鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

篤人、鹿島入団こぼれ話

2012年12月21日 | Weblog
なぜ内田篤人は高卒1年目で鹿島のスタメンを勝ち取れたのか?
今週21日に発売される『フットボールサミット第10回――内田篤人が愛される理由。』の制作より、こぼれ話をひとつ。
本誌掲載の企画「鹿島アントラーズとの幸福な関係 ―内田篤人がいた4年半―」。


2012年12月21日
text by 田中滋 photo Kenzaburo Matsuoka


 今週21日に発売される『フットボールサミット第10回――内田篤人が愛される理由。』の制作より、こぼれ話をひとつ。

 本誌掲載の企画「鹿島アントラーズとの幸福な関係 ―内田篤人がいた4年半―」。

 執筆いただいたのは、5年間、鹿島アントラーズを追いかけるライター・田中滋氏。

 鹿島でプロ選手として成長し、鹿島から巣立った、出世頭の内田篤人選手の原稿を依頼すると、「アツトについて、一度は書いてみたかった」と内田選手への思いも一入でした。

 そんな鹿島への深い愛情を持っている田中氏。その深さゆえに原稿へのこだわりもある。

 だからこそなのか、じっくりと執筆する。
 本紙校了が12月12日。原稿が届いたのが12月11日。

 まさに、“じっくり”と、だ。

 ただ、リミットぎりぎりで送られててきた原稿の端々に、登場いただいた鹿島関係者の内田選手への愛情が随所にしたためられていました。編集部・川口にとっては、これが思わず、“グッ”とくる内容。今回、鹿島の鈴木満常務取締役兼強化部長、椎本邦一スカウト部長、小笠原満男選手、岩政大樹選手に内田選手について聞いた内容のなかから、以下を抜粋してみました。

内田を鹿島に連れてきた男

 そんな内田篤人を、鹿島に連れてきたのは椎本邦一だ。

 鹿島のスカウトは、選手獲得の決定権を握っている。

 クラブによっては、スカウトが目を付けた選手を練習させ、監督などが最終判断を下すところもあるようだが、鹿島はその権限をスカウトが持つ。

 それまで不動の右サイドバックとしてチームを支えてきた名良橋晃に怪我が多くなり、クラブとしても次の右サイドバック候補を探さなければいけない時期に差し掛かっていた。

 椎本の決定は重大事項だったが、そこに迷いはなかった。

「パッと見た第一印象だよね。高校3年生になったら声をかけようと思った」

 足が速くて、前に行ける選手。その着眼点で選手を捜したとき、目に入ってきたのが内田だった。

「足が速かった。それに、あいつはキックも巧いんだよ。縦パスを出すタイミングが独特だった。あの年代のなかでは巧かったんじゃないかな。守備はまだまだだったけど、そこは入ってからでも覚えられるし、気にならなかった」


内田篤人【写真:松岡健三郎】

鹿島のサイドバックに求められるもの

 鹿島のサッカーは、Jリーグが開幕してからずっとブラジル流を貫いている。
 
 主な布陣は[4-4-2]のボックス型。

 この布陣は、2列目のMFが流動的にポジションを変えながら内に絞るため、サイドからも分厚い攻撃を仕掛けるにはサイドバックの攻撃参加が不可欠となる。

 鹿島のサイドバックを務めるためには、まず第一に攻撃力が重視されるのだ。

 その選手像に、内田はピタリと合致していた。

 しかし、アルビレックス新潟など、いくつかのクラブも興味を示していた。

 ここから獲得競争を勝ち抜いていかなければならないのだが、椎本のやり方はいつも正攻法だ。

 クラブのありのままを見てもらい、選手自身に判断を託すのである。

「篤人だけじゃなく、声をかけた選手みんなに言うんだけど、プロの世界は厳しい世界だよ、とちゃんと伝える。良いことばかり言っても仕方がない。ただ、声をかけたということは、いま鹿島にいる選手とポジション争いができると思うから。体作りもしないといけないし、2、3年は我慢することになるかもしれないけれど、下から上がっていって欲しい。あとは自分でしっかり考えて決めてくれ、と話すようにしてる」

 内田のときも、勧誘のために特別なにかをしたわけではなかった。

 高校3年生の夏休みに、トップチームの練習に呼び寄せたくらいだろうか。
 
 別段珍しいことではなかったが、もしかしたらこのスケジュールが幸いしたのかもしれない。

 そのときはリーグ戦の最中ということもあり、主力組は簡単なメニューだけで引き上げ、サブ組だけでゲーム形式の5対5をやることになった。そのサブ組の居残り練習に、累積警告で次節は出場停止となった小笠原満男も参加していたのである。

