YANBO'S BLOG 「四季折々」
何や此れと日々徒然

大阪の街を中心に、写真を撮り歩いています。
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とあるネット上の知り合いがつぶやいていた。
で、気になった。



> 気になる事再び。私達夫婦は子供に恵まれなかったが、私の部下もそう。同僚会話でも子供有りき、未だ無い人に対する侮蔑に近い発言もある。部下は都度やり切れない顔をしていたが不妊は原因不明も多く諦め所が難しい。目には見えない不自由がある事を分かれとは言わないが知っていて欲しいと願う。


言われたくない事を言われるのはつらい。

でも圧倒的に、夫婦で暮らしていて、望むと子供もがいる家庭が多い。平たく言うと、「普通、結婚すると子供がいて当たり前。」となる。
それも、健康で五体満足な子が居て当たり前。それが、普通の家庭となる。そして、その様な家庭が圧倒的に多い。

私の場合、「種無し」では無く「玉無し」と言う事になる。
子供の時、睾丸が降りなくて体内に残り、手術で摘出している。一歳にも満たない時なので、記憶は全然無い。
もちろん感謝している。子供が作れない代わりに生きているのだから。

思春期には悩んだが、例えばクローンなら子供が出来るんじゃないか?とか。
生物としては失敗作か?とか。今は、笑って話せる。
ま、自ら話しませんけどね。話されても、相手は返事に困るだけだし。
ただの、首の短いキリンかな。私のDNAは後世に残らなかった。ただそれだけ。

私の場合、始めから子供は作れないし、努力してもしょうがない。物理的に精子を作る器官がないのだから。だから未練も何も無い。
E子も承知で付き合ってるし、連れ子が居たので、それも幸いだった。血は繋がっていないが、かわいい。自分の子だと思っている。
もう成人なので、かわいいは可笑しいのだが。

さて、ここからが本題。
世の中、普通の家庭が圧倒的に多い。
だから、私も初めて会った人に聞く時、
「玉無しですか?お子さんは連れ子ですか?」とは聞かない。


「お子さんは、もう大きいのですか?」と聞く。もちろん「お子さんは、病弱でもうアカンのですか?」とも聞かない。

相手に子供がいようが、いよまいが、結婚していようが、いよまいが関係ない。

他人さんなので、落語の「子褒め」の要領だ。大きく健康で、立派で、聡明で。そっちの方に聞く。

人も私にそう聞いてくる。
その時は、
「実は私は・・・。」とは答えない。
「そうなんですよ。もう24ですけど、まだまだ、全然あきませんわ。」と答える。

本当の事は答えない。どうせ、次いつ会うか解らないし、憶えているとも限らない。

「これでいいのだ。」と思う。

大阪弁の挨拶に、
「ええ服着て、どこ行きますのん?」
「ちょっとそこまで。」
「そらよろしおましたなぁ。」
と言うのが有る。

どこに行くのか解らないし、何が良いのか解らない。
それでも挨拶が成立するのだ。


結婚すると、自分にも子供が出来ると思っていた人はショックだろう。
なぜ?自分だけ出来ないのだろう?と産婦人科にも通う。夫婦が居て、子供が居て、それが普通だと思っているから。
そこは、私とは少し違う。

人に聞かれると、攻められてると感じるかもしれない。

落ち込んで、立ち直って、歩き出す時間は人それぞれ。

「そんな事は聞かないで!」と、心の傷を舐めるしかない時期も有る。
それはそれで、「これでいいのだ」。

心の傷は持っていても、「いや~、実は・・・。」と答えられる人もいる。
それもそれで、「これでいいのだ」。

傷を持たないと、他人の傷の痛みがわからないから、神様からの贈り物。そう思うしかない。
だから、「これでいいのだ」。

子供だけではない。連れ合いを亡くされた方や、別れた方。
体に障害を持っている方。
みんな同じ。
心の傷に触れられたくないのだけど、他人は土足で入ってくる。
な~に、気にする事は無い。自分も、他人の心に土足で上がりこんでいるのだ。お互い様である。

ワザとじゃない、悪意が有る訳でもない。デリカシーが無いだけである。
他人の心の傷が何処に有るかなんて、誰も知らないから。

「そこ、痛いんですけど。」って言うか、「じっと耐える。」か。

「笑って、ギャグにして。」やり過ごすか。





神様が人にくれた贈り物の中に、
「忘れる」と「慣れる」があるらしい。

そのうち、立ち上がって、前に歩き出す日が来る。

それまで、痛いなぁ。ただただ痛いなぁ。気づいて欲しいなぁ、そこ痛いから。







天の神様、仏様、阿弥陀様に何かわからない大いなる運命。
それが、「あなたはこれで生きなさい。」とくれた命である。

子供が出来なくても、結婚して無くても、
「これでいいのだ」とおもう。
贅沢を言えば罰が当たる。生きているんだもの。

医者や周りの人、みんなが助けてくれて、あれから45年生きてきた。たぶん、これから30年ほど生きていく。

だから、「これでいいのだ」。

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