伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

Windows 11

2021年09月09日 | エッセー

 Windows 11が間もなくリリースされる。6年ぶりのバージョンアップである。アンドロイドの取り込みはもとより、クラウドコンピューティングへのとば口だという。クラウド化が成ると、サーバー、ストレージ、データベース、ソフトウェアなどがユーザー側に不要となる。クラウドでソフトを使い、データはクラウドに預ける。こちらはすっかり身軽になる。オンデマンドの、またはミニマリズムの究極形だ。おそらくPCの外形も大きく変化するだろう。携帯がガラケーからスマホに移行したように。
 さて酢豆腐はそのくらいにして、引っかかるのはなぜ「cloud」なのか、だ。Windows 95まではログオン画面に雲はなかった。ソフトの小窓が雑然と並んだ無粋な画面だった。それが95で突如変身した。PC史上の一大画期であった。
 「cloud」とは曇、大群、集団をいう。比喩的に、全体像が掴めない茫たる塊を指す。「World Wide Web」は蜘蛛の巣。今の呼び名は「ネット」が主流だ。でも「ネットファンディング」ではなく、「クラウドファンディング」と呼ぶ。資金を投ずる危うさが後者のイメージに近いためか。雲を掴むというではないか。
 ネットと言いクラウドと言っても、その実態は地上に散在されたサーバー群である。ならば、「リゾーム」が的確ではないのか。根茎、「リゾーム型」には水平・横断的関係の中で多様な価値観が交わり新たな創造をしていくとの謂がある。だが、目線が潜るより大空を仰視した方が断然晴れやかだ。やはり、空と雲に如くはない。なんせ、Windowsは世界への窓なのとから。
 11はまだ玄関口である。フルバージョンのクラウドまでにはまだ時間がかかる.最大の関門はセキュリティーである。こちらもウイルスとの熾烈な攻防は避けられない。「with コロナ」の伝は通じない。政府の対策や如何に。バラバラの縦割り行政は雲を掴むように頼りない。
 Windowsとは直結しないが、刻下サイバー空間では一国の存亡が掛かった熾烈な攻防が繰り広げられている。「サイバー戦争」だ。「cyber」はサイバネティクスの略。通信・制御工学の学際を跨ぐ学問を指す。「電脳」とも訳される。サイボーグ、通信、交通、犯罪などフィジカルでシステマティックな意味合いが強い。それゆえか、争い事に冠せられるようになった。
 この「サイバー戦争」が瓢箪から駒なのだ。その高度化に伴い核抑止論を無力化しつつある。
 内田 樹氏は米軍は戦闘管理ネットワークを攻撃するサイバー攻撃で中国に一歩先んじられ、戦略の根本的な見直しを強いられているという(「コロナと生きる」)。一見戦争の垣根が低くなるようにみえるが、核のボタンが押せなくなるかもしれないパラドキシカルな展開だ。しかし、そこには「絶対悪」を封じ込めるポテンシャルが秘められている。
 人道に反する毒性は温存されたままではあるが、次善の策、緊急避難にはなる。金勘定からも5000億円超もするイージス艦よりもコスパは飛躍的によくなる。人道などという高見を期待できない本邦政府なぞは疑似餌で釣るほかない。早晩役立たずになるイージスやステルス、ミサイルを売りつける米政府はもっとあくどいが……。
 ともあれWindows 11は衆望を担いつつ世界に羽撃く。湧き出ずる雲居を突き抜け、どんな蒼穹を見せてくれることか。健闘を祈る。 □