大和を歩く

大和憧憬病者が、奈良・大和路をひたすら歩いた日々の追憶

053 甘樫丘・・・月面はアポロに任せ丘に立つ

2010-12-18 14:06:08 | 飛鳥

多武峰を越えた私が小原の里を抜け、初めて飛鳥の土を踏んだ日、遥か天空の月面では、米国・アポロ11号の宇宙飛行士たちが、人類史上初めての月面散歩を楽しんでいた。だからだろうか、私も「初めての飛鳥」に遊泳しているような興奮を覚えていたのである。「飛鳥年表」を頭に叩き込み、歩き始めることにする。飛鳥坐神社からまっすぐ西へ、飛鳥の集落を抜けて飛鳥川を越えると小丘が道を塞いで盛り上がっている。甘樫丘だ。

知らない土地に行くと、高いところに登って眺めたがる、これが私の昔からの癖で、何はともあれ飛鳥を鳥瞰してみたいと思った。多武峰の万葉展望台で十分に国見をしたはずなのに、飛鳥をそのすぐ近くから眺めたいという思いが疼いたのだ。甘樫丘(あまかしのおか)は、そんな私に格好の展望台である。標高でいえばわずか148メートルに過ぎない。ただ四囲が平坦であるから、その頂は360度の展望が確保されている。

丘は南からだらだらと延びて来て、北端に狭いながらもフラットな広場を作って突然途絶える。東側(飛鳥側)は崖状に落ちてその麓を飛鳥川が舐めるように北上していく。私が初めて登った40年前は、細い踏み分け道があるだけのただの里山という風情だった。そのすぐ後に総理大臣が登って国見をし、明日香古京保存法が制定されたのだったと思う。今では広い登り道が整備され、すっかりハイキングコースだ。

私は「大和路行脚は独行に限る」という掟を持っているのだが、2001年9月23日の秋分の日はその掟を破り、わが大切なパートナーを飛鳥へ案内した。快晴の丘に登り、西側の眺望から時計回りに得々とガイドしたのだった。丘上には大和古跡の方角を示す説明版があるけれど、私にはそんなものを観る必要はない。

「あれが畝傍山でその向こうが二上山。大和の夕日はあの二つの峰の間に沈んで行くんだ」「ほら、ずっと右手に、緩やかに伏せているような丘陵があるでしょ、あの麓に法隆寺が見えているはずなんだが……。空気が澄んでいる季節だと五重塔が見えるかもしれないね」「真北は平城京跡がある、その先は山城との境の丘陵だ」

「この麓を北へ流れていくのが飛鳥川で、あの三角の山が耳成、その右が香具山、そして背景になっているきれいな姿をしている山が三輪山だ」「こちらが東。このまっすぐの道に沿った集落が明日香村飛鳥で、突き当たりの森が飛鳥坐神社。折口信夫はその神主の家で育ったのだそうだよ」「集落のはずれに大屋根が見える寺が飛鳥寺で、以前、一緒に行った奈良の元興寺は、都の移動と共にこの寺が遷って行ったんだ」

「南側のこの小さな平坦部を真神原と言うのだそうだ。斉明朝の板葺宮が置かれ、大化改新の舞台になったところだね」「石舞台はここからは見えないけれど、南の突き当たりに見える白い壁の寺が橘寺。聖徳太子が生まれた寺ということになっている。あそこからは先は丘陵と谷が繰り返し続いて、次第に山深くなっていく」
            
「その辺りに高松塚古墳があり、檜隈、高取を越えて吉野へと続いていくんだよね。この狭い空間で、日本史が展開していたわけで、僕はそういうことを考えていると面白くてたまらないんだ」。実際は平凡な風景が展開しているに過ぎない。しかし彼女は目を輝かし「へえー!」「そうなの!」と相づちを打ってくれる。私はこの日も宇宙遊泳状態だったようである。(旅・1969.7.21-22)(記・2010.12.16)

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