夢はハリウッド

将来書きたい小説の創作ノートです。僕の書いた作品が、映像化され、知英さんに出演して頂くのが夢です。

愛娘

2020年05月05日 03時46分00秒 | 紅兎〜青鳥編




「どうした?会いたくないのか?意識が戻るまでの間、君はいつも和幸の名を口にしていたぞ。」
智子は、尚も無言で着物の裾を握り続けた。伊織も大きく溜息をついて口を閉ざした。
死の境を彷徨っていた智子は、あの過酷な手術に耐え抜いた。
呑舟と共に施した手術の奇跡を、伊織自身がまだ信じられていなかった。
奇跡の手術を目の当たりにしたのは、これが初めてではない。
五年前、鱶見本社に忍び込んでいた、主水配下である大化けの久太郎(おおばけのきゅうたろう)と応次郎(おうじろう)兄弟に連れてこられた美香。
四年前、主水率いる中村組と平蔵率いる火盗組が大量に連れ込んだ、目明組の少年達と弍十手組の男達。
三年前、主水の配下である神鳴の尾夜地(かみなりのおやじ)と土論波(どろんぱ)親子に連れ込まれた早苗。
いずれも、絶対助からないと思われた命であった。
しかし、それらと比較しても、智子を死地から連れ戻したのは、奇跡と言うより神の領域に思われた。
生きた人間の腑分け…
智子の手術をする時、伊織はそんな風にしか思っていなかった。
あれだけ全身を悪性腫瘍に蝕まれた人間を、本当に治せるなどと全く思っていなかった。
それを成し遂げてしまった…
奇跡と言うより、最早神の領域に達しているだろう。
師匠はやはり生ける神…
医の神なのだ…
伊織は、智子の手術を成功させた時程、師匠である呑舟を尊敬した事はなかった。
最も…
この手術を成功させるにあたって、伊織の全身麻酔術の力が大きかったと誰もが認めてると言う自覚はまるでない。
しかし…
尊敬を通り越して崇敬の念を抱く師匠が、医術を超えた神術の力を持って救い上げた命は、何故か生きる望みを失っている。
理由はわかる。
子袋を失ったからだ。
女にとって、それは命を失ったと言われるのに等しい事なのだろう。
それでも何とか生かしたい。
目の当たりにした神術の結晶…
終生独身を貫こうとする呑舟に子供はいない。
ならば、生ける神がその術を尽くして救い上げた命は、生ける神の子供と同じであった。
崇敬してやまぬ師匠の子供を、何としてでも生かさねば…
伊織は、どうすれば智子に生きる望みを持たせる事ができるのか、そればかり考えていた。
呑舟は既にその場を離れていた。
吽の呑舟…
誰とも一言も言葉を交わさない彼は、為すべきことを為せば長居はせず早々に去ってゆく。
患者に伝えるべき事を伝えるのは、言葉を交わさずとも彼の意を全て汲み取る伊織の役目である。
暫しの間、無言で智子の顔を見つめ続けていた伊織は…
「そうだ…」
はたと何か思い出したように沈黙を破った。
「希美ちゃんと言う名もよく口にしていたな…」
「希美ちゃん…」
その名を耳にした途端、ずっと俯いていた智子は顔を上げて伊織の顔を見返した。
「そうだ、希美ちゃんだ。何でも、君の娘なのだと聞いているが…
きっと、希美ちゃんも母親の帰りを心待ちにしているだろう。」
伊織が言うと、智子は答える代わりに、ハラハラと涙を溢れさせた。
『美香ちゃんに、もう一度お祭りを見せてあげたい…可愛い法被を着せて…盆踊りを踊るの…』
『ああ、見せてあげよう。トモちゃんの縫う法被着て、三人で踊ろう。美香ちゃん、とっても可愛いだろうね。』
あの時、もう殆ど起き上がる事も出来ず、死が目と鼻の先に近づいていた智子の肩を抱いて言う、和幸の優しい笑顔が脳裏を過ぎる…
『うん…』
智子は、満面の笑顔を和幸に返して頷くと、そのまま意識を遠のかせた。
それから、どれだけ長い間眠り続けたのであろう。
目が覚めた時…
自分が何者なのかもよくわからなくなっていた。
頭の中がボーッとしていて、何もかもがわからなくなっていたのだ。
ただ、死んだ筈の早苗と美香が、目覚めた自分の顔を覗き込み、泣き噦って見つめているのが、何とも奇妙な印象を与えた。
