伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

あんな男とくだらない奴

2021年06月23日 | エッセー

 気鋭の政治学者 白井 聡氏は本年3月の新刊『主権者のいない国』でこう安倍を断罪した。
〈安倍晋三こそ、政治の世界で「敗戦の否認」の情念を代表する人物にほかならない。ゆえに、この期間が日本史上の汚点と目すべき無惨な時代となったのは、あまりにも当然の事柄である。虚しい歴史意識は、社会を劣化させ、究極的にはその社会を殺し、場合によってはそこに生きる人間を物理的に殺す。〉
 稿者にいわせれば「汚点」ではなく、「汚物」である。「社会を劣化させ」た成れの果て、汚物そのものである。近畿財務局の赤木俊夫さんは「人間を物理的に殺す」一象徴となった。
 継承者 菅はどうか。本年当初の講演会で思想家 内田 樹氏はこう語った。
〈アメリカのデモクラシーはどんなに愚鈍で邪悪な人物が大統領になっても統治できるように権限を分散、リスクを分散している。性悪説に立った精密な制度である。明らかに適格性を欠く統治者が選ばれても対応できるようにした。菅みたいなくだらない奴が選ばれるのは民主主義の実現である。〉
 菅の件(クダリ)は皮肉ではない。裏返せば、適格性に欠ける人物は独裁制や君主制の元では統治者になれないという原理を述べている。独裁にはカリスマ性、君主には氏素性が必須だ。菅には双方とも欠落している。稚拙なコロナ対応と自称秋田の貧農出身がその証拠だ。しかし、選ばれた。これは民主主義の手柄ではないか、そう内田氏は言ったのだ。いや、待て。これには含意がある。「権限を分散」できる限りにおいては、という付帯条項があるのだ。ところが安倍はこれの開錠に手を染めた。その延長に菅はいる。
 19年2月28日、衆議院予算委員会での質疑応答。
〈長妻昭議員 「統計問題を甘くみない方がいい。扱いによっては国家の危機になりかねない、という認識はあるのか。」 
 安倍総理「いま、長妻委員は国家の危機かどうか聞いたが、私が国家です。」〉
 語るに落ちるとはこのことだ。ついうっかり漏らした失言に本音は宿る。内田氏が言う「あんな男」の本音には誇大妄想化した夜郎自大が盤踞している。後継した菅は疑いようもない「あんな男」の“濃厚接触者”である。菅の場合、感染は誇大妄想化した承認願望として発症している。病症は一つあげれば事足りる。五輪の強行開催だ。科学的エビデンスに背を向けたパラノイアだ。窮鼠が猫を噛む逆立はそのようにして起こっている。一種の錯乱状態ともいえる。菅は己の“緊急事態”を隠蔽するために「緊急事態宣言」を濫発している。稿者はそう見ている。
 昨年11月拙稿『狼爺さんのパラドクス』でも取り上げたが、「狼少年のパラドクス」というジレンマがある。不幸の予言が当たらないと次第に不幸の到来を願うようになるという倒錯だ。稿者、そんな浅ましいシャーデンフロイデは避けたい。万が一の成功は希うが、十中八九の失敗は望まない。ただし、秋の「リスクを分散」する好機には明確なオブジェクションを提示する。
 「いつまでもあると思うな親と金」改め、「いつまでもあると思うな票と金」。お粗末。 □