読まなきゃ損損!?な面白い本たち

読んだ本の感想を書いてます。

八木 秀次著 「明治憲法の思想 日本人の国柄とは何か」

2012-09-15 16:24:07 | 日記

八木氏は専攻は憲法学、思想史。2002年、第二回正論新風賞受賞。「保守主義」の立場からの旺盛な言論活動で論壇の注目を集めてゐる方ださうだ。他の著書に 「だれが教育を滅ぼしたか」「反『人権』宣言」「本当に女帝を認めてもいいのか」「『人権派弁護士』の常識の非常識」共著に「国を売る人びと」「教育は何を目指すべきか」「夫婦別姓大論破!」「教育黒書 学校はわが子に何を教えているか」など著書多数。

上記の本は一度読みたいですね。特に「『人権派弁護士』の常識の非常識」「反『人権』宣言」。これらはとても面白さうです。
朝鮮福島みずほなどが顔を真っ赤にして激怒するのではないかと思はれる内容ではないかと期待ゐたします。

さて、本題に戻り今読んでゐる本ですが。

自民党が憲法改正案を出して得意げになつてゐます。予想通り朝鮮みずほが難癖をつけましたが、今の時代に朝鮮みずほの主張などうなづく奴はシナ人か朝鮮人でせう。日本の防衛といふ現実的な問題を全く無視してゐる。

自民党が改正案を出したものは、現行憲法を土台にしてゐる。自民党がサイトに出したやうに、現行憲法との比較があることでも歴然だ。

現行憲法は、みなさんご承知のとおり占領軍、つまり米国が3日ほどで作つたものであります。日本人に案を作らせたものの、民主化がなつてないとかいふ理由で却下し自分達で作つたのです。

これまでに言はれてゐたのは

現行憲法は国民主権を謳い、民主主義に相応しいものである
対して明治憲法は、天皇陛下主権であり国民に主権がなく、人権を制限してゐる「悪者」として描かれてゐる。

果たしてほんたうにさうであらうか?

よく考へやう。現行憲法は敵国であつたアメリカが「日本が二度と米国に刃向ふことをなくすやうに、日本的精神を破壊する目的」で作つたものの一つである。

米国がさうした中で一番影響が大きいのは東京裁判であらう。あの間違つた裁判といふ名の糾弾、そしてその判決がそのまま「歴史の教科書」になり、ねつ造まで許す事態になつてゐる。

次がこの憲法ではないかと考へる。

さて、何かと現行憲法、素晴らしい民主化された民主主義に相応しい憲法!と比較される明治憲法であるが。

この憲法は伊藤博文が欧州への視察を命じられ起草した憲法だといふことは教科書にあるとおりだ。

だが、問題は「教科書には伊藤博文が欧州で何を見聞きし、学び、明治憲法を起草したか」が書いてゐないことだ。

この本には序章で「明治憲法に学ぶもの」として書いてある。
伊藤博文は最初にドイツに行き、ベルリン大学の教授で高名な憲法学者であつたグナイスト氏に会ふがグナイスト氏は

「憲法は法文ではない。精神であり、国家の能力である。(中略)日本国の今日までの君主の実体、そして風俗・人情、その他、過去の歴史を明瞭に説明してもらいたい。それについて考えてご参考になることは申し述べてもよろしい。」

と言はれる。

ここに憲法の精神、憲法が元とすべきものが何かすべて書かれてゐるではないか。

次に伊藤らはオオストリアへ行き、ウィイン大学の看板教授で著名な国家学者・社会科学者であつたロオレンツ・フォン・シュタインを訪ねる。

シュタインは伊藤らがヨオロツパに来てヨオロツパの法制度を機械的に習得してゐることを論難した。そのような学び方をして作り上げた日本の法は単なる外国法の引き写しでしかない。

シュタインの講義は「まず自国の歴史についての省察が学問の根幹になければならない。そしてその上にヨオロツパで学んだ知識を接ぎ木していくことが必要だ」といふことを説くものであつた。

この講義を受けたあと、伊藤らは「憲法は日本の歴史や伝統に基づいて作ればいい」と確信をいだき「いかなる点においても、他国のあれこれの憲法の単なる模倣ではなく、徹頭徹尾日本的なもの」と伊藤自身がシュタインへに憲法発布を知らせる書簡に書き記すほどのものであつた。 (以上、序章P18-26まで抜粋を元に記述)

明治憲法がどのやうな背景で起草されたのかを知ると、現行の憲法は全く「日本的なもの」を無視した、単なる「自由過激論者の真似事」であることがわかる。からうぢて、天皇といふ記述があるが、そんなのは米国が占領するにおいて都合がよいやうに天皇陛下の名称を残しただけである。

本来、米国は天皇制を失くしたかつたのであるがそれをすると日本人の反感が大きく占領政策が上手くいかないことを知り、あへて憲法に入れて誤魔化しただけなのである。

なので、現行憲法を主体に「改正案」などと発表して大いばりしてゐる自民党はただの

無知

なのだ。

恥ずかしいことをしてゐることに気づいてない。

せめて、明治憲法を勉強してから改正案を作るべきではなかつたか?

