こんな時間に更新しています。
山さんです。
今日あしたはあんまり更新できないかなぁとちょっと恐怖を抱いたため、出来るうちにしておこうという気になったわけです。
もち、毎日更新はするつもりだけど…。
なんで更新できないかって言うと、いま友人の家に来ておりまして(友達いたの? とかって聞くな。)それでゆっくりとネットサーフィン(死語じゃないよね?)をしておりました。
そこで、つい、友人のバンドのサイトへえらい久しぶりに行ってみたわけです。
…んと、顔までだしているんだから良いよな。
UNISTAというバンドです。
そうですね…、いわゆるJ-POPって言うんでしょうか?
知っている人は知っていると思うんですけど、渋谷DESEOっていうライブハウスがあるんですが、そこを中心に活動している四人組のバンドです。
ヴォーカルの甘い声と、さわやかな詩。
そしてそれを支える技術があるバンドです。
もちろんロックな曲もあります。
多分、その辺の下ta…おっと、人気が先行しているメジャーバンドよりもずっといいバンドだと思います。
きっとここから先は運だとか、コネだとかの世界なのかな…と漠然と思っていたりします。
友人達の中に、こうやって夢へ向かって突き進む奴らがいると思うと非常に嬉しくなります。
がんばってくれい!
…と、思い出して嬉しくなって、何を書くのか忘れてしまっていた。
んとですね。実はそのバンドに、昔私が参加していたんですよ…。
高校時代の話になりますが、ヴォーカルのゆうちゃんに誘われたんですよ。
ドラムとして。
で、その二ヵ月後にはライブデビュー。
曲目はスピッツの「空も飛べるはず」でした。
はっきり言ってど下手でしたよ。
でも、そのライブって言うのが、実は地域の児童館主催のライブでして、地域の公園でやったものだったんで、ある程度許されてましたね。
…ど下手だったけど!(←二度目)
ただ、当時としては、「児童館でバンド活動!」っていうのが新聞に載るくらい珍しい取り組みだったわけです。
少子化の中、子どもを児童館に呼び戻す取り組みとして効果があったわけです。
同時にそれは、小さい子にもバンドをさせるきっかけとなり、昔NHK教育テレビで「リトルロッカーズ」っていう、小学生のバンドがエンディングを流していたりしたんです。
その子達と一緒にライブでたりもしてたわけです。
…まあ、とにかくここのおかげで、私たちはうまいこと金もかけずに練習できたんですけどね…。
とにかくバンドにふれたきっかけはそんな感じでした。
でも、その直後にベース脱退。
仕方なく友人連中を探り新ベース参加。
その後は紆余曲折ありながらも、私が抜ける高2、12月のライブまでどうにかこうにか一緒にやっていきました。
まあ、その新ベースが入ってからが本当のバンド活動で、一時期は私も「プロになる!」
ぐらいに思っていたこともありました。
…下手だったけど…。
…練習もあんましなかったけど…。
いや、練習はしたし、だれよりも楽譜を覚えるのは早かったんですよ。ただ、テクニックを挙げるための練習をしなかったということで…。
…ノリだけで行くバンドマンの典型です。
「音楽はアドリブだっ!」
…とか思いながら、うまくたたけてなかったり…。
なんせ始めた理由が、
「女の子にもてたいから」
だもんな…。
まあ、大体そんな感じでみんな始めるんですけどね。
でもはまっていたのも確かなんですよ。
ずーっと続けていたサッカーを止めたのもこれが理由だし、
未だに、音楽聴くと、ギターの音とかよりも、ドラムの音聞いて手でたたきだしたり、口ずさんでたり、ベース音だけ覚えていたりするわけですから…。
たまにドラムをたたきたくなって、ドラムマニアとで我慢したりするわけです。
でも、なんでそこまではまったのかというと、その新ベースが参加した後、高1の夏にライブに出たのが理由なんですよ。
今度はちゃんとしたライブ。
新堀ギターっていう、ギター教室主催のライブです。
…でも、出来て5ヶ月、ライブ経験の二回目のうちらがですよ、
『お・お・と・り』
・・・を務めることになったんです・・・。
死ぬかと思いましたよ。
はっきり言って恥ずかしい演奏できないし、とはいえ技術はついていかないしで、ライブ当日も、何度も円陣組んで気合入れたりしてました。
…しかも長いんだ、出演時間までが…。
それでやった曲はたった一曲。
他のバンドは大体2,3曲。
そんな所でも差を見せられながら、Mr.Childrenの「innocent world」。しかも何かやってやろうということで、ベースがリバーブ(音にゆがみをかけて、エコーが効いたような感じにするもの)をかけまくって、ベースソロの部分を長めに取ったロングバージョン。
ちなみにそのベースの音は、後に「銭湯サウンド」と名づけられました。おして図ってください。
…で、そのおかげかどうか、ものすごい(と思えた。なんせ曲をやってる最中、記憶が一部飛ぶくらい緊張してたんだもん…。)盛況で終わったわけです。
そのせいですね。
一人では出来ない感動を味わったせいで、バンドにはまったんです。
特にドラムって一人だと間抜けでしょ?
