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《注目記事》 なぜ、ソマリアで海賊が暴れるのか 環境学者 石弘之 氏

2009年07月01日 11時09分07秒 | 政治・社会
■ なぜ、ソマリアで海賊が暴れるのか 環境学者 石弘之 氏

2009.06.26 BPNet Eco Japan 石弘之「地球危機」発 人類の未来

http://eco.nikkeibp.co.jp/article/column/20090623/101711/?P=1

ソマリア近海で海賊が出没し、船舶を乗っ取っては高額の身代金を要求する。この海賊の正体は何か? ソマリアでは無政府状態が続くのをいいことに、好漁場だったこの近海に欧州やアジアの漁船が殺到して漁場資源を枯渇させ、海岸には欧米やアジアの企業が有害廃棄物を不法投棄してきた。この乱獲と汚染で生活できなくなった漁民が海賊になったのだ。

20年間続いた無政府状態

海賊の被害の急増で有名になったソマリアはアフリカ大陸の東北端にあり、インド洋に突き出した国の形状から「アフリカの角」とも呼ばれる。イタリアとイギリスの植民地だったが、1960年に独立した。だが、6つの氏族に分かれていて、独立直後から今日まで覇権をめぐる抗争が続いている。

三つ巴の内戦の末に、1991年に中部のソマリア最大勢力のアイディード将軍が、首都のモガディシオを制圧する。しかし、今度は派内で内部抗争が発生して、新たな内戦が全土に拡大してソマリアは無政府状態に突入した。それぞれの勢力は、機関銃、大砲、戦車、装甲車まで保有する数百人から数千人の規模の民兵を抱えている。

彼らは武装強盗となって略奪を繰り返した。このために飢餓が広がって餓死者や殺害されたものは30万人を超え、対岸のイエメンや隣国のケニアに脱出する難民も急増した。国連、赤十字、NGO(非政府組織)が1992年から食料援助を始めたが、武装勢力に援助物資を略奪され、NGOの活動家が殺されて援助活動どころではなくなった。

国連安保理は初の「人道目的のPKF活動」を決定、米国が主力となる多国籍軍がソマリアで「希望回復作戦」を展開し一時的に秩序が回復した。たが、1993年4月米国軍が撤退すると同時に、アイディード将軍は再び勢力を盛り返した。

8月に事態を打開するため、約100人の米軍の精鋭部隊が首都モガディシオの敵陣の真っただ中へ乗り込んだ。当初の作戦では将軍派の幹部らを捕らえるはずだったが、3週間の予定が6週間を
過ぎても任務は終わらなかった。それどころか、作戦中に民兵のロケット砲攻撃で、2機のヘリが敵地のど真ん中で撃墜された。2002年に公開された米国映画「ブラックホーク・ダウン」はこの事件のドキュメンタリーである。

ヘリのパイロットの死体が裸にされて市内を引きずり回され、この映像が世界に流された。米国の世論が激高し、クリントン政権はソマリアからの米軍の撤退という屈辱的な決定を下した。結局、この作戦では18人の米軍兵士と1人のマレーシア兵士が死亡した。

この苦い経験がその後の米国のトラウマとなり、1994年に100万人以上が惨殺された
ルワンダ内戦などに、軍を出動させなかったことにもつながった。アイディード将軍は1996年、対立派との戦闘中に銃弾を受けて死亡した。米紙の報道によると、CIA(米中央情報局)が関与していたという。

ソマリアは依然として混乱の極にある。隣国エチオピアが後ろ盾になる「暫定連邦政府」と、さらにその隣国エリトリアが支援する「イスラム法廷会議」という2大勢力の戦闘が絶えない。一人あたりのGDP(国内総生産)は600ドルほどで福祉制度や医療体制が大きく立ち後れ、平均寿命は49歳と短い。国民の半数は飢餓状態で、子どもの4人に1人は5歳までに死亡する。

200万ドルの身代金

海賊が出没する紅海からアデン湾にかけては、5つの海賊集団が出没し、約1000人の武装メンバーが活動している。海を熟知し、船の操縦ができる元漁民がリーダーになり、火器の扱いに慣れている民兵が襲撃を担当、GPS(全地球測位システム)などを使える元船員らが機械を担当しているという。武器はイエメンなどからも調達するが、内戦が続いているだけにソマリアの国内で簡単に手に入る。

船外機を付けただけの小型のグラスファイバー船をロケットランチャーなど重火器で武装、標的に近づくや縄ばしごを甲板に投げ入れるなどして乗り込む。「自分らの漁場を荒らされた」ことを大義名分にして身代金を要求する。身代金額は50万ドルから200万ドルにまで及ぶこともある。

海賊たちに政治的要求や宗教的動機は見られず、身代金を取ることが目的である。人質に対しての暴力や虐待などはほとんどない。人質の生命を保証し、食事はもちろん、たばこや酒などの嗜好品与えられている。船会社からの身代金は米ドル紙幣を指定して、ヘリコプターから包みに入れて指定した地点に投下するか、防水スーツケースに入れて小舟で流す、などの方法がとられる。

スエズ運河からインド洋を往来する年間約2万隻の商船にとっては、恐怖の航路である。2005年に入って多発するようになり、2007年以後はその被害範囲もソマリア沖の700kmぐらいまでに広がってきた。現在では、世界で年間発生する海賊事件の3分の1がこの海域に集中する。国際海事局(IMB)によると、2008年に起きた海賊事件は111件で、前年に比べて3倍近く増えた。

