そして未来へ

仙台周辺をウロウロして未来へ飛び立つために

故郷の風景③

2008年12月22日 16時09分31秒 | Weblog
只越町商店街に来ました。町名の石碑は始めて見ました。





町名碑の上部に地図がありました
地図に載っていない路地の一つ一つが
思い出されます

走り抜けました
駆け回りました
日暮れまで

「ご飯だよー!!」
遠くから
子供達を呼ぶ声が
聞こえてきます

現在には無い夕景です




大通りの上を道が横切るなんて考えもしませんでした





  右奥の白い建物が市役所
市役所の庁舎および周辺は
メインの遊び場でした

おいおい、そこに横断歩道は無いよ






急いで青葉通りまで戻ってきました
虎舞のモニュメント

笛、太鼓、鉦の音が
たたたんたかたんたかたん
とことん
たたたんたかたん
とことん とことん
…………






街角に釜石市民歌の碑を見つけました
今でも歌えますよ






(左)丸光デパートの跡地です<大町>            (右)化成ビルの跡地<大渡町>
此処でも思い出が消えていきます




(左)正面は警察署跡地、右手前は消防署です 
(右)お薬師山登り口です、左手は元県立病院、前市民病院でした、現在は? 







大渡橋 

この橋を渡る時
やっと
故郷に帰って来た
という思いをする
橋でした

この橋を渡りきると
故郷を旅立つ
という決意を
させる橋でした

日常生活の中で
通学通勤で
何度も渡った橋なのに

生まれ変わった橋だから
思いも新たに
渡ってみます




橋の下流側をパチリ 橋上市場が在った当時には写せないアングルです
鉄橋は三陸鉄道
上流側は①に掲載





橋から ビューポイントを探していたら
川岸に
可愛い子鹿を見つけました






橋の西詰めは公園になっていました
そこにあった
鮭のモニュメントです

その昔
大渡川・甲子川は鮭の遡上で
有名な川だったと聞いています
釜鉄の隆盛と共に途絶えていたものが
衰退と共に蘇ったとか?

過去に戻って釜石の街
8月の風景
駅前もウロウロしました
なんか
まとまりのない風景でした

圧倒的な煙突が無くなってしまったから?






終わり

故郷の風景②

2008年12月14日 18時00分39秒 | Weblog
親友の眠る大只越町の山から市役所の裏山、宝樹寺のある山を写す


タイトルを変えました。
勘違いされていました。

ブログは怖い、言葉は怖いですね。
8/28、9/4、9/12、以来の第Ⅰ章過去、
幼い日の思い出を求めた記事の積もりだったけど、

”遊び”という言葉だけで”変”に反応する人がいる。
ブログの世界が嫌になりかけています

でもやりかけたことは兎にも角にも終了させてから、
次のことを考えます。



お薬師山を下山する途中で桟橋のクレーンを写しました
釜石湾の象徴の一つです






目線をずらして山の上の住宅街、霞んでますけど大平団地です
手前は大町です






薬師山を下山し山際の道路を大町・青葉通り方面に向けて歩いて行くと
かって、市民病院が建っていた所に
新しい建物が目に入ってきました
青葉ビルとなってます、図書館が入っているとか






青葉公園のブランコと滑り台、鉄棒もあります

この公園は自分だけでなく
子供達が小さかった時にも
よく遊びに連れてきた
思い出の多い場所です

(再掲)

石応禅寺


(再掲)

明峰幼稚園跡






見出しの山から右へカメラを振ると
釜石湾桟橋・クレーンが見えました
中番庫の屋根が大きく見えます

もし、此処まで釜石駅が来ていたら
釜石はもっと発展していた
と語り合った友が眠っている山から写しました






大只越の山から下りてきて青葉通りに戻りました

こんなに緑が鮮やかな青葉通りを見るのは
初めてです









この喫茶店で一休みしました
以前「邪宗門」という喫茶店がありました






仙寿院というより私達には
法華さんと言った方が分かりやすいです






此処も立て直されていました

ここは、小学校・中学校のすぐ側にあり
数え切れないほどの思い出が詰まっています


故郷を離れて四半世紀
どんどん記憶が薄れていき
語り合う友も亡く
寂しく思う

そんな思いを噛みしめた
いっときでした

故郷の風景①

2008年12月11日 15時58分13秒 | Weblog
(再掲でした)この写真の風景が何処か? 分かる人は余程の釜石通です。

今年ももう12月、
そろそろ1年の締めをしなければと言うことで、
年賀状は今日印刷を終えました。
ブログの方も過去へ(Ⅰ章)は行きっぱなしなので、
3ヶ月ぶりに過去に戻って記事UPしてみます。


幼き日に遊び回った街の風景
山や川、海が
50年以上もの時を経て
変わって当たり前なのに
変わって欲しくないと願っている





       
大渡川 大渡橋から上流側

私達にとってここは甲子川ではないのです
私達が遊んだ頃はもっと荒々しい流れでした
釜石・山田線の鉄橋が架かっている少し上流に
川泳ぎが許可された場所がありました
この写真で見ると左側奥になります






大渡町商店街  アーケードのある街並みも懐かしい思い出になってしまいました
かって、右手前に橋上市場がありました



  
お薬師山 

大渡町商店街がつきる十字路の右手には警察署がありました
その警察署と向かい合って、左手にはお薬師山があります
中腹には観音寺があり、桜の名所です
この山はおりにふれ遊び回った山の一つです



階段や石碑は整備されていましたが
それ以上に目を引いたのは
”くまに注意”の立て札でした
 








山頂広場  平和の像

昔は何もない広場でした
でも子供達は元気に遊び回っていたような
気がします

今は東屋やベンチなどがありましたが
訪れる人もあまりいないんだろうな
と思わせる風情でした

そして、
是非 見たいと思っていた「もの」は
むかしと変わらずそこにありました



砲弾?  こんな大きなものが
落とされたのでしょうか
飛行機から?
打ち込まれたんでしょうか
軍艦から?
山の上にあるのが不思議でした
今も謎は解けていません



 


桜の木 枝 葉の間から
25年前まで住んでいた街を
探しました
チョットしか見えませんでした


友の声が聞こえたような気がします




見出しの写真は
学校通り 天神町・只越町を釜小前の歩道橋の上から写しました




   

山寺の紅葉(駅からハイキング)③

2008年12月08日 11時36分23秒 | 仙台
馬口岩:冬季は「アイスヒル」として知られています





今日の仙台は良い天気です。
昨日は今年最後の「小さな旅」
<国宝大崎八幡宮と初冬の広瀬川河畔を歩く>
に参加してきました。
そして、明日は試験です。
そんな節目を前にして<紅葉の山寺>3回めです。
観光パンフレットにあまり載らない山寺を紹介します。
うまくいくかな?





馬口岩からくぐり岩へ辿る崖道です
くぐり岩では山寺の「胎内くぐり」の体験ができます
















くぐり岩の中は二段に開けています
開口部から見える景色は一見に値しますよ

くぐり岩に登る時
カメラを傷つけてはいけないとリュックに入れてしまい
身を屈めて進む窮屈な場面は写せませんでした


 くぐり岩から見た山寺・馬形地区 此処は右方向へ進むと仙台の秋保温泉につながる地区です







左上隅の影は開口部の岩です







くぐり岩からの戻りです











恵比寿岩を経由して大黒岩へ登る時
手掛かりが無く鎖を頼りに登るのですが
後ろから来る人とのタイミングが悪く
危うくカメラを壊してしまうところでした





  大黒岩から宝珠山・立石寺を写しました
前回とは目線が違っているでしょう
わかりますか?


 大黒岩から天童市方面を写しました  



 展望岩から立石寺を写しました
前回との違いは   奥之院が真横から見えるということなんですよ





展望岩から下山途中に
像岩があります
見る角度によってなのか?




時間の関係で芭蕉記念館、後藤美術館などは見学できませんでした


  宝珠橋から立谷川の紅葉




11月8日の山寺の紅葉これにて終了です


























山寺の紅葉(駅からハイキング)②

2008年12月05日 14時10分23秒 | 仙台
弥陀洞から仁王門を望、 よくパンフレットなどに載る構図だそうです


山寺の紅葉のポイントだけを紹介しています。
紅葉を探して構図を決まるのは難しかった……





納経堂付近から金乗院胎内くぐりの紅葉を写しました








見出しと同じ弥陀洞から仁王門を写しました













菩提樹の実です





午後になり
風雅の国に向かっています






次からの5枚は同じ構図に見えますが
微妙に目線が違っていることに気づいてくれるでしょうか
























きょう(12/5)はあまり天気がよくありません
4日後の第二次試験・面接に備えて頭脳の訓練をしています
Kちゃの風邪は長引いてますが
元気にパートに出掛けました
私は
風邪を初期段階で防御しました
食は細いですが食欲あります
睡眠は充分です
心身共に健康です


つづく