もちろん一人で格好いい人もいるけど、それは上手な人なわけで、私にはそんなことは出来なかったわけです。
私はバンドマンだったんです。
少なくともそれ以降。
そして技術がない分、みんなの音を聞いて、バランスをとることに専念していました。
例えば、音量とかね。
あるいは、ギターの音の調子とかね。
絶対音感とかは持ってないけど、何となく分かったんですよ、彼らの最良の音と、いまとの違いが。
…でも、辞めているから、ここでこんなことを書いているんですよね。
彼らのサイトに行っても、遠いところにいるようで、コメントも残していけませんでした。
未だにライブのお知らせとか、教えてもらってますけどね、忙しくていけてないんですよ。
だから、少なくとも心の中で、
『がんばってメジャー行けよ』
って、GOサインを出し続け、FIGHTと声をからすまで叫んでいます。
なんかまとまってない文章だな。
まあ時にはこんな文章も良いでしょうか?
うん。バンドって、良いですよ…。
…ただ、『メジャー行けよ』って心の叫びが、実現した時には、
「UNISTAって俺がいたバンドなんだぜっ!」
…と自慢したいが為の叫びであることはここだけの内緒にしておこう…。
(ちっせぇ人間だな…。涙)
山さんです。
今日あしたはあんまり更新できないかなぁとちょっと恐怖を抱いたため、出来るうちにしておこうという気になったわけです。
もち、毎日更新はするつもりだけど…。
なんで更新できないかって言うと、いま友人の家に来ておりまして(友達いたの? とかって聞くな。)それでゆっくりとネットサーフィン(死語じゃないよね?)をしておりました。
そこで、つい、友人のバンドのサイトへえらい久しぶりに行ってみたわけです。
…んと、顔までだしているんだから良いよな。
UNISTAというバンドです。
そうですね…、いわゆるJ-POPって言うんでしょうか?
知っている人は知っていると思うんですけど、渋谷DESEOっていうライブハウスがあるんですが、そこを中心に活動している四人組のバンドです。
ヴォーカルの甘い声と、さわやかな詩。
そしてそれを支える技術があるバンドです。
もちろんロックな曲もあります。
多分、その辺の下ta…おっと、人気が先行しているメジャーバンドよりもずっといいバンドだと思います。
きっとここから先は運だとか、コネだとかの世界なのかな…と漠然と思っていたりします。
友人達の中に、こうやって夢へ向かって突き進む奴らがいると思うと非常に嬉しくなります。
がんばってくれい!