本書のあとがきに明治憲法に対する現代の「評価」とそれを「悪用した教育論理」が上手く纏まつてゐるので引用する。

「明治憲法を些かなりともプラスに評価することは今日ではある種のタブーに属するとでも言ってよいだらう。何しろ、学校教育では、明治憲法は国民の自由を抑圧し、軍国主義に導いた悪法の典型だと教えこまれているし、憲法の解説書でも同じようなことが書かれているからである。しかし、このような評価は明治憲法の実像とは異なるものである。

 今日の明治憲法に関するマイナス評価は、その大部分、イデオロギー的な理解によるものである。今日の我が国の学校教育や憲法学を支配している「人民史観」なるイデオロギーによれば、明治憲法下の体制は「天皇制絶対主義」の時代であり、ここでは邪悪なる天皇制政府が対外的には侵略戦争や植民地統治を行ない、国内では善良なる人民を抑圧し弾圧したと理解されている。このイデオロギーを前提とする限り、明治憲法を評価する姿勢が微塵も見られないというもの無理はない」 (P287)

自民党議員の大多数は、戦後の教育を受けて占領軍の思想を刷り込まれてゐるから、ハナから明治憲法を考慮する意思などなかつたのであらう。

こんな人たちが集まる政党に、日本のための政治などできるだらうか?

無理だと思ふ。

自民党は、結局、最初から最後まで 

売国

なのだ。60年属米売国で来て、今この時代をもたらした。それに対する反省も認識も改善もない。

最悪の党だ。 (民主党はあたくしのブログでは朝鮮の党なので、最初から議論の蚊帳の外であります)

現行憲法を元にして改正した、などといふ薄っぺらな内容に騙されてはゐけない。

さらに本書を読み進むと明治憲法を起草するにあたり先人たちが欧州学者の助言とともに国文学、国史の研究を重ねて起草したことがわかつた。

これを考へると占領国の案をそのまま使ひ新憲法などと発表した自民党は国の恥だと思ふ。

o(`ω´*)oプンスカプンスカ!!

自民党が国を大事にしてこなかつたのは、これまでの政策とそれが今をもたらしてゐることそして先に発表した「改正憲法」でよくわかる。
ほんたうに国を思ふのなら先人たちがいかに憲法を起草したかを憲法とは国にとつて何かを考えるべきだが、その発想がまるでない。

自民党は一体何がしたいのだらう?

正直、自民党のすることは民主党と一緒で日本の邪魔だ。

モムーリ!o(゜Д゜)っ

片山さつきの憲法改正案に関するブログを見て呆れた。
「日本らしさにこだわった」らしいがなら何故占領下での占領国が作った憲法モドキを主体にしてるのか?馬鹿過ぎてコメする気にもならなかつた。

明治憲法は最初に憲法意見書が出されてから八年近くの歳月が経過した明治22年2月11日発布された。

比べて現行は占領国が3日程度で作成。比較にならない。

それを改正して日本国憲法ッて自民党終了だ。
戦後教育の失敗例を身を持って示す政治屋、これこそ日本の邪魔だ。

話が大幅にずれたが、本書は明治憲法が起草されるまでの先達たちの行動、背景、憲法が施行されてからの議会の議論、明治憲法にをける天皇陛下の位置づけ、明治憲法の法の解釈をいかに適用したのか、軍部が政治に出てくるその時代背景等が総合して書かれてをり、「どんな良法でも解釈と適用の仕方により悪法になる」ことが明快に書かれてゐる。

現在、日本は政府がきちんとした対応をしないため、国民が領土に関して関心を高めてをり防衛の必要性を感じだしてゐる。こんな物騒な世の中なのに防衛費を削減するとか自国民を守らないのは何事だ、といふ考へになつてゐる。

あたくしは、明治時代の欧米の列強が台東した時代から第二次大戦までの世の中は世界全体が「自国民を自国で守らないと欧米に飲みこまれる」といふ危機感が非常に強かつたのではないかと考へる。

