伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

なぜ、「を」を入れたがる?

2021年08月01日 | エッセー

 もう一度、今年2月の拙稿を引いてみる。

「を」入れの氾濫
 本稿でも引いた言語学者の野口恵子氏が敬語の過剰な多用が謙譲語の混乱を招いたと批判している。「○○様とお会いをいたしました」は「お会いいたしました」でいい。最近、この傾向が政治家や官僚に際立って多い。
 〈新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見
 緊急事態宣言の対象に7つの府県を追加すること『を』決定いたしました。〉(首相官邸HPから抜粋)
 「追加すること『に』決定いたしました」ではないか。
 〈閣議の概要について申し上げます。一般案件等80件、政令、人事が決定をされました。〉(昨年10月2日、官房長官会見)
 〈それほど大きな時短『を』協力していただいたわけではないのかなと思います〉(本年1月29日、西村内閣府特命担当大臣会見)
 これも『に』だろう。
 馬鹿っ丁寧が度を超して、付けなくていい「を」を付ける。安全運転のつもりが飛んだ墓穴だ。ビジネス言語が国政の場で濫用される。コマーシャルベースそのままだ。会社は潰れたって責任は有限。一国は潰すわけにも合併するわけにもいかない。責任は無限だ。背景にはなにより、政治が市場原理に呑み込まれ株式会社化しているという趨勢がある。昨年12月の愚案「ウソつきはアベシンゾウのはじまり」で呵した通りである。(『爺の毒舌』から)

 なぜ、繰り返したのか。それはTV界をも巻き込み始めたからだ。二束三文のコメンテーターからアナウンサーまでこれに染まりつつある。永田町発の言葉感染だ。病膏肓にいる、である。言葉狩りをしているのではない。てにをはを正確に使わないと、意図が正しく伝わらないからだ。
 店で商品を頼む。所望のものと違った場合、関東では「これではありません」と言う。関西では「これと違います」と言う。前者は全否定、稿者は選択の余地を残している。商人(アキンド)の町といってしまえばそれまでだが、さすがに言葉づかいが練られている。江戸は武士の町だったためか yes or No を際立たせたのかもしれない。当今のお笑いはその逆で、関西が「なんでやねん!!」と強い異議申し立てをし、関東は「いい加減にしろ」と頃合いで引き取ってしまう。関西の「めっちゃ」は「超」を抜いて、今や全国制覇した。「歌は世につれ」だがSNSの影響もあってか、「言葉は世につれ、世は言葉につれ」の様相を呈している。
 そこで、本題。「政治が市場原理に呑み込まれ株式会社化しているという趨勢」が「『を』入れ」を誘引している。心のありようを響かすものが言葉であってみれば、「を」入れにはどのような心象が凝っているのか。突飛に聞こえる結論を言うと、憲法の手柄だ。
 お願いベースを超えられないもどかしさが「馬鹿っ丁寧が度を超して、付けなくていい『を』」を付けさせているとみていい。有無を言わさぬ強権的手法が採れない。特措法自体が最高法規である憲法の諸規定に縛られる。──時短・外出自粛 VS.憲法22条「営業の自由」「移動の自由」、憲法29条第3項「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」 VS.支援・給付金の遅延、などなどだ──「もどかしさ」とはその不如意だ。ギリギリまで迫ってなお越えられない憲法の壁に直面した足掻き、焦り、ないしは悔いだ。ロックダウンなぞちらつかせようものなら、たちまち違憲論争が沸騰するにちがいない。内閣の雁首は一斉に須臾の間に飛ぶ。
 地団駄の代わりに言葉尻に「を」を差し込む。小さな腹いせ、大きな逆恨みだ。だから、憲法の手柄だという。さらに揣摩憶測すると、憲法改定の論議が俎上に載らないのは失策の連続で支持率が急減しているからだ。衆院選は目の前。自縄自縛である。
 先日の記者会見冒頭。
「東京都と沖縄県の緊急事態宣言を8月31日まで延長すること“を”決定いたしました」
 また「を」入れだ。地団駄踏んで、どじ踏んで。よたよた歩きでてめーの足まで踏んですってんころり、か。 □