やまざくらの日記

やまざくらの日々の出来事をつづっています。.

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一茶とワイン

2009-02-16 11:05:48 | 日記
 書名にひかれてこの本を手にしたマブソン・ローラン1968年生まれのフランス人である。われわれ日本人が”わかっているつもり‘‘の日本語や俳句の楽しさを再発見できると裏表紙に書いてある。

 一茶研究のため長野に庵をむすび、日本語で素晴らしい俳句を詠む驚きのフランス人、マブソン青眼氏。彼の知的ユーモアあふれた日本での生活と俳諧への造詣の深さを垣間見られる俳文エッセイ「青眼句日記」と、少年時代の思い出を綴る俳文

小説「ノルマンデイの夏」を収録。
・ ・俳句は葡萄酒である~~
 東京浅草橋にあるフランス人学校中学生と高校生300人が通っている。日本に住むフランスの子供たちにフランス語の俳句を詠んでもらおう、課外授業というのもあった。

3 夢ではフランスの母からの「博士論文の出版、おめでとう!」というカードに、フオア・グラ2個、南仏のカモ肉の瓶詰めとプルーン、実家の庭の木イチゴやルバーブのジャム、ベルギーのチョコレート、北アフリカ産のナツメヤシの実、フ

ランスノルマンデイー地方産のカマンベール一個とミルク・ジャム、1990年の
ボルドー・シャトーマルゴー1本、父の好きなコニヤック・ナポレオン(クルボアジェ社)1本、1936年のアルマニヤック1本(母が生まれた年)、フランスの風邪薬、そして、そして…母の手作りのマドレーヌ菓子。これは危険物です。!これを口にすると、幼き日の面影がよみがえり涙を止められません。とある。。

・ 母への手紙
 「母ちゃんへ 」こんな変な息子の変な人生を許してね。世界の果ての「日本」に住みついて、これからもずーっとこの日本で「俳句」を作り続けると言い出した僕なんて。日本在住が10年を過ぎた今も、フランスへ帰ろうとしない僕のことを

許して。母ちゃんだって、同じぐらい不思議な人生でしたね。母ちゃんはイタリア出身の移民の娘として、フランス領の北アフリカのチュニジアに生まれ育ったでしょう。 ・ 母生れしアラブの街や蜂迷ふ  青眼

 そして20歳のとき、母ちゃんはチュニジアの独立戦争からのがれて、フランスへ引き揚げましたね。その頃、多くの日本人は同じように満州などから日本へ引き揚げました。世界はどこでも、天地流行、無常迅速だな、母ちゃん。

 ・ 月天心罪なきカルタゴ滅びけり   青眼

 そして母ちゃんは、フランスへ辿り着いたその冬、ベルギー出身の父ちゃんと出会って、今も北フランスの寒いノルマンデイー地方に住んでいます。一方僕は日本の山国、この寒い長野に住んでいるのです。

・ 朧月故郷なければどこも旅    青眼

 母ちゃんも僕も地球のすべてが故郷なんです。僕は小林一茶という日本の詩人が好きで、ここ長野に住みたいと決めました。母ちゃん、覚えているでしょう・・・僕が10歳の時、「詩人になってみせるよ」と言い出したこと。たしか兄と一緒に

ボードレールの「旅への誘い」を読んだ直後のことでした。結局・・・高校生になって今度は「遠いい国へ留学したい」と言い出して・・母ちゃんは・・いいよ・・・

・ 行く春や鳥啼き魚の目は泪      芭蕉

・ 行く春や遊女笑みわが目に煙     青眼

・ 参詣のたばこにむせな雀の子     一茶

・ まかり出でたるは此の藪のヒキにて候   一茶

・ 華けしのふはつくやうな前歯哉      一茶

・ づぶ濡れの大名を見る炬燵かな      一茶

・ 名月のご覧の通りの屑家也        一茶

 一茶にとって、そして姥捨ての豆腐屋の老夫婦にとって、笑いはぎこちない人生を美しくするための最後の手段でしょう。一茶は日常を昇華させるために、芭蕉翁のように高尚な「夢」を見る余裕はなく、庶民的な「笑い」で精いっぱいだったと思います。そうはいえ、庶民の心にも偉大なものがあります。」



 一茶とナポレオン
 「人生で大切なものは、友情と本と恋である」。これは、モンテニューという16世紀フランスの思想家が残した言葉です。

・ 一茶の墓にお参り   JR黒姫駅を出ると、錆の付いた「一茶通り」という看板・・小高い丘まで閑散とした旅館街が続きます。
・ 天高し小さな墓に一茶翁    青眼

