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教育基本法~前文~(長文)

2006年03月12日 22時42分39秒 | 過去~徒然から~
この記事はこちらの続きになります。一度条文をご覧になってからこの記事をお読み下さい。

先ほどのミスでかなりへこんでいますが、責任を果たすためにもがんばります。

しかし記事を始める前にお伝えすべき事があります。私は教育学部出身ですが、教育法規が専門ではありませんでした。
ですから専門的な法解釈はできませんが、『教育にたずさわった者』が教育基本法(以下教基法)を素直に読んでどう感じるか。そして、これをどう活かすか、あるいは改法に関して、どう考えたかを伝え、皆さんからの意見を求めるために書かせていただきます。これらをご理解の上、記事をお楽しみいただけると幸いです。

それでは本文に入りましょう。まずは教基法の『前文』です。
前文は三段構成になっていて、
一段、憲法の理念を実現するための、教育への期待。
二段、どんな教育を目指していくか。
三段、憲法と教基法の関係、教基法条文の目的。
…ということになるでしょうか?

まず一段目についてですが、教育というのは本当に力があります。負の例がわかりやすいと思いますが、ヒトラーユーゲントや、戦前の日本の教育。現代では北朝鮮など…。
その国の『理想』を実現するため、時間はかかりますが、一番簡単で確実なのが『教育』です。

では日本の『理想』とは何か。前文には『民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献』とあります。
さて、これのどこに問題があるでしょうか?

後に少し触れますが、憲法と教基法は密接な関係があります。教基法の改法には、改憲との関係が少なからずあることを考える必要がある気がします。

続いては二段目。
それでは一段目の理想を実現するために日本でどんな教育をするのか、という事ですが、教基法には『個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成』を目指し、『普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造を目指す教育』を行なうとあります。

『個人』に注目し、教基法は『個人を尊重しすぎる』という批判があるそうですが、その『個人』は『真理と平和』を求める『個人』でもあるのです。
なぜ『個人』という言葉のみを取り上げたがるのでしょうか?

後に詳しく触れたいと思っていますが、改法の方向は『愛国心』や『奉仕』など『公共』を意識しています。『公共』対『個人』という事でしょうか?

米のような究極的な個人主義の精神が教基法にあるのなら、これを『個人主義』と批判する事もわかりますが、『個人』のみでつくる事のできない『平和』を求める人間を育成する教育を目指す教基法が、どうして『個人主義』になるのでしょうか?

付け加えるならば、『個人』が集まって初めて『公共』はできるのです。
『公共』を維持するために『個人』があるのではありません。
公共に暮す最も(総数に限りなく近い)多数の『個人』が幸せになれるように『公共』というのはあるべきだと思います。

最後の三段目ですが『日本国憲法の精神に則り』とあり、憲法と教基法の密接な関係を述べています。つまり教基法と憲法は一蓮托生なわけです。

詳しい目的などはこの後の条文で触れていくことになりますが、『日本国憲法の精神』を実現するために教基法はあります。
そして教基法の中でも『教育の目的』として日本人が目指す理想が『日本国憲法に沿った形』で『改めて』明記されています。

…つまり改憲したとしても『教育の目的』は違うという、ズレができる事になり、仮に改憲して国の『理想』を変えたとしても(一段目で触れたように力のある)、『教育』が違う方向を向いていれば、その『理想』は『実現されない』事になるのです。 

教基法は『教育の基本』を述べています。その基本とは『国際社会で暮す日本人(人間)として最も大切な事』です。
そして、その基本を『しっかりと明記』し、『忘れずに守っていこう』という性質が教基法にはあります。

『基本』という大切な事は、付け加わる事はありうると思っています。確かに戦後、日本が考えてきた国際社会というのは広がっていきましたから。
しかし、その基本を「けずる」、「変える」というのには、矛盾があるんです。

なぜなら教基法の『基本』というのはさっきも言ったように『人としての最も大切で基本的なこと』ですから、『人間の本質』が変わらない限り『基本が変わる』わけがないんです。

教基法制定後約60年がたっています。
さあ、たった60年で『人間の本質』、そして『人間として基本的に大切な事』が、必要でなくなったり、変わったりするでしょうか?

教基法の『基本』の意味を考える限り、改法しようとする方向をしっかり見ていかないと、非常に恐ろしい事になる可能性があると私は思います。
だって『人としての基本』が捻じ曲げられるわけですから…。

さて、次は教基法の条文に一つずつ触れていきます。
どうぞお楽しみ下さい。

なお、改法の方向については後にふれるつもりでいますが、いつも行かせていただいているかぜさんのところに、教基法改法に関する詳しいリンク先がありました。こちらでもリンクをはらせていただきます。興味がおありの方は、ぜひ行ってみてください。