42隻が乗っ取られ、815人の乗組員が人質になった。日本が関係する船舶も12隻が発砲を受け、うち5隻が乗っ取られて人質も前年比で5倍の105人になった。日本は、2009年3月に船舶護衛のために海上自衛隊を現地に派遣した。

国際海事局によれば人質になっている船員は約580名におよび、保険料率の引き上げやソマリア海域を通過する船舶への船員の乗り組み拒否などが起きている。世界的な経済危機のなかで、海運業界にも大きな影響が出ている。

外国漁船の乱獲と有害廃棄物

3300kmもあるソマリアの海岸線はアフリカで最長だ。この海域は、マグロ、エビ、サメなどの豊かな漁場でもある。かつては漁業を育てるために、日本やデンマーク、英国、スウェーデンなどの欧州各国がソマリアの漁港を整備して漁船を援助したこともある。そのときに提供されたグラスファイバー製漁船も、海賊船に使われている。

だが、ソマリアが無政府状態であるのをいいことに、沿岸を支配する勢力が勝手に「漁業権」を外国の水産会社に切り売りを始めた。むろん、違法である。スペインなどのEUの大型漁船団がソマリアの200カイリ経済水域内に入り込んでトロール漁で乱獲した。そのマグロは日本にも輸出された。

さらに、台湾、中国、韓国、タイ、ケニアなどの漁船も、荒らし回っている。これらの外国漁船は年間700~1000隻にもおよび、漁業高は1~3 億ドルに上ると推定される。ソマリアの漁業専門家は、外国の漁船団の漁り火で「ソマリア近海の夜はニューヨークのマンハッタンの夜景のようになった」と語っている。

海上警備などができないために違法操業を取り締まれず、漁業資源はみるみる枯渇していった。もともとソマリアでは魚介類の消費は限られ、1980 年にはわずか4000tの漁獲しかなかったが、1990年代には6万t前後に増え、輸出に回された。政府崩壊とともに外国漁船が殺到して、1999~2003年には12万tにも跳ね上がった。その乱獲がたたって、最近は3万t前後にまで減り、漁民の収入の道が閉ざされた。

国際環境保護団体グリーンピースは、具体的にスペインの漁船団の名を挙げて外国船による魚の略奪と汚染を「海賊行為」と非難する。EUに対して断固たる経済的・法的措置をとるよう求めたが、ほとんど無視されてきたという。ソマリアの漁師は2006年に、「外国の漁業船団が、ソマリア国家の崩壊を漁業資源の略奪に利用している」と、国連に苦情を申し立てた。だが、再三の要求にもかかわらず、国連は対応しなかった。

ソマリアの海岸地帯では、もう1つの深刻な問題が起きている。スイスやイタリアなどの欧州企業や米国やアジアの廃棄物処理業者が、1990年代初期にソマリアの政治家や軍指導者と廃棄物の違法な投棄協定を結んだ。そして、ソマリアの海岸へ鉛、水銀などの重金属や有毒化学物質を含む廃棄物や感染の恐れのある医療廃棄物などを大量に投棄してきた。そのなかには、処理が困難な放射性物質も混じっていた。

違法投棄が明るみにでたのは、2005年のクリスマスに発生したインド洋の大津波だった。震源地から4000km以上離れたアフリカ東海岸にまで押し寄せ、ソマリアでの沿岸部では8000世帯が被災した。巨大な波によって海岸に積み上げられた有害な廃棄物が流れ出し、それがまた岸に打ち上げられて広い範囲が汚染された。

国連環境計画(UNEP)の調査では、少なくても300人が放射線障害にかかったという。これ以外に、数万人のソマリア人が有毒な化学物質に接触して発病した。UNEPによると、有害廃棄物の処理費用は、欧米で合法的に処理するに比べて海岸への投棄は数百分の1ですむという。乱獲と汚染によって漁師は漁業が続けられなくなった。

ツケとしての海軍派遣

海賊の正体は、元漁民が圧倒的に多いといわれる。これに、民兵や失業した沿岸警備隊員らが加わっている。なぜ、彼らが海賊に走ったのかはいろいろと説がある。ある海賊は外国メディアに登場して「漁業で食べていけなくなった漁民が、自分たちの手で外国漁船を追い払うために武装した」と答えている。彼らは、自分たちのことを「ボランティア沿岸警備隊」と呼ぶ。

しかし、海賊はきわめて高度に組織化されており、ある有力氏族が作り上げた密輸組織が母胎になったとする説もある。アフガニスタンからパキスタン、ソマリアを経由してアラブ諸国やヨーロッパ方面に麻薬を密輸していたが、もっと割のいい海賊業に転じたというのだ。

もともとは自衛ために武装した組織だったが、2007年以降、海賊行為の「収益性」の高さに目を付けて漁民らが進んで海賊行為に精を出すようになり、これに民兵や密輸組織が目を付けて参入してきたという説も有力だ。

インド洋に面したエイルなどの港町では拿捕(だほ)された船が停泊し、地元住民は海賊関連ビジネスの恩恵にあずかっている。海賊と船会社などの間に入って人質解放や身代金交渉を行う警備会社、海賊被害に対して交渉費用や身代金などを扱う保険会社もオフィスを構えた。さらに、人質への食事などの面倒をみる各種のサービス業もあるともいわれる。海賊らは身代金で豪邸を建て、その暮らしぶりは現地の憧れになっている。

海賊行為を弁護するわけではないが、各国は海軍を派遣するのではなく、欧米の大企業に有害廃棄物の投棄をやめさせ、汚染や乱獲の被害を受けた漁民を補償して自活できる道をもっと早く考えるべきだったのではないか。身代金や海軍の派遣など莫大な出費を強いられることになった。

(終わり)






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