やがて、何もかもを思い出して、最初に脳裏を過ぎったのは、和幸と拾里で過ごした日々…
『希美ちゃん!』
智子の発した第一声は、それであった。
あの時…
全身を蝕む悪性腫瘍と、美香を死なせてしまった事への悔は、智子の感覚を完全に狂わせていた。
少女を美香だと信じて疑っていなかった。
和幸も、智子の前では最後まで少女を美香と呼び続けていた。
少女の名を、智子は最後まで知らなかった筈であった。
だのに、何故か目覚めると、少女の本当の名は希美だと知っていた。
更に不思議な事に、早苗と美香も当たり前に希美の事を知っていた。
希美と同じ社にいたと言う辰三にでも聞いたのだろうと思った。
しかし、聞けば二人とも目覚めた時から希美の事を知っていて、むしろ、二人から希美の事を細かく屋敷の者達に話したのだと言う。
何故、二人とも希美を知っているのか、早苗はわかっていない。目覚めたら、当たり前に希美の事を知っていて、別にそれを不思議とも何とも思っていなかった。元々、早苗とはそう言う子であった。
美香は何か知っているようである。しかし、尋ねても口を濁して何も答えようとはしなかった。
『おまえはな、もう子供を産む事はできないんだそうだ…』
不意にまた、診察台に寝かされた智子の顔を覗き込み、残忍に笑う眞吾宮司の顔が脳裏を過り出した。
眞吾宮司の面前で和幸に告白して以来…
智子に対する虐めは凄惨を極めた。
よくもこんな事を思いつくと思われるような暴行と凌辱が、連日に亘って繰り返された。
智子は耐え抜いた。
耐えて耐えて耐え抜き続けた。
苦痛ではなかった。
喜びですらあった。
凄惨な虐めを受ければ受ける程、心は和幸と強く結ばれる事を感じたから…
それに…
嬉しい事が一つあった。
何か社の祭事が行われる度に、和幸と智子が皮贄の儀式に引っ張り出され、大衆の面前で種付けをさせられた。
眞吾宮司からすれば智子を、榮太郎からすれは和幸を、晒し者にしているつもりであったのだろう。
二人が濃厚に絡み合う姿を眺め、居並ぶ者達と卑猥な声で笑い続けていた。
しかし、智子は知らないなと思った。
どう言う形であっても、和幸と肌を重ね一つに交わる事さえできれば幸せだったのだ。
産まれたままの姿で和幸と抱き合う時…
そこに見物人の姿もなければ猥雑な笑い声も存在しなかった…
いや、そこに時間すら存在しなかった。
あるのは二人だけの世界であった。
和幸の子種が智子の中いっぱいに放たれる…
和幸の愛の結晶が智子の中いっぱいに広がってゆく…
幸せであった…
最高に幸せであった…
それが終われば、眞吾宮司に弄ばれる和幸の目の前で、居並ぶ見物人達が一斉に智子の身体に殺到する事がわかっていても…
『赤ちゃん…できないかな…』
智子は、和幸に抱かれながら思い続けた。
『私の赤ちゃん、この人達の子じゃない…』
和幸に抱かれた後、それまで見物していた男達に絶え間なく弄ばれながら智子は思い続けた。
『私の赤ちゃん、誰が何と言ってもカズちゃんの子供…』
『カズちゃんの赤ちゃんを産みたい。』
『一月でお別れで良い。一月の間、思い切りカズちゃんと可愛がってあげて、その泣き声も笑い顔も一生忘れない。カズちゃんとの一生の思い出にする。』
『もし不具や病持ちで殺されそうになったら、カズちゃんと命がけで守ってあげる…』
『どうしても赤ちゃんを守りきれなかったら、赤ちゃんと一緒に私も死のう…カズちゃんの腕の中で…』
眞吾宮司に弄ばれる和幸の前で、数多の男達に弄ばれる最中…
心の中で、智子はひたすら和幸との赤子が産まれた時の事を思い続けて笑顔さえ浮かべていた。
しかし…
智子の細やかな夢は無残にも打ち砕かれた…
ある祭儀の日。
いつものように和幸との種付けを見世物にされた後、見物人達に弄ばれる最中に、智子のソコは出血が止まらなくなった。
それは、裂けたり擦れたりする事による出血ではなく、子袋が破けての出血であった。
