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《注目意見》 高橋洋一さんのこと 竹内薫氏

2009年07月08日 10時50分31秒 | 政治・社会
■ 高橋洋一さんのこと 竹内薫氏

2009.07.05 薫日記

http://kaoru.txt-nifty.com/diary/2009/07/post-e6ca.html

性悪説では、人間というものは、そもそも悪いことをするようにできていると考える。

性善説では、人間というものは、そもそも善いことをするようにできていると考える。

 もちろん、現実の世の中は、この両極端のあいだのさまざまなグラデーションの人間が蠢(うごめ)いている。

 なんで、こんなことを考えているかといえば、高橋洋一さんと夕食をともにし、その席で件(くだん)の「事件」の一部始終をご本人の口から聞いたからだ。(私の口からは、その詳細を語ることはできない。高橋さんは、公に語っても信じてもらえまいと、諦めている。)

 前にこのブログで、警察発表が「作文」のようで、非論理的なために理解しがたい、と書いた。あまりにも内容が不自然であり、当日の高橋さんの取った行動が説明できないからだ。(どのような点を不自然だと私が感じたのかは過去ログをご覧いただきたい。)

 警察発表が不自然だったのは、そもそも善意から出た行為を無理に悪意にねじまげて解釈したからだ、というのが私の結論だ。

 世間の人は、「それでも高橋さんは罪を認めたじゃないか」と言われるかもしれないが、認めたというよりは、顧問弁護士の意見にしたがって、きわめて短時間のうちに「司法取引」をせざるをえない状況に追い込まれた、というのが実際に起きたことだと私は感じた。

「認めなければ、逮捕され、拘留され、裁判沙汰になってしまう」
「認めれば、書類送検と(十中八九)起訴猶予で済む」と言われたら、あなたならどうするだろう? 痴漢の冤罪事件にも見られる典型的なパターンだが、これは、誰にでも起きることなのだ。

 高橋さんは、時計や金銭なんて見てもいないそうだ。(ご本人はそもそも時計をつけない人だし、お金も充分にもっている。)また、よく通う施設であり、防犯カメラが設置されていることも知っていたという。

 警察は人を疑うのが仕事だから、性悪説にしたがって「事件」と解釈するのは仕方がないが、いったん警察に疑われたら、もう逃げ道はない。それが「冤罪」の構図である。それは、政府の中枢にいて、高度な政治判断をしてきた高橋さんのような人物でも例外ではない。

 昔の人は、「李下に冠を正さず」と言ったが、誰でも運命の罠に陥る危険と隣り合わせなのかもしれない。

***

 今回、私は性善説をとり、高橋さんは「シロ」だと信じた。犯罪を犯す人には、常に「パターン」が存在する。過去のパターンが全くないことも、私が高橋さんを信じる理由の一つだ。

 今後、まったく「パターン」が見られないのであれば、おそらく、「事件」は警察が無理につくりあげてしまったものであり、万が一、同じような事件が起きた場合は、私の目が曇っていた、ということになる。

 仕事上のお付き合いがある以上、私は「どっちでもいいじゃない」と判断を保留するわけにはいかない。だから、警察発表と雑誌報道と高橋さんの言葉を比べ、自分にとって「論理的」かつ「自然」と思われる解釈を取った。(残念ながら、テレビと新聞の報道は警察発表そのままなので判断材料にならなかった。)

 今後、高橋さんを信じて、微力ながら、書籍の仕事で高橋さんが「社会復帰」する応援をするつもりだ。

 追記:私は高橋さんご自身の事情説明を公にすべきだと思うが、現時点では、まだそれは望めないらしい。世の中の趨勢が性悪説ならば、それもいたしかたないことなのかもしれない。

(終わり)

配信者追記:【高橋洋一氏の説明Wikipediaより】

東京都巣鴨出身。東京都立小石川高等学校卒業後、東京大学理学部数学科に進学。再び東京大学経済学部に進学し卒業後、大蔵省(後の財務省)入省。大蔵省理財局資金企画室長、プリンストン大学客員研究員、国土交通省国土計画局特別調整課長を歴任した後、小泉内閣において竹中平蔵大臣の補佐官、2006年安倍内閣において内閣参事官に就任。2008年3月に退官した。

専門分野は財政学。主な研究テーマは財政、マクロ経済、年金数理、金融工学である。中川秀直のブレーンとされている[2]。「官僚国家日本を変える元官僚の会」発起人。プリンストン大学滞在中、当時同大学経済学部長のベン・バーナンキ(第14代FRB議長)の薫陶を受け、金融政策にも造詣が深い。

 博士(政策研究)(千葉商科大学)。2009年の金融危機では、景気浮揚のため日本銀行を関与させない政府紙幣の大量発行を提言した。

幼少期は数学者を志していた。NIFTYでは、Quarkというハンドルネームで、活動していた。大蔵省(後の財務省)にあって数学科出身という異色の経歴の持ち主である。本人の弁を借りれば、大蔵省は話題作りのために、変わった人間を年に一人くらいは採っているらしく、さらに学生結婚までしていたため、余計に珍しがられたそうである。

 竹中平蔵との出会いは、高橋が財政金融研究所に勤務していた折、竹中が日本開発銀行(後の日本政策投資銀行)から同研究所に出向し上司になったのが始まり。その後プリンストン大学留学中の2001年2月にニューヨークで再会。同年7月に帰国した高橋が竹中大臣を訪ねたのをきっかけに、竹中大臣のブレーンとして構造改革に携わるようになる。道路公団の民営化、政策金融機関の改革、郵政民営化に携わる。特に郵政民営化においては4分社化、並びに郵政公社の廃止後直ちに商法会社(郵貯、簡保)へ移行させる措置は、高橋のアイディアである。

 プリンストン大学滞在中にベン・バーナンキの薫陶を受け、金融政策にも造詣が深い。このため大蔵省在籍中から、日本銀行の金融政策をことあるごとに批判する発言を繰り返した。いわゆるリフレ派と目される。構造改革論が盛んに論じられた2002年、構造改革の模範と目されたニュージーランドでは1999年に「デフレーションに陥る危機に見舞われたのを金融政策によって克服した」と指摘した。

 2009年3月24日、東京練馬区の温泉施設「豊島園庭の湯」のロッカーから約30万円相当の腕時計や財布を盗んだことが、警視庁練馬署の捜査で判明。同30日、窃盗容疑で書類送検された[8][9]。この結果、2009年4月20日付けで、東洋大学経済学部教授を懲戒免職となった[10]。東京地検は、2009年4月20日付けで、「被害品はすぐに戻され、社会的制裁も受けている」として起訴猶予処分とした。

(終わり


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