■【隠れた世界企業】 和製マフラー、NYの定番に
松井ニット技研(群馬県桐生市・ニット製造業)
日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090129/184282/?P=1
近現代アートの最高峰と言われるニューヨーク近代美術館(MoMA)。
その「MoMAストア」で販売数量1位を5年続ける和製マフラーがある。
伝統的な編み物技術を生かして、見事に世界ブランドを立ち上げた。
群馬県桐生市。桐生駅前の住宅地で細道を折れると、「松井」の表札がかけられた民家に当たる。
建造100年以上の木造住宅だ。扉の向こうからかすかに編み機の音が聞こえなければ、そこが「松井ニット技研」の編み物工場の入り口と知ることは難しい。
ある時、2人の米国人がこの民家のような工場を訪れた。
玄関で靴を脱ぎ、畳敷きの客間に通される。座布団を勧められたが、正座はもちろん胡坐をかくことも彼らには難しい。
結局、両足を投げ出すように伸ばしてちゃぶ台に向かった。
ちゃぶ台の上に、色鮮やかな縦じまのマフラーが置かれた。2人はため息をつくようにそのマフラーを眺め、手に取る。
指先に柔らかな感触、豊かな収縮、そして大胆に原色を織り成したデザイン。
「素晴らしい」
2人はニューヨーク近代美術館(通称、MoMA)のデザイナーとバイヤー(仕入れ担当者)だった。
世界中を飛び回り、優れたデザインの商品を発掘して仕入れるのが彼らの仕事だ。
サルバドール・ダリの「記憶の固執」、パブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」など20世紀の美術品を多く収蔵するほか、米IBMが開発したノートパソコン「ThinkPad 570」を展示するなど、MoMAは工業分野のデザインにも光を当てる美術館として知られる。
近現代アートの最高峰と呼ばれるゆえんだ。
「MoMAストア」は、MoMAの“目利き”が世界から集めた雑貨や衣類などを販売している。美術館の土産物店という範疇を超えて、もはやMoMAブランドによる「セレクトショップ」としての性格が強い。館内はもちろん日本でも東京都渋谷区に店舗を持つ。
MoMAの2人が訪れたのは10年前のこと。2人は松井ニット技研のマフラーを一目で気に入り、400本を注文。2000年から同社の商品がニューヨークの店舗に並んでいる。大胆な色使いが、MoMAを訪れるデザイン感度の高い顧客層の心をつかんで完売。
以降、追加注文が続き、大ヒットとなった。
2003年からMoMAストアだけで年間1万本のマフラーを売る。マフラーは48ドル(約4300円)で、クリームやブラウンなど7種類ある。5年連続でMoMAストア全商品中、販売数量の首位を保つ。今はMoMAのオンラインショップでも売られている。
低速機械のリブ編みに特徴
松井ニット技研のマフラーは、横に引っ張ると、畝のような凹凸が引き伸ばされる。その形状が、肋骨に似ていることから「リブ編み」と呼ばれる特殊な編み方だ。
豊かな収縮が得られ、しかも重量を軽く抑えられるという特徴がある。
色使いも特徴的だ。同系色でまとめようとせず、個々の色彩の相性で見ればぶつかり合うような組み合わせの糸を数色使う。詳細に見れば過激な色の組み合わせでも、視線を引いて全体を見れば、点描画のように調和の取れた色の固まりに見える。
これらの特長をマフラーに持たせる技術が、他社の追随を許さない松井ニット技研の強みだ。
同社の工場で稼働するラッセル編み機は、大正時代から稼働している年代ものだ。糸を張って、手でその張り具合を確認し、不足していれば重りとなる分銅を足す。ギアの凹凸を調整することで編み針の動きを制御する。松井智司社長は「道具の延長にあるような機械」と表現する。
最新の編み機に比べれば、その編みの速度はおよそ5分の1。しかしこの低速の編み機でなければ、同社の誇る「リブ編み」は実現できない。
「高速機は便利で速いけれど、精緻なリブ編みをやろうとすれば、糸に負担がかかり、網目の柔らかな加工にならない」と松井社長は言う。しかし低速機であれば誰でもできる加工というわけではない。「古い機械なので勘に頼る部分が多い」。
同社のマフラーの特徴である多彩な色使いも、他社が敬遠してマネできない部分だ。縦糸の色数が増えれば増えるほど、糸を整えてラッセル編み機にセットする際の手間が増える。国内の繊維産業は、中国やマレーシアなどの海外勢に押され、低コスト加工を強いられている。面倒なセッティングにこだわる余裕はない。