最早、子を産む事は不可能…
そう診断が下された。
四歳から弄ばれ続けた智子は、既に子袋は傷だらけであった。
栄養不足に加えて、子袋が痛めつけられる事で、発育も背丈も七歳で止まっていた。
生理もなければ、乳房も殆ど膨らまず、発毛は全くなかった。
要するに、女としての機能は既に無きに等しかった。
それが、今回の傷で致命傷となり、完全に子袋は使いものにならなくなったと言う。
『知ってるか?女はな、子を産む道具にすぎんのだよ。子を産めない女は、卵を生み、乳を出し、労働力になる家畜以下なんじゃよ。特に、子を産む為だけに飼われてる白兎は、子を産めなくなったら何の価値もない。』
『子を産めぬ白兎はな、山に捨てるか異国に売られる事になっとるのじゃよ。でもな、わしはおまえをそんな可哀想な事はせんぞ。和幸の大切な玩具…死ぬまで、社で飼ってやるわ。』
眞吾宮司の嘲笑うような言葉など、智子の耳には何も入らなかった。
ただ…
和幸の子供を産む事ができない…
その事実が、智子に重くのしかかるだけであった。
和幸の子供を産む夢はとっくに失われていた。
もう諦めていた。
そんな彼女の前に、思いもかけず現れたのが希美であった。
素兎だったと言う希美は、これまでどんな人生を送ってきたのであろう。
背中には、鞭で打たれた傷の他、無数の切り傷や火傷の跡があった。
足の裏には、火傷と刺し傷があった。
目は虚で表情はなく、言葉はおろか声を発する事も全くない子であった。
泣きもせず、笑いもしなかった。
そんな希美を、智子は寝ても覚めてもひたすら抱きしめ続けた。
希美を拾って一月もした頃…
『お…母さん…』
『お…父さん…』
不意に目覚めた希美は、智子と和幸の顔を交互に見つめてながら、初めての声を発した。
『美香ちゃん!』
智子が思わず声を上げると…
『お…母さん…お…母さん…』
智子の顔をジッと見つめてニッコリ笑った。
そして、何を思ったのか、智子の胸に手を入れて弄りだした。
『まあ…おっぱい?』
智子が言うと…
『おっぱい…おっぱい…』
希美はまた、智子の胸を更に弄った。
『おっぱい、欲しいの?』
『うん。』
智子が胸を出してやると、希美は乳などでもしない乳首を嬉しそうに吸い始めた。
『カズちゃん、この子…』
智子が思わず和幸に目を向けると、和幸は満面の笑みを浮かべて大きく頷いて見せた。
『この子は、私の子…カズちゃんとの私の子…』
十歳だが、中身は三歳だと言われた。
智子には生まれたての乳飲み子に見えた。
年齢は十歳しか違わないが、紛れもなく和幸との子供だと思った。
『希美ちゃん…希美ちゃん…希美ちゃん…』
『希美ちゃんに会いたい…』
『希美ちゃんともう一度暮らしたい…拾里で過ごした、あの小屋で…』
その希美も、記憶を辿れば、あと三月しか生きられない筈であった。
しかし…
『拾里に…帰れない…』
智子は、玖玻璃の言葉に絶句した。
『そう。貴方達は今、この世に生きていない事になってるの。生きている事を知られてはいけないのよ。』
『カズちゃんと希美ちゃんにも?』
『そう、誰にも…』
『どうして…ですか?』
『ごめんなさい。今は、話せないわ。ただ、一つ言える事は、あなた達が生きている事が知れたら、大勢の命が失われると言う事…』
『大勢の?』
『そう。せっかく生き延びる事ができた命も、これから生き延びる事ができるかも知れない命も全て…』
玖玻璃はそう言うと、智子を抱きしめて自身も涙を流し続けていた。
『トモ母さん、元気になるまでの辛抱なのよ。身体を完全に治して、元気になった頃、私達、またみんなに会えるの。サナ姉ちゃんだって、タカ兄ちゃんや亜美姉ちゃん達に会いたいの必死に我慢してるの。お願い、わかって…わかってね。』
美香もまた、やはり涙を流して言いながら、智子の手を握り締め続けた。
『それじゃあ、遅いのよ…だって…だって…希美ちゃんは…希美ちゃんは…』
声を上げて泣き噦る智子も、やがて、仮に誰の許可を得られても、会いになど行けない現実を知った。
