伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

8・15 敗戦の日

2021年08月14日 | エッセー

 76年目の8・15が来る。世に言う「終戦の日」である。三国同盟の内、伊は4・25を「解放記念日」、独は5・8を「解放の日」と言う。「終戦」と「解放」、なぜ違う?
 解放と言うからには何から解放されたのか。ドイツはナチスから、イタリアは国家ファシスト党からリリースされた。だから、「敗戦」は解放なのだ。敗れたのはナチであり、ファシストである。国家的畸形児により一国が不法占拠された。その歴史的異胎を駆逐することによって祖国を取り戻した──“そういう話”になった。
 日本はどうか? “そういう話”にするために本質的に欠落したものがあった。司馬遼太郎が名指した大本営という鬼胎は排除したものの、代替し得る反抗勢力がなかった。ドイツには反ナチ勢力が軍部にもいたし、イタリアには武装パルチザンが烈しい戦いを繰り拡げてきた。実際彼らが祖国を継承したかどうかは別にして、国家を引き継ぐ正当性を主張できる勢力がいた。しかし、日本には降伏まで組織として抵抗を貫いた反戦勢力は存在しなかった。解放して救い出すべき囚人(メシウド)がいない。悲しいことに、国民は鬼胎と共犯関係にあった。したがって、解放と公言できる根拠がないのだ。ではなぜ敗戦と言わない? 敗戦を終戦と言い換えることによって敗戦に蓋をするためだ。詰まるところ、臭い物には蓋は日本の宿痾である。
 加うるに、論理的には戦争責任は大元帥にまで至る。そうではあっても、大元帥を敗軍の将にはできない。敗戦と即時にこのゴルディオスの結び目を一刀両断するわけにはいかない。中核的権威を抜き去られた国家は瓦解するほかないからだ。権力は瞬時に差し替えられるが、権威をすげ替えるには歴史的時間を要する。
 国際法上は1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発行により戦争は終結した。それで、同日を「主権回復の日」や「サンフランシスコ条約発効記念日」と呼んでいた。この前日までは「降伏記念日」や「敗戦記念日」と呼んだ新聞もあった。だが、1957年「引揚者給付金等支給法」の中で8月15日を終戦の基準と定めた。以降、「終戦」が定着した。
 敗戦国は多くの場合、自らの敗戦を否認する。敗戦に対する自虐史観との論難と他責的な牽強付会は国家の心理であり生理であろう。しかし、なにかが隠される。日本の場合、敗戦を否認することで敗戦が永続するというパラドックスが生まれた。
〈1945年以来、われわれはずっと、「敗戦」状態にある。『永続敗戦』──それは戦後日本のレジームの核心的本質であり「敗戦の拒否」を意味する。国内およびアジアに対しては敗北を否認することによって「神州不滅」の神話を維持しながら、自らを容認し支えてくれる米国に対しては盲従を続ける。敗戦を否認するがゆえに敗北が際限なく続く──それが「永続敗戦」という概念の指し示す構造である。〉
 白井 聡氏は『永続敗戦論』でそう喝破した。“そういう話”が作れないまま戦後の日本は経済的絶頂を迎え、そして今、免れ難い閉塞の中にある。その只中で、かつての「神話」への郷愁を強めつつあるように見える。改憲パラノイアは永続敗戦の顕著な病症だ。その病識と病因を忘失すれば「いつか来た道」は刹那に再現される。
 今年の8・15もまた敗戦の否認のまま迎える。310万超の死者はそれで報われるであろうか。 □