なぜ同社だけが、衰退し、苦戦を強いられる繊維産業にあって、低速の機械や、伝統的な製造技術にこだわり続けられるのか。
それは、創業以来、技術を保ちながらも時代の潮目を読み「売り方」を変えて、波を超えてきたためだ。
イッセイミヤケのOEMで足場
創業100年超を誇る。1907年、繊維の町として知られる桐生にあって、現社長から数えて3代前が魚介販売から繊維産業に転じたのが起こりだ。
第1の手は「輸出」だ。戦前はもっぱら織物の製造を手がけていたが、和装の衰退を見越して編み物に業態転換。
60年代に入ると、特に米国市場に向けて製品を量産し、隆盛を誇った。
しかし好調は続かない。日米繊維交渉による輸出減で経営が悪化した。社長の実弟であり、繊維専門商社に勤めていた松井敏夫氏(現専務)は71年に米国が金・ドル交換停止を打ち出したニクソンショックで為替が激変、輸出産業が打撃を受ける様子を目の当たりにした。そして75年に家業に戻って説いた。「国内事業にシフトしよう」。
ここで第2の手として「国内向けシフトとOEM(相手先ブランドによる生産)」に舵を切る。イッセイミヤケ、コムデギャルソンなどの国内著名ブランド向けのOEMに特化する戦略だ。「技術やセンスを、優れたブランドとのおつき合いの中で磨くことができた」と智司社長は振り返る。
ところが90年代に入ると、OEM先のブランドが生産拠点を東南アジアや中国にシフトし始める。単価引き下げの圧力が強まり、利益率が低下した。
そこで第3の手として「自社ブランド立ち上げ」を目指す。
OEMで品質と感性を磨いた。次は独り立ちして、自社オリジナルの商品を生み出したい。智司社長はリブ編みの特徴が出る大胆な色使いとデザインにこだわり、意欲的に新作を商品展示会に出品し続けた。そしてマフラーが、MoMAスタッフの目に留まった。
その成功を追い風に自社ブランド「KNITTING INN(ニッティングイン)」を2005年に立ち上げた。
MoMAでも売るマフラーと同様のデザインの帽子や手袋を揃える。美術館の土産店などに販路を広げる。
伝統の技で品質を守りながら、デザインは先端にこだわる。その姿勢で今後も世界に舞台を求める。
(終わり)
松井ニット技研(群馬県桐生市・ニット製造業)
日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090129/184282/?P=1
近現代アートの最高峰と言われるニューヨーク近代美術館(MoMA)。
その「MoMAストア」で販売数量1位を5年続ける和製マフラーがある。
伝統的な編み物技術を生かして、見事に世界ブランドを立ち上げた。
群馬県桐生市。桐生駅前の住宅地で細道を折れると、「松井」の表札がかけられた民家に当たる。
建造100年以上の木造住宅だ。扉の向こうからかすかに編み機の音が聞こえなければ、そこが「松井ニット技研」の編み物工場の入り口と知ることは難しい。
ある時、2人の米国人がこの民家のような工場を訪れた。
玄関で靴を脱ぎ、畳敷きの客間に通される。座布団を勧められたが、正座はもちろん胡坐をかくことも彼らには難しい。
結局、両足を投げ出すように伸ばしてちゃぶ台に向かった。
ちゃぶ台の上に、色鮮やかな縦じまのマフラーが置かれた。2人はため息をつくようにそのマフラーを眺め、手に取る。
指先に柔らかな感触、豊かな収縮、そして大胆に原色を織り成したデザイン。
「素晴らしい」
2人はニューヨーク近代美術館(通称、MoMA)のデザイナーとバイヤー(仕入れ担当者)だった。
世界中を飛び回り、優れたデザインの商品を発掘して仕入れるのが彼らの仕事だ。
サルバドール・ダリの「記憶の固執」、パブロ・ピカソの「アヴィニョンの娘たち」など20世紀の美術品を多く収蔵するほか、米IBMが開発したノートパソコン「ThinkPad 570」を展示するなど、MoMAは工業分野のデザインにも光を当てる美術館として知られる。
近現代アートの最高峰と呼ばれるゆえんだ。
「MoMAストア」は、MoMAの“目利き”が世界から集めた雑貨や衣類などを販売している。美術館の土産物店という範疇を超えて、もはやMoMAブランドによる「セレクトショップ」としての性格が強い。館内はもちろん日本でも東京都渋谷区に店舗を持つ。