和幸と過ごした拾里まで、屋敷からは一山越えなければ行けなかった。
しかも、今は拾里から更に一山越えた社で暮らしていると言う。
今の自分の身体では、とても歩いて行ける距離ではなかった。
智子は、希美と会うのを諦めざるを得なかった。
同時に…
だったら、自分が助かった事に、生きていた事に何の意味があるのだろう…
和幸と過ごした数ヶ月の間、二人の短い愛の証とも言える娘に会えないなら…
和幸との娘が逝ってしまった後、仮に再び和幸に会えたとして…
何の意味があるのだろう…
希美がいなくなってしまったら、自分にはもう何もない…
和幸の為に子供を産む事ができないのだ…
子供を産むだけじゃない…
全身切り刻まれてボロボロになった自分は、一生、まともな身体には戻れない…
寝たり起きたりを繰り返しながら、死ぬまで他人の世話になって生きてゆかねばならないのだ…
それに…
今の和幸には、菜穂がいる。
恐らく、再び会いに行ったその時には、和幸は菜穂と夫婦になり、ひょっとしたら子供ができているのかも知れない…
それでも、和幸は暖かく受け入れてくれるだろう…
菜穂も優しく迎え入れてくれるだろう…
いや…
菜穂は、何も言わず身を引くかも知れない…
『トモちゃん、僕も拾里に連れてってくれないか…』
余命いくばくもないと知り、一人寂しく拾里に立とうとした時…
和幸はそう言って、智子を後ろから抱きしめた。
優しく笑いかけるその目から、止め処なく涙を溢れさせていた。
『カズちゃん、でも…でも…私…』
智子はそれ以上言葉を発する事が出来ず、ただ首を振り続けていた。
美香が死んだとされた直後、和幸と別れた。
別れを切り出したのは智子の方であった。
和幸は、美香が死んだとされた直後から、最早、智子への想いを隠す事はなくなった。
『僕はトモちゃんが好きだ!もう、誰に隠す事も偽る事もしない!』
眞吾宮司の前で、堂々と公言して見せたのである。
そして、眞吾宮司の前で智子を抱きしめ、唇を重ねたのである。
『カズちゃん…』
『トモちゃん、ごめんね。これまでずっと寂しい思い、辛い思いをさせてきてごめんね。
でも…
美香ちゃんが死んだ今、もう何も怖い物なんてないさ。これからは君への想いを隠さない!偽らない!ずっと一緒だ!』
怒りと嫉妬に駆られた眞吾宮司の迫害が、以前にも苛烈さを増した事は言うまでもなかった。
智子にとって、そんな事は何でもなかった。
自分のせいで美香を死なせた。
その事を思えば、自分への罰などこんなものでは済まされないような気がした。
むしろ、今度は和幸も一緒に苛烈な迫害を受けるようになった事に胸を痛めた。
言葉に尽くせぬ凌辱と暴行…
眞吾宮司は、敢えて榮太郎に和幸を虐げさせた。
眞吾宮司の寵愛を奪われたで嫉妬に狂っていた榮太郎に、和幸を虐め抜かせた。
『カズちゃん!』
榮太郎率いる小川組神漏兵達に暴行され、傷だらけの和幸を見兼ねて駆け寄ろうとした時…
『美香を死なせておきながら、恋人ごっこか?この石女め…』
眞吾宮司は、智子の髪を掴んで耳元に囁いた。
『お願い…私はどうなっても良いの…カズちゃんを…カズちゃんだけは…』
『なーに、心配する事はないさ。そんなに好き同士なら、ずーっと一緒にいられるようにしてやるさ。』
『えっ?』
『おまえを異国に売り飛ばす事に決めたよ、子を産めない女は、乳を出し卵を産む牛や鶏より役立たずじゃからな。その時、和幸も一緒に売り飛ばしてやろう。』
『やめて!カズちゃんだけは…カズちゃんだけは…』
泣き噦って取りすがる智子に…
『黒兎が売りに出されるとき、どうされるか知ってるか?』
美唯二郎が追い討ちをかけるように嘲笑って言った。
『男のイチモツを切り取られるんだぞ、コイツでな。』
智子は、美唯二郎が懐から錆びて刃の欠けた剃刀を取り出して見せつけられると蒼白になった。
『痛い何てもんじゃない。大概、切り落とされ、売り飛ばされる時には気が狂っているさ。』
