妻が救援物資を集めていたので、岩手県北部の野田村へ、絵本など届けてきました。
救援物資というほどの量もなく、申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、預かった手前、義務もあり、行ってきました。
津波から1ヶ月。
がれきの山、解体OKとかかれた半・全壊の家屋、ちょうど昼についたから見られた炊き出しに並ぶ長い列。
復興はまだまだなんだと思う。
でも、列に並ぶ人達には笑顔があった。
途中で歩いている子どもたちにも笑顔があった。
少しだけでも、生活は落ち着いたんだと思う。
役場の人に聞くと、生活物資は足りてきた。でも細かいものがこれから必要になるといっていた。
それぞれのニーズにあったもの、あるいはお金が必要なんだろう。
ちょうど話を聞いているときに、オムツをもらいにくる家族がきた。ただ住むところが違うだけなのに、こうも違う。
岩手県の国道45号線を通っていたときも車でたった一分の距離で、全く違う風景が広がっていた。
野田村も新学期がきた。
教育委員会にいくと、まだ状況を把握している最中だという。
何が学活に必要なのか、まだ把握しきれていないのだ。
きっと普通に戻るのにこれから、まだまだかかる。まだまだ支援は必要だとわかる。これからわかるものもたくさんあるのだと思う。
妻は1ヶ月たったのにと、嘆いていた。
帰りに盛岡の妻の曾祖母宅による。
地震直後は数日連絡の取れなかった曾祖母だ。顔を見れて安心した。暮らしも落ち着いているようだった。
高速を通って、青森につく。
酒を片手に、この記事を書く。
罪悪感と、それでも日常を送る自分があるから支援できるのだと、偽善とも免罪符を求めているのだとも思える気持ちを抱えている。
救援物資というほどの量もなく、申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、預かった手前、義務もあり、行ってきました。
津波から1ヶ月。
がれきの山、解体OKとかかれた半・全壊の家屋、ちょうど昼についたから見られた炊き出しに並ぶ長い列。
復興はまだまだなんだと思う。
でも、列に並ぶ人達には笑顔があった。
途中で歩いている子どもたちにも笑顔があった。
少しだけでも、生活は落ち着いたんだと思う。
役場の人に聞くと、生活物資は足りてきた。でも細かいものがこれから必要になるといっていた。
それぞれのニーズにあったもの、あるいはお金が必要なんだろう。
ちょうど話を聞いているときに、オムツをもらいにくる家族がきた。ただ住むところが違うだけなのに、こうも違う。
岩手県の国道45号線を通っていたときも車でたった一分の距離で、全く違う風景が広がっていた。
野田村も新学期がきた。
教育委員会にいくと、まだ状況を把握している最中だという。
何が学活に必要なのか、まだ把握しきれていないのだ。
きっと普通に戻るのにこれから、まだまだかかる。まだまだ支援は必要だとわかる。これからわかるものもたくさんあるのだと思う。
妻は1ヶ月たったのにと、嘆いていた。
帰りに盛岡の妻の曾祖母宅による。
地震直後は数日連絡の取れなかった曾祖母だ。顔を見れて安心した。暮らしも落ち着いているようだった。
高速を通って、青森につく。
酒を片手に、この記事を書く。
罪悪感と、それでも日常を送る自分があるから支援できるのだと、偽善とも免罪符を求めているのだとも思える気持ちを抱えている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます