伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

総裁選がおもしろい

2021年09月18日 | エッセー

「麻生が止めているという話を作って書いてあったけど、オレは最初から『やるなら、しっかりとやれ』と。負けると後々面倒くさいから。ちゃんとやるなら、やることやらないとだめよと激励はしましたけど」
 アッソー・マウンティング爺さんのこの発言には膝を打った。 
 「負けると後々面倒くさい」は、爺さんの2010年総選挙での大敗、政権明け渡しに準えているのではないか。「やることやらないと」は、てめーの政権が無能、無策で短命に終わったことへの反省か。50年間不動だった自民党政権がズッコケたのは、アッソー政権の時だった。河野のあんちゃんも親分に倣って幕引き役か。実に意味深だ。失言爺さんが語るに落ちたというべきか。
 コップの中の嵐と高踏を決め込むのは浅慮だ。気鋭の政治学者白井 聡氏は歯に衣着せずこう言う。
〈安倍政権を支持してきた人たちや、その勝利を支えた無関心層は「自分たちがいったい何をやってしまったのか」を真剣に考える義務があります。腐った政権を長年、奴隷根性と無関心によって支持し、一方で反対する人を冷笑やアカ呼ばわりで非難する。そんな精神風土がずっと続いてきた。〉(20年4月の「AERA」から抜粋)
 辛辣だが、「奴隷根性と無関心」はコインの裏表だ。総裁選は実質的に宰相の選出でもある。投票権はなくとも、踵を接する衆院選でジャッジできる。無関心でいていいはずはない。無関心は未必の故意ならぬ『未必の不作為』ともいえよう。
 5年前の旧稿を引きたい。
〈大相撲が俄然おもしろい。なぜか。白鵬がいないからだ。勝利至上でおまけに過剰同化のへんてこりんな横綱が消えると、如実に場所は活況を呈する。
 広島が25年振りのリーグ優勝。カネに飽かす球団・巨人が下手をコクと、こんなに野球はおもしろくなる。広島自体が強くなったにしてもだ。勝ち負けはカネでも、もちろん人気でも、運でも、ひょっとしたら素質でもないという人生の滋味を訓えてくれたかもしれぬ。なにより、それぞれの一強がどれだけ双方をつまらなくしていたか。改めて判る。
 プロスポーツ同様、永田町も一強はよくない。さらにいえば、碌な事はない。〉(16年9月「一強はつまらない」から)
 無理やりな我田引水と嗤う向きもあろうが、「碌な事はない」は投稿からなお5年も続いたのである。広島は浮沈を経て今、振り出しに戻っているが、白鵬の不在は数多くの感動的ドラマを生んだ。自民党内の一強も同然だ。一強が後退すると俄然おもしろくなる。スポーツと次元は違うが、結構アナロジカルではある。この場合、「おもしろい」とは原義通りに「おも」(面)即ち目の前が「しろい」、明るくはっきりすることである。明度が上がればコントラストも際立つ。暗も浮き彫りになる。国民の安全に資すること大である。
   秋深き隣は何をする人ぞ
 芭蕉の遺作である。病のため句会に行けぬもどかしさを詠んだとされる。この総裁選と妙に重なるから「おもしろい」。 □