『お願い!やめて!お願い!何でもします!どんな事にも従います!だから…だから…』
智子が一段と声を上げて泣き叫ぶと…
『おまえも酷い女じゃな。美香を死なせた上に、惚れ狂った男まで、男でなくさせるんじゃからからな。』
『仕方ありませんよ、宮司様。こいつは石女、女じゃないのですから…』
『そうじゃった、そうじゃった。』
眞吾宮司と美唯二郎はそう言って、甲高い声を上げて笑い出した。
智子は、和幸と別れる決意をした。
『私、最初からあんたのこと何か何とも思ってなかったわ!ただ、物欲しそうにして哀れだから抱かれてやっただけよ!』
そう言って…
『そうか…わかったよ。』
和幸は、静かにそう答えると優しく笑いかけて言った。
『同情からでも良い…今まで、僕を支えてくれてありがとう。』
程なく、眞吾宮司をはじめとする鱶見本社の神職者達が一斉に疾走した。
そのうち二人は、山林の中で遺体で発見された。
木に吊るされ、足の裏をとろ火で炙られながら、長い時間かけて殺されていたと言う。
噂では、本土総社の手の者に暗殺されたと囁かれていた。
兼ねてより、眞吾宮司の残忍な扱いで多くの白兎達を死なせ、石女にしていた事が問題視されていた。
神領の神職者達の職務は、白兎の少女達を孕ませ子を産ませる事である。それが出来ぬ宮司は罷免され、まして何人も石女にしたとあっては身分剥奪されてもおかしくはなかった。
眞吾宮司がそうならなかったのは、三諸島…それも十握島の総大宮司家の者だからであった。
しかし、神領に対する重大な背反が発覚し、密かに消されたのではないかと言われていたが…
真相は闇の中であった。
智子は、何となく和幸が絡んでいるのではないかと感じていた。
特に根拠はないが、和幸と結ばれてから、彼の胸の内が色々わかるようになっていた。
優しげに見えて、実は激しいものを胸に秘めてる事…
怒りと悲しみ…
やるせなさ…
正義に燃える熱い思い…
眞吾宮司に、女のように身体を開きながら、いつかはと言う熱い思い…
和幸が眞吾宮司達を…
智子は心の何処かで思いながら、口に出しては言わなかった。
自分自身の本当の思いと共に何も語らぬまま、新たな宮司が赴任した後も、和幸とは距離を置き続けた。
新たな宮司は、前の宮司と全く違う人物であった。
新たな宮司の元で、社も社領も前と一変された。
時同じくして、新たに白兎として引き取られた菜穂と、和幸は新たな恋を始めた。
智子との事があってから、ずっと塞ぎがちだった和幸を心配していた兎神子の仲間達は、皆でこの恋を祝福した。
智子も、遠くから祝福して見守っていた。
やがて、かつて和幸と智子が恋仲であったことは、忘れられようとしているかに見えた。
そもそも、誰からも距離をおく智子自身の存在が、忘れられたかに思われた。
少なくとも、智子はそう感じていた。
そして…
智子の子袋に悪性腫瘍が見つかった。
子袋だけではなく、既に全身に転移していた。
拾里行きが決まった。
智子は、誰からも忘れられたまま、一人旅立とうと思っていた。
しかし、和幸は忘れてはいなかった。
菜穂との恋を深めながらも、片時も智子を忘れた事はなかった。
ずっと、智子を思い続けていた。
兎神子の仲間達も同じであった。
和幸と菜穂との恋は恋…
それとは別に、いつかは智子との関係が戻る事を願っていた。
『トモちゃん、カズちゃんも連れてっておやりよ。』
和幸のすぐ後から追いついてきた由香里が、智子の肩をポンと叩いて言った。
『そうだ…カズを連れて行ってやれ…』
更に秀行が言い…
『一緒に行け!』
『一緒に行くのよ!』
『一緒に行くんだ!』
『一緒に行くでごじゃる~!』
『一緒に行くポニョ~!』
政樹が…
雪絵が…
龍也が…
朱理が…
茜が…
他の兎神子の仲間達みんなが、智子を囲んで和幸と行く事を勧めた。
『私…そんな…そんな資格ない…だって…だって…私、カズちゃんに…』
智子がそう言って泣き出すと…
