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≪注目記事≫ 作家渡辺淳一氏が語る戦争の真実 

2008年12月22日 21時15分14秒 | 政治・社会
■ 【本当の昭和日本の歴史連載1】 作家渡辺淳一氏が語る戦争の真実 

「日刊ゲンダイ2008年12月23日付け」

「半裸で両手両足を棒に縛られていた朝鮮人労働者が忘れられない」

「75歳のぼくは戦争を超学校で体験している。当時の日本人が朝鮮や中国の人に何をしてきたかを見ているのです。僕は特別に調査、研究をしたわけではない。当たり前のこととして、日本人が彼らを差別し、虐げ、文化を破壊したことを知っているのです。」

作家の渡辺淳一氏は静かにこう語り始めた。当時の日本人であれば、誰でも知っている大陸への拡張政策と中国、朝鮮人への差別、虐待。ところが、日本の歴史教育はそれらをきちんと教えていない。田母神前空幕長のように「日本は侵略国家ではない」などという妄言が出てくる。その真否が論争になったりもする。

戦後60年以上たった今、渡辺氏のような戦中、戦前派には信じられない光景が繰り広げられているのだ。

渡辺氏には今も目に焼きついている残酷なシーンがあるという。小学校低学年の頃である。

「当時、僕は北海道でもっとも大きな炭鉱があった三井砂川に住んでいました。市外の外れの崖下に炭鉱労働者の飯場があった。そこには絶対近づいてはいけないと言われたものです。朝鮮人労働者が毎夜『アイゴー、アイゴー』と泣く声やムチで打たれていることがある、と聞いたからです。

ある日の夕方、見てしまった。市街地の道路が騒がしいので行くと、半裸で半死半生の朝鮮人労働者が獣のように両手両足を棒に縛られ、運ばれてきたのです。大人達に聞くと、棒頭に逆らったので制裁を受けたのでは、と言う。『死んじゃうんじゃないの?』と聞くと、黙ったまま何も言わなかった。とにかく、白昼堂々、道路の真ん中であんな姿を見せるとは、かって戦争中、日本人はこういうことを平然としてきたのです」

それでも侵略ではないと言うのか

炭鉱では、先山と呼ばれる炭鉱の最先端が一番危ない。落盤事故やガス漏れがよくあるからだ。抗道にはトロッコで入っていく。一両に十数人ずつ、何両かが連結されている。朝鮮人労働者は決まって、トロッコの端に乗せられ、先山に送られていった。坑道の奥には身もすくむような闇が広がっている。

朝鮮人労働者は恐怖で泣き叫んで抵抗したという。しかし、棒頭は殴り、蹴り、言うことをきかせる。多くの人が見てきた歴史の真実だ。

北海道と並ぶ炭鉱地帯の「筑豊」(福岡県飯塚市周辺)でも似たような話がゴロゴロある。1942年、麻生財閥系の炭鉱に強制的に連行された文有烈氏(当時25歳)のケースはこうだ。<家に巡査らが押し入り、「私たちを置いていかないでおくれ>と妻が叫ぶ中、文氏は家の外に連れだされ、迎えのトラックに積み込まれた。行き着いたのが麻生鉱業の赤坂炭鉱。ガスの異常発生と地熱で意識朦朧となる採掘現場では、少なくとも30人が坑内事故で亡くなった>(林えいだい著『消された朝鮮人強制連行の記録』)

日本人の証言もある。朝鮮人と一緒に炭鉱で働いた古賀博演氏である。

「朝鮮人たちは、日本人から鞭をもらいながら、暗闇の労働に追い込まれて死んでいった。(中略)。病気と疲労でどんどん死んでいっても、一人死ねば、一人朝鮮から強制連行してくればいいと、彼らは戦時消耗品に過ぎなかった」「(筑豊の)ボタ山を見ると、赤いどろどろした血が、べっとりとついているように見えてね」(同)

1910年の「日刊併合」によって完全に植民地とされた朝鮮では「大日本帝国の臣民」として日本語教育に力が注がれ、日中戦争開戦後の38年には学校での日本語の使用が義務付けられ教科書も日本と同じものになる。翌年から日本名への改称である「創氏改名」が任意の形をとりながら強く進められた。

渡辺氏が指摘するように、日本は彼らの文化まで壊したのである。現在の日本もこうした歴史から目をそむけるわけにはいかない。

(つづく)

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