…と、思い出して嬉しくなって、何を書くのか忘れてしまっていた。
んとですね。実はそのバンドに、昔私が参加していたんですよ…。
高校時代の話になりますが、ヴォーカルのゆうちゃんに誘われたんですよ。
ドラムとして。
で、その二ヵ月後にはライブデビュー。
曲目はスピッツの「空も飛べるはず」でした。
はっきり言ってど下手でしたよ。
でも、そのライブって言うのが、実は地域の児童館主催のライブでして、地域の公園でやったものだったんで、ある程度許されてましたね。
…ど下手だったけど!(←二度目)
ただ、当時としては、「児童館でバンド活動!」っていうのが新聞に載るくらい珍しい取り組みだったわけです。
少子化の中、子どもを児童館に呼び戻す取り組みとして効果があったわけです。
同時にそれは、小さい子にもバンドをさせるきっかけとなり、昔NHK教育テレビで「リトルロッカーズ」っていう、小学生のバンドがエンディングを流していたりしたんです。
その子達と一緒にライブでたりもしてたわけです。
…まあ、とにかくここのおかげで、私たちはうまいこと金もかけずに練習できたんですけどね…。
とにかくバンドにふれたきっかけはそんな感じでした。
でも、その直後にベース脱退。
仕方なく友人連中を探り新ベース参加。
その後は紆余曲折ありながらも、私が抜ける高2、12月のライブまでどうにかこうにか一緒にやっていきました。
まあ、その新ベースが入ってからが本当のバンド活動で、一時期は私も「プロになる!」
ぐらいに思っていたこともありました。
…下手だったけど…。
…練習もあんましなかったけど…。
いや、練習はしたし、だれよりも楽譜を覚えるのは早かったんですよ。ただ、テクニックを挙げるための練習をしなかったということで…。
…ノリだけで行くバンドマンの典型です。
「音楽はアドリブだっ!」
…とか思いながら、うまくたたけてなかったり…。
なんせ始めた理由が、
「女の子にもてたいから」
だもんな…。
まあ、大体そんな感じでみんな始めるんですけどね。
でもはまっていたのも確かなんですよ。
ずーっと続けていたサッカーを止めたのもこれが理由だし、
未だに、音楽聴くと、ギターの音とかよりも、ドラムの音聞いて手でたたきだしたり、口ずさんでたり、ベース音だけ覚えていたりするわけですから…。
たまにドラムをたたきたくなって、ドラムマニアとで我慢したりするわけです。
でも、なんでそこまではまったのかというと、その新ベースが参加した後、高1の夏にライブに出たのが理由なんですよ。
今度はちゃんとしたライブ。
新堀ギターっていう、ギター教室主催のライブです。
…でも、出来て5ヶ月、ライブ経験の二回目のうちらがですよ、
『お・お・と・り』
・・・を務めることになったんです・・・。
死ぬかと思いましたよ。
はっきり言って恥ずかしい演奏できないし、とはいえ技術はついていかないしで、ライブ当日も、何度も円陣組んで気合入れたりしてました。
…しかも長いんだ、出演時間までが…。
それでやった曲はたった一曲。
他のバンドは大体2,3曲。
そんな所でも差を見せられながら、Mr.Childrenの「innocent world」。しかも何かやってやろうということで、ベースがリバーブ(音にゆがみをかけて、エコーが効いたような感じにするもの)をかけまくって、ベースソロの部分を長めに取ったロングバージョン。
ちなみにそのベースの音は、後に「銭湯サウンド」と名づけられました。おして図ってください。
…で、そのおかげかどうか、ものすごい(と思えた。なんせ曲をやってる最中、記憶が一部飛ぶくらい緊張してたんだもん…。)盛況で終わったわけです。
そのせいですね。
一人では出来ない感動を味わったせいで、バンドにはまったんです。
特にドラムって一人だと間抜けでしょ?
もちろん一人で格好いい人もいるけど、それは上手な人なわけで、私にはそんなことは出来なかったわけです。
私はバンドマンだったんです。
少なくともそれ以降。
そして技術がない分、みんなの音を聞いて、バランスをとることに専念していました。
例えば、音量とかね。
あるいは、ギターの音の調子とかね。
絶対音感とかは持ってないけど、何となく分かったんですよ、彼らの最良の音と、いまとの違いが。
…でも、辞めているから、ここでこんなことを書いているんですよね。
彼らのサイトに行っても、遠いところにいるようで、コメントも残していけませんでした。
未だにライブのお知らせとか、教えてもらってますけどね、忙しくていけてないんですよ。
だから、少なくとも心の中で、
『がんばってメジャー行けよ』
って、GOサインを出し続け、FIGHTと声をからすまで叫んでいます。
なんかまとまってない文章だな。
まあ時にはこんな文章も良いでしょうか?
うん。バンドって、良いですよ…。
…ただ、『メジャー行けよ』って心の叫びが、実現した時には、
「UNISTAって俺がいたバンドなんだぜっ!」
…と自慢したいが為の叫びであることはここだけの内緒にしておこう…。
(ちっせぇ人間だな…。涙)
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