『忘れたのかい?君はいつだったか、僕にこう言ったね。誰に何を言われても良い、何をされても良い。僕の事が好きなのだと…
僕も同じだ。君の心が、もう僕になくても良い。君が僕を何とも思ってなくても、大嫌いでもかまわない。僕はトモちゃんが好きだ。大好きだ。トモちゃんの側にいられるなら、それだけで良い。』
『それじゃあ、ナッちゃんは?ナッちゃんの事はどうするの?』
すると、菜穂は何も言わず側により、智子の手を取り和幸の手を握らせた。
『ナッちゃん…』
『私からもお願い。カズ兄ちゃんを側に置いてあげて。カズ兄ちゃんが本当に好きなのは、トモ姉ちゃんよ。』
それだけ言うと、菜穂は二人の側を駆け離れて行き…
『カズ兄ちゃん、トモ姉ちゃんに優しくしてあげてね。幸せにしてあげてね。』
そう言って、満面の笑顔で手を振り、二人を見送り続けたのである。
拾里での日々…
小さな小屋を建て、和幸の為に食事を作り、着物を縫い、洗濯に掃除をし…
二人で岩戸屋敷に暮らす病人や障害を負った人々の世話をし続けた日々…
近所で自活する病人や障害を負った人々の手伝いもして…
とても静かで…
とても穏やかで…
山に囲まれ、何もない小さな里に、振り向けば和幸の優しい笑顔だけが、いつも眩しく輝いていた。
あの時…
美香を殺したのは自分だと思っていた。
美香を殺した自分に、幸せになる事、笑顔になる事を禁じていた。
自分は、笑ってはいけないのだと思い続けていた。
その自分が、いつの間にか笑っていた。
気づけば、満面の笑みを浮かべる自分に当惑してもいた。
そして、希美と出会った。
『チャンチャラカチャンチャン、チャンチャラカチャンチャン…チャンチャラカチャンチャン、チャンチャラカチャンチャン…』
和幸の腕に抱かれ、産まれて初めて目にする盆踊りに目を輝かせる希美の笑顔が、何度も脳裏を掠めてゆく。
身体が弱く、少し歩いただけで熱を出す希美は、自分で立って、踊りに混じる事は出来なかった。
それでも、皆が踊るのを前に、伴奏を口ずさみながら、楽しそうに手を動かし踊る仕草を続けていた。
『美香ちゃん、楽しい?』
智子が聞くと…
『あっぴ…あっぴ…』
希美は答える代わりに、自分が着ている法被と智子が着ている法被の襟裾を交互に握りながら、ニコニコ笑っていた。
『うんうん、美香ちゃん、法被よく似合ってるわ。可愛いわ。』
『お母さん、あっぴ……あっぴ…かーいー…』
『まあ、お母さんの法被も褒めてくれるの?』
『お母さん、あっぴ…あっぴ…かーいー』
『ありがとう。今度の収穫祭の時には、シゲさんの借り物でなくて、お母さんが縫った法被を着せてあげるね。』
智子がそう言うと…
『あっぴ…あっぴ…』
希美は一層嬉しそうな笑みを満面に浮かべて…
『チャンチャラカチャンチャン…チャンチャラカチャン…』
また、伴奏を口ずさみながら、和幸の腕の中で踊る仕草をし始めた。
『希美ちゃん…収穫祭を見ることできたのかな…
私の縫った法被、着る事できたのかな…
私の娘…
カズちゃんと私の愛の証…』
その愛の証は、もう直ぐこの世から消えてゆく。
自分を母と慕い、自分と和幸だけを頼りに生きていた小さな命は、もうすぐ消えてゆく。
自分の知らない所で…
自分が未だ此処にこうして生きてる事も知らぬままに、消えてゆく…
生き返らなければ良かった…
生き返らなければ、常世の国で希美を待つ事ができたのに…
智子は更に涙を溢れさせ、いつしか嗚咽を漏らしていた。
すると…
『トモちゃん、一緒に保育所に来て貰えないかな?』
伊織は、不意に何か思いついたように言った。
『保育所…赤ちゃん達のところ?』
智子が涙を拭いながら、首を傾げて伊織の方を向くと…
『何、これも治療の一つだよ。』
伊織はニッコリ笑いながら、智子に半纏を着せ、軽々と抱き上げた。

*画像は韓国出身女優のハラさんです。記事のイメージとして載せました。

 

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