女性は集めるにしても実用品中心です。女性の頑固さというのは生物学的なこの安定性に基づいているのではないでしょうか。システム的な安定性を持っていると言ってもいい。
 体が安定していることは頭のことにもつながる。だから、口論になって男のほうがあれこれ理屈を言っても女のほうは内部的な安定性をはっきり持ってしまっているからびくともしない。「どんなに言われても、私はこうなのよ」と自信がある。それが頑固さにつながっているのです。私はむしろ女性の安定性を高く評価すべきだと思っています。もちろんこの安定性には欠点もあります。安定しているのはあくまでも自分です。ということは他人から見れば自分勝手だということにもなる。社会性が低いとも思われる。あくまでも個体としての安定性を持っているわけですから、そういう人とはつき合いづらいと思われるでしょう。そういう一対一の対人関係の場面では、勘弁してくれよというふうに男側が思うことも多いでしょう。
 でも、もっと大きなスケールで考えると、人間の常識の分布の中のいい線に女の人がいて真ん中におさまっていると言ってもいいでしょう。〓(養老孟司著「超バカの壁」より)

 「出来損ない」をして一角の仕事をさせる。それには『御者』がぶれてはならない。「生物学的」「内部的な安定性」が必要となる。ただそれは「頑固」と裏表である。「あくまでも個体としての安定性」だから、「社会性が低い」と見られがちだ。それが『悪妻』との評に繋がったか。なににせよ、「女の人がいて真ん中におさまっている」のが実相である。ただただ、養老先生の洞見に恐れ入るばかりだ。
 世のパペット諸氏よ、男と生まれた不運を呪うまい。「男性は女性をわざわざホルモンの作用でいじって作り上げたものです。元になっているのは女性型」である以上、われわれは元々闖入者なのだ(ダジャレではないので、誤解のないように)。良妻、悪妻を問う前に、たまたま同じ『宿』に住まうことになった『六』でなしでないか否かを自問しよう。そして、呼ばわろう。バカヤロー! と。 


*おかげさまで、愛機が退院しました。前より少し元気になったようです。設定もデータもそのままで、ゴキゲンです。ご報告まで。 □