goo blog サービス終了のお知らせ 

後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

ウインドウズ10へ変えるべきか否か?試しに美しい雪景色の写真を掲載

2016年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム
自分で人生の達人だと自慢げにうそぶいている私は昨日、本当にパニックになってしまいました。
朝にコンピューターのスイッチを入れたら、「ウインドウズ10が自動的にインストールされているから電源を切らないで下さい」という大きな文字がデスクトップの上に出ているではありませんか。
ウインドウズ10は昨年、公開されてから悪い評判が盛んに流れていました。昨年この富士通のデスクトップ型の新機種をPCデポで買ったときもウインドウズ10は問題が多いから入れない方が良いと言われたのです。そしてウインドウズ8.1を入れてくれました。
そして誰に聞いても「ウインドウズ10は悪い」という評判なのです。
たとえば「ウインドウズ10の評価」を検索すると恐ろしい事例が沢山書いてあるのです。
一例を示します。「Windows 10の評判が悪い?評価は良い?意見が分かれるその理由 」
(http://www.inoue311.com/windows10-evaluation)をご覧下さい。
こんなに評判の悪い「ウイドウズ10」が自動的に入れられてしまうのです。
コンピューターのことに詳しくない私はすっかりパニックになりました。顔は真っ青になるのが自分でも分かったのです。
人生は最後まで苦労するものだ!その運命を受け入れよと自分を説得しながら待つこと1時間でインストールが終了しました。
早速使ってみるとウインドウズ8.1とあまり変わらず使えます。ホッとしました。
試しに日本の美しい雪景色の写真を5枚選び出し、編集作業をしてみました。
写真のトリミングはすぐに出来ましたが鮮明度や露出が変えられません。
それらを示す図形が違います。クリックすると丸い円が現れ、その中心に0という数字が出ます。この0を10、20、50、と増加させれば鮮明度が上がるのでしょう。
ところがカーソルの矢印を何処に持って行っても数字が変化しないのです。
2時間ほどコンピューターと格闘しましたがダメです。
家内が座ってカーソルの矢印を丸の右端にあてて、矢印を円周にそって時計回りにまわしたのです。そうしたらなんと中心の数字が丁度100まで増加したのです。時計回りと反対の方向にまわすとマイナス10、30、70、100と変わり鮮明度が悪くなります。
2時間の格闘を家内が一瞬にして解決してしまったのです。
その原因は家内がテレビのクイズ番組をよく見ているからと思います。そこでは一瞬の知識と勘が勝負を決めるのです。歴史、地理、文学などの知識を競うクイズもありますが図形を組み合わせるクイズもあります。それは数学の分野で言えば幾何学です。
私は昔から幾何学はダメでした。実験科学を専門にしていましたので全微分方程式や偏微分方程式をよく使いました。実験結果を微分方程式で表現するのです。
テレビのクイズでは体系的、そして学問的に考えていると負けてしまいます。一瞬の知識と勘が勝敗を決めるのです。
などと話がそれ過ぎました。
さて写真の編集が終わったところで一枚一枚の写真のメモリーサイズを縮小しないとブログの誌面に掲載出来ません。そこで又1時間ほどの格闘をしました。
遂に別な方法で解決しました。画面左端の「スタートぼたん」をクリックしてPhoto Gallery を開けます。出て来た画面の「編集」をクリックすると「サイズの変更」が出てきます。わたしの場合はそれを700にするとブログの誌面の丁度一杯の写真になることを発見しました。
こんな作業を5時間ほどもイライラしながら続けたのです。
ウインドウズ10にすると画面がよくフリーズすると言います。
私もネットで選んだ雪景色の写真をデスクトップに移動するとき何度もフリーズしました。仕方なくコンピューターの電源を手動で切り、しばらくして入れ直す方法でフリーズを解きました。
その後、写真を移動するときデスクトップの下の端に持っていくとフリーズしないことが分かりました。
このように数時間の格闘の末、編集を完了した日本の雪景色の写真を5枚示します。
さて表題の「ウインドウズ10へ変えるべきか否か?」という問いの解答を書きます。答えは曖昧模糊としたものです。新型の高性能で高価なコンピューターの場合は製造会社が自動的にインストールしてくるようです。古いコンピューターはウインドウズ10にするといろいろなトラブルが起きるようです。
兎に角、ネットで「ウインドウズ10の評価」を検索すると実にいろいろな情報が出ています。ご自分で調べて、その上運を天に任せて変えてみる覚悟するのも良いかもしてません。
ウインドウズ10に変えて具合が悪ければ1ケ月以内なら元のウインドウズ7や8.1へ簡単に変えられるらしいです。
戻す方法は簡単で次の通りです。
(1)スタートボタンを押し、全てのプログラムの中の「更新とセキュリティー」をクリックします。
(2)出て来た画面の「回復」をクリックします。
(3)「ウインドウズ7あるいは8.1に戻す」の「開始」をクリックすると元のように戻るそうです。