「たまたま出場停止かなんかで満男もサブ組に入ってたんだ。篤人は満男のことが怖かったって?(笑)」

 椎本も、その日のことをよく覚えていた。
 
 内田にとって、06年のW杯に2大会連続で出場することになる日本代表MFとの初めての出会いは、強烈な印象を残す。


内田篤人【写真:松岡健三郎】

内田は顔だけじゃない

 それが幸いしたわけではないだろうが、鹿島のレベルを肌身で感じた内田は、鹿島に加入することを決める。

 そして、1年目からアウトゥオーリ監督に見出され、開幕スタメンを勝ち取るのだった。

「見てる方はドキドキだったよ」

 開幕戦を両親と同じような気持ちで見守った椎本。

 失敗するんじゃないか、守備の弱点を突かれるんじゃないか、心配ばかりが頭をよぎった。

 しかし、内田は先制点に繋がるPKを獲得するなど、監督の抜擢に応える活躍を見せるのだった。

「外国人の監督にとって、高卒とか、年齢とか関係ない。自分が良いと思えば使う。それが良かったのかもしれない」

 とはいえ、たまたま運が良かっただけではない。

「抜擢されて、そこでちゃんと仕事をするから、自分のポジションを掴み取れる。そこがすごい。ドイツに行っても言葉がわからなかったり大変だと思う。でも、試合に出られなくなったことがあっても、そこからポジションを奪い返してる。たくましくなったよね。大したもんだな、と思う」

 椎本の目から見ても、内田は高校時代から能力がずば抜けた選手ではなかった。

 足の速さは目に付いたが、試合に絡んで来るのは2、3年後と予想していたくらいだ。

 しかし、実際には、それを軽々と飛び越えて成長していく姿があった。

 だからこそ、日本に帰る度に内田が鹿島に立ち寄ってくれることを、椎本は嬉しく思っている。

 その姿は、必ず若い選手にとって良い手本となるからだ。

「顔はいまどきのイケメンかもしれないけど、芯が強いな、と思う。篤人はいつも先を考えてた。

『いまはこれ位だから、ここまで到達するにはどれ位やらなければならない』ということがわかっていた。

 だから、絶対に天狗にはならないよね。『これでいいや』と、満足しない向上心を持っていた。

 現役の最後までヨーロッパでやって欲しいよね。

『日本人にいい選手がいた』『内田篤人というすばらしいディフェンスがいた』と言われるくらいになって欲しい」

「なんか、良いことばかり言っちゃったな」と、少しばつの悪そうな椎本だったが、その目尻は終始下がったままだった。

 本誌では、この他にも3名の方より内田選手の鹿島時代についての話を聞いています。こちらの掲載に承諾していただいた田中滋氏に感謝。そして、 よろしければ、『フットボールサミット第10回』をご一読下さい。


フットボールサミット第10回のこぼれ話である。
椎本スカウトが篤人をどのように鹿島へ招き入れたが語られておる。
2005年にオファーした際は、鹿島としては後にFC東京へ入団する徳永が右SBの後継者と考えておったフシがある。
しかしながら、徳永は鹿島を選ばず、2006年シーズンは篤人を大抜擢して開幕戦を迎えることとなった。
その後の篤人はみるみる成長していき、大いなる選手になったことは誰もが知ることであろう。
U-19日本代表としてアジアを戦い、U-20ワールドカップに出場し、北京五輪メンバーとなる、フル代表の右SBと駆け上がっていった。
鹿島に於いても三連覇に多大なる貢献をしたことで知られておる。
右SBと言えば内田篤人と日本人ならば誰もが思う選手となったのである。
その裏には椎本スカウトがいたことを忘れずにおきたい。
これからも良い選手を鹿島に導いてきて欲しい。
よろしくお願いします。

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2 コメント

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Unknown (横鹿)
2012-12-22 01:46:55
大学でもNo.1SBで五輪代表で当時ヴァレンシアも獲得に興味を持っていた徳永じゃなくて内田篤人。

大分トリニータでの活躍で代表候補にも名があがって益々活躍も期待された金崎ムウじゃなくて柴崎岳。

即戦力じゃいずれも前者だったかもしれないけど、結局は後者が正解ってパターンはよくありますよね。
俺も06年の開幕戦はびっくりしたのを憶えてます。
篤人?潤じゃなくて?って。

もっとびっくりしたのは帰ってきた柳沢が突然のハット。
Unknown (S)
2012-12-22 02:10:08
ハッキリ申し上げて、鈴木満さんや椎本スカウトさんを始めとする強化部は、鹿島の強さの源であると思っています。

世代交代は選手間だけの問題ではなく、強化部のスキル継承も含めてのこと。鹿島アントラーズファンとして、彼らのような最強の強化部にチームを任せることことが出来るのは誇らしい。

椎本スカウトについて、この場で敢えて告白させてもらうことがあります。
ずっと前から、イタリア代表のDFキエッリーニに似ているなと思ってました。
最強のスポーツブランドであるナイキ社様のコルテッツをいつも愛用されておられるのも気になっていました。