おじさんと三次元哲学で遊ぼ

もう誰も応援しない

チーター

2011-05-23 12:29:51 | 日記
原発の専門家でも、いろいろ意見があるし、決断する側も難しいだろうね。それでも、この原発の位置状況は地震がきた場合、危険だと、前から訴えてった学者もいたらしいが、そういう意見は無視されてとりあげられなかった。現実というのは、往々にして、そういうものですね。

必ず、どんなときでも、ちゃんとみてる人が一人か二人はいるものだが、100、200種類もある意見をいう誰もが、自分こそはちゃんとみてると思っていて、ああだこうだ正しいと主張してくるわけ。だから、実際に、そういう状況が現実として現れない限り、どの意見が正しいかなど素人にわからない。

黒澤明監督などは、昔から原発に反対と強くいってた。人間のすることだから、必ず、ミスをやらかすんだと。洞察力を売りにした映画で世界に名を馳せた人のうるさい意見だけに、なんか不吉なものを感じていたけどね。

たとえば、今回のことで、いっそう海沿いの原発施設は、地震に対する対策を強めるにしても、これも前からいわれてたことだけど、ニューヨークのテロみたいにジャンボ機でつっこまれたら、どうしようもない。いくら、北朝鮮が核を作らなくたって、関係ないような状況が現実としてあるわけでね。

第二次大戦の時だって、山本五十六とかは、ちゃんと国の現実を見すえていて、日本がアメリカと戦争で戦って勝てるわけがないと知ってたけど、上のわからずやの命令だから仕方ない。それで、はじめの3ヶ月だけは暴れてみせるけど、その後は責任もてませんよといってたらしい。それは、わからずやからすれば現実ではなく、いいわけにしか聞こえなかったろう。

あの時代でも言論が統制されてたから、負けるといえなかっただけで、国民全体が狂っていたわけでなく、目が覚めていて負けると思ってた人も、少しはいたようだ。そういうときに間違ってる人間が多くて、自分の思ってることを口に出せないつらさは、なんとなくわかる。松下幸之助もそうですね。

だけど、原発というのは、あの福島のコンパクトな一角が停止するだけで、これだけの計画停電がどうだとか影響を与えるほど、すごいエネルギーを出してるということも改めてわかった。やはり、ものすごい長所を持ってるものは、短所もすごい。

やはり、現実というのはコインの裏表で、必ず、どんな長所にも短所がくっついてくるものだが、人間が作り上げるものは、長短の幅が比例してると思っておいたほうがいいようだ。

人間が手をくわえて作り上げたグッピーという魚がいるが、これも、よく観察すると、自然の魚と違い、不自然な生態があるのがわかる。このようなものを見てると、神が作り上げたものの精巧さには、いまだ人間は足元にも及ばず、遺伝子組み換えとか、クローンなども、必ずデメリットがついてくるのは間違いない。

太陽エネルギーなどの天然エネルギーの科学的利用は、もう、ずいぶん前から、言われていたことだが、現代科学の力でも、ほかの産業のようにそれほど進化していかないね。これは、ある人から聞いたことだが、太陽エネルギーが発達すると、いろんな既成分野で金儲けができなくなるため、技術推進に歯止めがかかってるんだと。

それが事実かしらないが、科学というものは肝心なところで、しり込みしてしまうというか、やはり、自然を利用して不自然にスピードを上げてやろうとすると、また何か短所が出てくるのかなとも思ってしまう。

話は変わるが、沢村というのは、実力は知らないが、なかなか面構えはいい。ああいう選手は星野好みだろう(笑)ほかの監督の好みは、わからないが、星野の好みは100%ちかくわかるような思い上がったところがある。

それで、巨人の先輩から、「一年目からチームのことを考えすぎだ」・・とか、「すべて全力ではもたないから、手を抜くコツを覚えろ」・・などのアドバイスを受けていた。

彼の中には、そうだろうなと思いつつ、その意見を素直に受け取れないものもあったのではないかと思う。実際、先輩の意見は正しいと思う。

だけど、ああいう顔つきの選手は、かならず腑に落ちないはず(笑)そういうのにすぐ納得してしまうような選手だと、逆に、つまらないというか。そういう選手のほうが好きという人も、もちろんいる。

確かに、先輩のアドバイスは正しいんだけど、その中にも、かならず納得できないものもあるというようなことを身をもって学んでいく選手が、そういう感覚を蓄積していきながら、独特のものを作っていくというか、昔は、こういう選手のにおいみたいなものが、横浜とか、ああいう駄目チームですらにおってきた。松原とか、遠藤とか・・

そういう選手も、ある程度妥協しないと、飲みにいこうと誘ってくれなくなったり、仲間が打ってくれなくなったり(笑)そういう葛藤を経て、どうするか悩みながら色を出しながら個性ができていくというか、まあ、もちろん、そういう選手が、だめになる可能性もあって、やはりその長所もコインの表裏なんだろうけど。

津田とか、岡林とか、ああいう選手も、短かかったけど記憶には残ったね。なにか生きてるというか、もちろん、ほかの選手も生きてるわけだけど、こういっちゃわるいけど。

他人に飲み込まれないというと、野球界では、度胸のある人間というイメージがわくだろうけど、振り回されないというか、かたくなな反抗ではなくて、内面が生きていて、自然に人と違和感を感じるというのかな、そういう蓄積から生まれる了見の差というのかな・・












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