延岡というまちをアーカイブ化していくには。

延岡というまちについての記憶を考えていく。

救済ワークショップから考える。

2015-02-23 17:14:35 | Weblog

2/22に宮崎県総合博物館で実施した水損資料保全ワークショップ。神戸の歴史資料ネットワークから吉原大志さんと川内淳司さんをお招きして午前と午後の2回開催した。

午前中は博物館の比較的近くに居住されていると考えられる常連の方々が中心で、年齢層は若干高め(そう高くはない)であった。一方、午後は宮崎県内各地、遠くは熊本から、年齢層は20~30代が中心で若い方が多かった。正直後者には少し驚いた。

午後の参加者には図書館関係者が多くて、特に指定管理になってる館の司書さんが何人もこられていた。昨今の地方の図書館の状況を考えると、"読みきかせ"は色々な所で行われてはいても郷土資料(あるいは史料)を扱う事は少なく、ましてや指定管理だと研修自体少ない様子がある(実際は知りません)。参加者は地域コミュニティにおける活動に高い関心を持っておられる方が多い点も、みていて実感した。社会における諸問題解決の方法として、コミュニティの紐帯であったり、人々と土地とのつながりをこうした歴史的なモノを救済するという活動から考えられているのだと思う。

高齢化が進行し、大学等で専門的な分野を学ぶ場所の少ない宮崎では、歴史分野をテーマとした企画を催すと高齢者が多い(どこもそうかもしれないが)。これは年齢があがる程、自らの足跡と土地・社会とのつながりをどのように結びつけるか、という事を考えるようになる傾向があるからだと思う。一方、若い人が歴史資料に求めるのは、高齢者とは微妙に異なりながら、自分の位置付けをそこに求めようとする所があるのではないか、となんとなく考えている。今回のWSを受けて、早速次回の展開を考えたい。

地域社会の諸問題への歴史学の介入。これは応用人類学に近い活動であり、さらに文化財保存では国際協力の分野では実践されてきた事でもある。一方で純粋にアカデミックたろうとする部分からは、こうした活動に批判があったりもする。日本考古学では70年代から無意識のうちに埋蔵文化財行政として切り離しつつ離れすぎす、専門家が重なりながらもやってきた。日本民俗学でも人類学のような理論化はせずとも、それこそ宮本常一の離島振興法への関与もそうだし、そもそもが経世済民の学として誕生した経緯があった。歴史学-ここではいわゆる文献史学-がそうした所に触れてこなかったのは、やはり歴史科学たらんとする考え方から生ずるものなのだろうか?この辺りはよくわからない。

しかし、埋蔵文化財が「文化財保護行政」によってその領域を拡大した一方で、阪神淡路大震災以降勃興し、現代に至る市民社会の諸問題解決に寄与する社会的活動に上手く対応出来ているのか、というとそうではない。もちろんそうした活動が各地で実践され部分的な成果をあげている事例があるのも確かであるが、それは大勢にはならないのではないか。

阪神淡路大震災を契機として活動がはじまり、東日本大震災においてその担う所が大となった地域資料の保全活動、特にボランティアを中心とするこれらの活動は、明らかに地域社会の諸問題解決の一役を担うものであると考えている。ただそれは、専門家の一部からは合意されないものなのかもしれないという事は理解している。これは昨今のミュージアムの役割の変化とも共通する課題とも似ている気がする。

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