 僕はナポレオンの瓶と木曾塗の杯3つを取り出しました。1つは一茶の墓碑の上に置き、ブランデーを注ぎました。四谷さんと僕は一茶の墓へ乾杯の音頭を揚げ、飲み始めました。そして僕は一茶さんに向かって語り始めました。

 「一茶さん、「先生」と呼ばなくてごめんなさいね。僕は一茶さんよりも205歳も若いのに。僕の祖父の祖父の祖父、ネポミセス・マブソンは一茶さんとおない年です・・・・・

・ 我と来て遊べや親のない雀    6歳 弥太郎

 一茶さんが6歳の時、僕の国ではナポレオンという男の子が生まれました。彼はコルシカ島というへき地に生まれずっと華の都・パリで成功することを夢見ていました。・・気が強くて 負けず嫌い 一茶さんと同じ・・・

 一茶さんは14歳の時お父さんに言われ江戸へ出稼ぎに行きました。その時はじめて海を見た・・・
 ・ 亡母や海見る度に見る度に   一茶
 ・ 椋鳥と人に呼るる寒さ哉    一茶
 ・ 父ありて明ぼの見たし青田原   一茶
 ・ これがまあ死所かよ雪五尺    一茶
 ・ 露の世は露の世ながらさりながら  一茶 

 以前、「青眼句日記5」一茶とナポレオン」の中で、俳人一茶の性格についてこんなことを書いた覚えがあります。「前向きで、揺るがない自我の持ち主でした」と。しかし、50歳を過ぎてきた信濃に帰郷した後、一茶の”強い自我”は少しず

つ緩んでいったような気がします。実は小動物を詠んだ発句が急増する文化10年以降の一茶調べは、それをよく示しているのです。正岡子規の頃から言われていることですが、晩年一茶は小動物に対して不思議なほどに親愛感と慈愛を覚え、あら

生き物を擬人化するような軽妙な発句を詠み、未知の文学世界を開拓したといえます。子規(「一茶の俳句を評す」「俳人一茶」三松堂・明治三〇年によれば・・・

 俳句の実質における一茶の特質は、主として滑稽、風刺、慈愛の三点にあり。中にも滑稽は一茶の独壇にに属し、しかもその軽妙なること俳句界数百年間、僅かに似たる者をだに見ず。[中略)滑稽の方便として、一茶は多く擬人法を用いたり。集中擬人法の句の多き、真に驚くべし・・とのこと、ところが、一茶の句にみる動

物の擬人法は本当に滑稽を狙ったものに過ぎないのでしょうか。犬、猫、雀、蝶の順で、一茶晩年の四句を鑑賞しましょう。

・ 犬と蝶他人むきでもなかりけり
・ 猫ともに二人ぐらしや蚊やり哉
・ 雀らも親子連れにて善光寺
・ 初蝶の夫婦連れして来たりけり

 現代俳句の基準では、このような擬人化はもっぱら安易でストレートな表現といわれ、好まれないでしょう。しかし、一茶の擬人化には特別な深意があると、僕は思っています。先の四句を再読しましょう。犬と蝶、猫と人間、雀と仏、皆、とても仲がいいのです。つまり一茶は、動物を人間のように扱うという擬人化によって区別も差別もなく、動物に対しても人間に対しても、同じく温かい眼差しを向けていたのです。

 また、晩年の一茶の作品には、動物を人間のように扱う擬人化のみならず、逆に人間を動物のように扱うという”擬物化”も数多くみられます。

・ 蝶とんで我が身も塵のたぐい哉
・ 椋鳥と人に呼ばるる寒さかな
・ 鵜の真似は鵜より上手な子ども哉

 フランスの農村史の研究によると、擬人化と擬物化という表現のしかたは、世界中の農村地帯の方言によく見られる、という事実が判るのです。たとえば、「風土の臨終」の中でウジェン・ヴぇバー氏は次の例を取り上げています。オード渓谷の方言では、川を無生物ではなく、人間のように扱うことになっていた。人間と自然が共生するような生き物感覚なのです。僕の結論:晩年の一茶は、俳文学史上初の”エコロジスト俳人でした。
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1 コメント

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マブソン・ローラン (ミー)
2009-02-17 18:23:26
マブソン・ローラン で検索したら下のサイトが出てきましたよ。

http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2001b/950f.html

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