そのため、今以上に領土といふより国そのものを侵略される危機感があり、「防衛」の意識が非常に強くなつてゐたのではないかと考へる。

現在は他国が植民地をあからさまに拡大してゐる時代といふよりは、植民地政策をしてゐた欧米が「経済的にその国を自国の利益のために利用する」といふ流れに変化してゐるので、世界的に領土を侵略されるといふ雰囲気ではない。しかしシナが周辺の国にやつてゐることを欧米が世界各国でやつてゐたのであらうから、それは現在よりもずつと防衛の意識が高まるであらう。

その時代背景を無視し、明治憲法そのものの法の条文を無視し、「今日の我が国の学校教育や憲法学を支配している「人民史観」なるイデオロギーそのまま」に明治憲法を否定するのは間違つてゐる。

本書は、上記のやうに考へるやうなヒントをくれた本なので是非とも一読をおすすめしたい。

本書はまた、明治憲法が諸外国の憲法学者から評価されたことも書いてあるし「よく学校で習ふやうに、明治憲法はドイツのプロシア憲法を参考にした」といふ内容とも異なることで批判を受けたことも書いてある。

「彼らは明治憲法が歴史法学の手法によって起草されたことを高く評価し、一方でやや意外なことに『ドイツ流』に徹せずイギリス流の立憲政治を採用したことについては、非難したのである」(P246) (学校教育といふのはだうしてかう、嘘ばかりなのか?)
(第六章 明治憲法は非民主的か 第四項 ドイツ流でなかった前年度予算施行権 (P236-246)

ここに登場する諸外国の学者たちは : 
イギリスの憲法学者 A.V.ダイシー 
フランス上院議長秘書官 ルボン
社会進化論者 ハーバート・スペンサー
「近代民主政治」の著者 ジェームス・ブライス
米国連邦最高最裁判官 オリヴァー・ウェンデル・ホームズ

さらに、明治憲法における天皇と政治の関係に関しても記述があり勉強になる。 (第五章 憲法と天皇 第二項 なぜ昭和天皇は政治的意思を排したのか (P172-182)
戦争を「ご聖断」で止めることをできた天皇がなぜ開戦を止めることができなかつたのか? これについて、本書は「昭和21年2月の回想、藤田尚徳『侍従長の回想』中公文庫、1987年」の一文を引用して明治憲法上に位置付けられた天皇の立憲君主としての役割を説明してゐる。

引用すると
「戦争に関して、この頃一般で申すそうだがその戦争は私が止めさせたので終つた。それが出来たくらいなら、なぜ開戦前に戦争を阻止できなかったのかという議論であるが、なるほどこの疑問には一応の筋は立っているように見える。如何にももっともと聞こえる。しかしそれはそうは出来なかった。申すまでもないが我国には厳として憲法があつて、天皇はこの憲法の条項によつて行動しなければならない。

またこの憲法によって、国務上ちゃんと権限を委ねられ、責任をおわされた国務大臣がある。この憲法上明記してある各国務大臣の責任の範囲内には、天皇はその意思によって勝手に容喙し干渉し、これを制肘することは許されない。(中略)

もしそうせずに私がその時の心持次第で、ある時は裁可しある時は却下したとすれば、その後責任者はいかにベストを尽くしても、天皇の心持によって何となるか分からないことになり、責任者として国政に責任を取ることが出来なくなる。これは明白に天皇が、憲法を破壊するものである。専制政治国ならばいざ知らず、立憲国の君主として私にはそんなことは出来ない」 

では終戦の際の「ご聖断」は?
「だが、戦争を止めた時のことは開戦の時と事情が異なっている。あの時には終戦か、戦争継続か、両論に分かれて対立し議論が果てしもないので鈴木(貫太郎首相)が最高戦争会議でどちらに決すべきかと私に聞いた。ここに私は、誰の責任にも触れず、権限を侵さないで、自由に私の意見を述べる機会を初めて与えられたのだ。だから、私は予て考えていた所信を述べて、戦争を止めさせたのである。(中略)このことは私と肝胆相照らした鈴木であったからこそ、このことが出来たのだと思っている」

この昭和天皇のご説明だけで、明治憲法に関する現在の説明が大嘘だとわかりますね。 なぜ左翼はすぐにバレる嘘を吐くのでせう?

八木氏が最後に書いてゐるやうに「明治憲法は負わなくてよい”罪”を負っている。その汚名はすすがれなくてはならない」(P286)

次は八木氏の日本国憲法に関する著書、そしてここに引用された侍従長の回想と読んでみやうと思ひます。


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