MoMAの2人が訪れたのは10年前のこと。2人は松井ニット技研のマフラーを一目で気に入り、400本を注文。2000年から同社の商品がニューヨークの店舗に並んでいる。大胆な色使いが、MoMAを訪れるデザイン感度の高い顧客層の心をつかんで完売。
以降、追加注文が続き、大ヒットとなった。
2003年からMoMAストアだけで年間1万本のマフラーを売る。マフラーは48ドル(約4300円)で、クリームやブラウンなど7種類ある。5年連続でMoMAストア全商品中、販売数量の首位を保つ。今はMoMAのオンラインショップでも売られている。
低速機械のリブ編みに特徴
松井ニット技研のマフラーは、横に引っ張ると、畝のような凹凸が引き伸ばされる。その形状が、肋骨に似ていることから「リブ編み」と呼ばれる特殊な編み方だ。
豊かな収縮が得られ、しかも重量を軽く抑えられるという特徴がある。
色使いも特徴的だ。同系色でまとめようとせず、個々の色彩の相性で見ればぶつかり合うような組み合わせの糸を数色使う。詳細に見れば過激な色の組み合わせでも、視線を引いて全体を見れば、点描画のように調和の取れた色の固まりに見える。
これらの特長をマフラーに持たせる技術が、他社の追随を許さない松井ニット技研の強みだ。
同社の工場で稼働するラッセル編み機は、大正時代から稼働している年代ものだ。糸を張って、手でその張り具合を確認し、不足していれば重りとなる分銅を足す。ギアの凹凸を調整することで編み針の動きを制御する。松井智司社長は「道具の延長にあるような機械」と表現する。
最新の編み機に比べれば、その編みの速度はおよそ5分の1。しかしこの低速の編み機でなければ、同社の誇る「リブ編み」は実現できない。
「高速機は便利で速いけれど、精緻なリブ編みをやろうとすれば、糸に負担がかかり、網目の柔らかな加工にならない」と松井社長は言う。しかし低速機であれば誰でもできる加工というわけではない。「古い機械なので勘に頼る部分が多い」。
同社のマフラーの特徴である多彩な色使いも、他社が敬遠してマネできない部分だ。縦糸の色数が増えれば増えるほど、糸を整えてラッセル編み機にセットする際の手間が増える。国内の繊維産業は、中国やマレーシアなどの海外勢に押され、低コスト加工を強いられている。面倒なセッティングにこだわる余裕はない。
なぜ同社だけが、衰退し、苦戦を強いられる繊維産業にあって、低速の機械や、伝統的な製造技術にこだわり続けられるのか。
それは、創業以来、技術を保ちながらも時代の潮目を読み「売り方」を変えて、波を超えてきたためだ。
イッセイミヤケのOEMで足場
創業100年超を誇る。1907年、繊維の町として知られる桐生にあって、現社長から数えて3代前が魚介販売から繊維産業に転じたのが起こりだ。
第1の手は「輸出」だ。戦前はもっぱら織物の製造を手がけていたが、和装の衰退を見越して編み物に業態転換。
60年代に入ると、特に米国市場に向けて製品を量産し、隆盛を誇った。
しかし好調は続かない。日米繊維交渉による輸出減で経営が悪化した。社長の実弟であり、繊維専門商社に勤めていた松井敏夫氏(現専務)は71年に米国が金・ドル交換停止を打ち出したニクソンショックで為替が激変、輸出産業が打撃を受ける様子を目の当たりにした。そして75年に家業に戻って説いた。「国内事業にシフトしよう」。
ここで第2の手として「国内向けシフトとOEM(相手先ブランドによる生産)」に舵を切る。イッセイミヤケ、コムデギャルソンなどの国内著名ブランド向けのOEMに特化する戦略だ。「技術やセンスを、優れたブランドとのおつき合いの中で磨くことができた」と智司社長は振り返る。
ところが90年代に入ると、OEM先のブランドが生産拠点を東南アジアや中国にシフトし始める。単価引き下げの圧力が強まり、利益率が低下した。
そこで第3の手として「自社ブランド立ち上げ」を目指す。
OEMで品質と感性を磨いた。次は独り立ちして、自社オリジナルの商品を生み出したい。智司社長はリブ編みの特徴が出る大胆な色使いとデザインにこだわり、意欲的に新作を商品展示会に出品し続けた。そしてマフラーが、MoMAスタッフの目に留まった。
その成功を追い風に自社ブランド「KNITTING INN(ニッティングイン)」を2005年に立ち上げた。
MoMAでも売るマフラーと同様のデザインの帽子や手袋を揃える。美術館の土産店などに販路を広げる。
伝統の技で品質を守りながら、デザインは先端にこだわる。その姿勢で今後も世界に舞台を求める。
(終わり)