伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

最初で最後

2013年09月03日 | エッセー

 先日、四十年近く勤めた会社に退職願いを出した。定年までには少し間があるが、自分なりの極極卑小な『ヒデ型』を選択したつもりだ(07年5月、本ブログ「カズかヒデか」で述べた)。何にしても、このような申し出はこれが最初で、最後だ。
 養老孟司氏は語る。
◇働かないのは「自分に合った仕事を探しているから」という理由を挙げる人が一番多いという。これがおかしい。二十歳やそこらで自分なんかわかるはずがありません。中身は、空っぽなのです。仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんてふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。最近は、穴を埋めるのではなく、地面の上に余計な山を作ることが仕事だと思っている人が多い。◇(新潮新書「超バカの壁」より)
 ちょいの間「目の前の穴を埋める」つもりが、ついつい穴から抜けそびれた。もとより「地面の上に余計な山を作る」などという起業マインドも才覚もなく、気がついたら事ここに至っていた次第である。
 意外なことに、アメリカには定年制がない。四十歳以上での年齢を理由にした解雇は連邦法で禁じられている。資本主義のメッカであっても、労働者に手厚いといえる。例外は軍人と警察官などの政府関係のみだ。だから、本人の依願や能力的理由による馘首以外は、生涯働きつづけることが可能だ。なにせ履歴書に年齢や生年月日を記入する欄はなく、尋ねることも御法度である。まことにリベラルといわざるをえない。
 しかしそのアメリカも建国以前には、植民地経営は多くの年季者が担った。イギリス本国などの貧困層や元受刑者が大量に送り込まれた。彼らは渡航費すらなく、それも引き換えに契約させられた。年季奉公は、住み込みで食料や日用品は支給されるものの給与はない。年季が明けるまでは軛を掛けられる。だから英語表記“indentured servitude”は「年季奴隷制」の謂になる。かつてはほとんどの国で合法化されていたが、今や先進国では絶えてない。本邦では花魁の例外を除くと、古来徒弟制度としてあったためスレイブとは意味合いが大いに異なる。
 定年と年季明けはちがう。大いに違う。本邦ではリーガル、イリーガルの異なりがある。もちろん給与の有る無しは天地を隔つ。だがそれにしても、一脈通ずるものがあるのではないか。
 そうだ! 解放感だ。後に寂寞のしじまは寄せるであろうが、きっとそれだ。軛が外れるのだ。だからといって野山を奔放に駆け回るほどの余力はあるまいが、気持ちなりとも満喫したい。アメリカン・スタイルではこうはいくまい。いわばみんなが『カズ型』を強いられる。むしろ、截然たる閾が外在するほうが自他ともの新陳代謝に資する。稿者の場合、『ヒデ型』との合わせ技に近いともいえる。などと手前勝手で小利口な理屈をつけて、最初で最後の御願いを書いた。
 
 その申し出を差し出す時、四十に近い星霜のあわいに起こった事どもが、封筒の中で微かに蠢いた。 □