伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

山城の不思議

2010年10月12日 | エッセー

 城マニアではないが、名所、古蹟を訪(オトナ)うと必ず城、もしくは城跡がある。
 城は山城から始まり、平山城へと移り、平城に至った。ここでは、平山城、平城は措く。山城についてだ。
 山城の場合、いつも不思議なのは、なぜあそこなんだろう、ということだ。
 
 山城は、防御の拠点であった。武器、弾薬、糧秣、資金を集積しておき、非常の時に備えた。普段、領主は麓で起居する。屋形、館と呼ばれた。戦況を見て、籠城する。ために難攻不落、峻険な山頂や山腹が選ばれた。しかしそれとて地理的な孤立が過ぎると単なる疎開や不戦でしかなく、戦略的意味をなさない。籠城も戦略のひとつである。それを大筋にして勘案し、居が定められた。これが戦国初期までの築城である。

 今では山容は変わらぬまでも、裾野に展開する街区は一変している。交通網は隔世して別物となり、地理的状況は旧態を留めない。前述の「不思議」は、ここからくるのであろうか。いや、もっと深みに不思議はあるのではないか。
 たしかに航空写真でも見せられれば、そこがこの上ない適地であると判るのだが、素人目にはそうはいかない。しかし、専門家はいにしえの選択眼に驚嘆する。
 一族郎党の命運が懸かった見立てである。武将の眼力には、現今の人間には見えないものが見えていたのだろう。正確な地図などない時代である。連なる山々を望み、野を見晴るかし、川の流れを織り込んで、俯瞰図が描(エガ)けたのではあるまいか。自在な鳥の目をもっていたのでなければ、合点がいかぬし辻褄が合わぬ。

 山野の景観を戦略的に視る能力は、――デベロッパーなら換金の対象として視る能力には長けているであろうが、ここでいう「戦略的」とは言葉の本来の意味である――いまや自衛隊にしか残存すまい。しかし戦国の武士たちのそれは、機械の助力を介さない本能に近いものであったろう。当今では不思議としか言いようのない才だ。
 必要に応じた能力を獲得し得るか否かがあらゆる生き物の生存原理であってみれば、今やその種の能力が不要となり退化してしまったことに感謝せねばなるまい。ただ、依然として人間は山野に包(クル)まれて生きている。この属性は万古に不易だ。ならば、今風の視認と判断の能力が俟たれるのではないか。われらの住まう大地を、今とこれからの必要に応じ過たず見抜く力だ。エコなどという軽々しい標語じみたものではなく、もっと腰の据わった生き続けるための眼だ。遥かな後世が不思議がり、感謝してくれるかもしれない眼力だ。 □