老ホーク雑感

ホークスを中心に、野球の他、スポーツ全般の話を、何の脈絡もなく、思いつくままに書いています。

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快哉!大場投手の交渉権獲得。

2007-11-19 22:44:38 | Weblog
 今年のドラフト最大の目玉、東洋大学、大場翔太投手は6球団が1位指名、くじ引きの結果、王監督の右手が交渉権を引当てた。

 大場投手の東洋大学での成績は今更言うまでも無い。特に最後の明治神宮野球大会では三連投、準決勝の上武大戦、決勝の早稲田大戦ではいずれも完封勝利、初優勝の原動力となった。その鉄腕ぶりには「稲尾2世」の声もある。

 見るからに丈夫そう、記者会見では「本気で新人王を狙う」と宣言、頼もしい限りだ。

 2007年のホークスは、大本命と言われながら,故障者続出で調子を崩し悪戦苦闘の末、シーズン3位に甘んじ、CSでも1stステージで敗退してしまった。

 シーズンを通して辛いニュースで終始したが、大・社ドラフトでどでかいホームランを打ちあげた。パッと明るくなった感じ。

3巡目は明治大学のエース久米勇紀投手、ことしの大・社ドラフトはこの二人で選択終了。奇しくも大学選手権の王者、早稲田を苦しめた投手達だ。3年先の佑ちゃんホークス入りの因縁話になるかも分からない・・・と手前勝手なことを考えている。

 益々来春が楽しみになってきた。
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不世出の大投手、 急逝。

2007-11-14 16:55:49 | Weblog
 昨13日早朝、元西鉄ライオンズの投手、稲尾和久氏が急逝した。つい最近まで元気にプロ野球を語っていたのに・・・・俄かには信じられない。

 稲尾がどんなに凄い投手であったか、よいうことは数々の報道ですでに詳しく述べられているが、中でも1958年の日本シリーズ対巨人戦、3連敗の崖っぷちから4連投4連勝で逆転優勝した「獅子奮迅」ぶりは今や伝説化している。

 福岡在住のプロ野球ライターとして、ホークス贔屓の解説や激励、時には辛口の叱責など、ホークスフアンとして大いに楽しませて頂いた。月並みだが、惜しい人を失ってしまった。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げる。

 稲尾とホークスは奇しき因縁がある。1955年、別府緑丘高校3年生、中央では無名のエース稲尾にホークス(当時南海)は早くから目をつけ、獲得に動いていた。殆ど契約書を取り交わすばかりになっていたが、ホークスが熱心に誘っている居ることを知った西鉄が後から手を上げ、結局地の利がものを言って西鉄入団が決まった。

 1956年春のオープン戦、ホークスは大阪球場に西鉄を迎える。西鉄の先発は新人稲尾、キャンプ中はバッティングピッチャーを努めていたが、前評判はかなり良かった。しかし、たかが高校を出たばかりの新人、何ほどのことがあろうかと思ってホークスの快勝を信じていたものである。

 当時のホークスはベテランの長打と機動力が巧くミックスした強豪チーム、前年は西鉄と競り合いの末、パ・リーグを制覇した。稲尾を何回にKOするか、と楽な気持で観戦していたが、回が進んでも稲尾を全く打てない。あれよあれよという間に試合が終り稲尾は勝利投手、これは凄い新人が現れたものだと舌を巻いた記憶がある。

 稲尾はこのオープン戦で結果を残し、自信をつけてレギュラーシーズンでも大活躍、21勝6敗、防御率何と1.06(最優秀防御率)で新人王となった。この俊新人王争いで敗れたのは現在解説者の佐々木信也氏、全試合出場、180安打の成績も新人王は獲れなかった。

 稲尾はライオンズが埼玉所沢に移転後、プロ野球チームを福岡に持ってくることを悲願とし、ロッテの移転等も策したが志成らなかっただけに、ホークスの福岡移転には諸手をあげて迎え入れた。

 良き理解者、心強い後ろ盾を失ったホークすにとっては氏の急逝は痛惜の極みといえる。この上は2008年日本一奪回を誓うことこそ旅立ちの餞になるだろう。
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龍、日本一!

2007-11-02 10:44:28 | Weblog
 1-0 山井、岩瀬がパーフェクトリレー!!

 劇的な中日ドラゴンズの優勝、ナゴヤドームが揺れた。
 昨年の全くの裏返し、これで第5戦川上憲伸が勝利投手になっていれば完全裏返しになるのだが、そんなことも忘れさせるほどの山井のピッチングだった。

 8回まで24打者を完全に抑え、史上初パーフェクトゲームで日本シリーズを制するかと思った矢先、落合監督はクローザー岩瀬を告げた。球場内は勿論、TV.の前も一瞬声を失った。

 しかし、これが落合野球の真骨頂、「いつもの野球をやろう」僅差で勝っている試合は9回は岩瀬、というのがいつもの野球だった。

 53年ぶりの日本一、53年前といえば知っている人も少ないだろう。1954年、シーズン32勝(現在では考えられない数字)のフォークの神様、杉下 茂が強力打線の西鉄(現在の西武)をフォークで完全に押さえ、一人3勝を上げてMVPに輝いた年だ。

 敗れたり、とは言えダルビッシュも見事だった。打線の援護がない中、一人マウンドを死守する姿は凄絶なものだった。心から拍手を送りたい。

 MVPは中村紀洋、シーズン前は思わぬ就職先探しで地獄を見た。中日に拾われたが支配下でもない練習選手、地獄から這い上がったノリはチャンスに強い打撃が蘇えり、奇跡とも言える活躍でドラゴンズの日本一に貢献した。
 喜びの涙が印象的だった。

 これで国内の公式試合は完了した。ほっとした感じと一抹の寂寥感、しかし、2008年のシーズンに向かって、各球団のチーム作りは始まっている。
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