今日は皆様がコンピュータと相性が良いように、そしてウインドウズ10に変えても問題が起きないようにお祈り申しあげます。後藤和弘(藤山壮人)

なお写真の出典は、http://ailovei.com/?p=9393 (上の2枚)と、https://retrip.jp/articles/2812/ (下の3枚)です。









ウインドウズ10 で初めて写真を掲載してみました

2016年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム
今朝コンピューターのウインドウズ8.1が自動的にアップグレードされウインドウズ10になってしまいました。
ウインドウズ10は使い勝手が悪いという評判を聞いていたので大変困ってしまいました。
しかし使ってみると問題ありません。
しかし写真の編集やメモリーサイズの宿小にさんざん手こずり今やっと正常に写真を掲載出来るようになりました。
今日、自宅の庭に咲いている花の写真を試しに掲載いたします。
写真のメモリーサイズの変更は、まず目的の写真をデスクトップに出します。その次に、スタートボタンを押して、全てのプログラムの「Photo Gallery]を開いて行いました。ご参考になりましたら嬉しく存じます。
さてウインドウズ10ですが使ってみると使い勝手はそんなに悪くはありません。しかし余計ないろいろな機能がついているせいか、反応が少し遅いような感じです。前に使っていたウインドウズ8・1へ戻す方法は簡単です。
(1)スタートボタンを押し、全てのプログラムの中の「更新とセキャリティー」をクリックします。
(2)出て来た画面の「回復」をクリックします。
(3)「ウンドウズ8.1に戻す」の「開始」をクリックすると元のように戻ります。









西洋の植民地主義は南北アメリカの原住民へ大きな悲劇を与えた

2016年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム
5年前の今日は東日本大震災が起きた日です。
千年に一度という大津波が東日本の海岸沿いの市町村を襲い壊滅させました。その津波が原因で福島原発の4基の原子力発電装置が爆発して大量の放射性粉塵を噴き上げ広い範囲の住民が避難しました。
この東日本大震災の犠牲者は2万人にも達し、その上避難した人々の17万人がいまだに自宅に帰れず不便な生活を余儀なくされています。
今日は犠牲になられた方々のご冥福を祈り、不便な避難生活を続けている方々が一日でも早くもとの生活に戻られるようにお祈り申しあげます。
このような大規模な天災は何度か起きています。
その一方で愚かな人間の蛮行で大規模な人災も起きています。
その一例は大航海時代から始まった西洋人による南北の両方のアメリカ大陸の原住民の殺戮と植民地化による大きな悲劇です。
何故、この問題を取り上げるか?その理由をお読み下さい。
自分が国際問題を書く場合は公平に書く、客観的に書くということを心がけています。
しかし読む日本人の方の考えでは、私が欧米側のひいきをしていると理解されることが多いのです。
そして頂く多数のコメントは必ずのように西洋の植民地主義による南北アメリカの原住民の殺戮と征服に言及し、「欧米人は狩猟民族で残虐な遺伝子の持主です。そんな欧米人を擁護するような記事は間違っています」という趣旨なのです。
何度もこのようなコメントを頂いて私はあらてめてその歴史を調べてみました。
その一部は末尾の参考資料の「南米の征服、領有権主張および植民」に示してあります。
南米を領有しようとしたポルトガルとスぺンはローマ皇居の仲裁で1494年、トルデシリャス条約を調印して南米を2分したのです。南のブラジルから南端までをポルトガルのものとし北のベネズエラ、メキシコ、などの中南米をスペインのものとしたのです。
現在でも南米の南半分はポルトガル語は使用されていて北半分はスぺイン語圏なのはローマ公教も参加して作った1494年、トルデシリャス条約によるためなのです。
この西洋の植民地主義は石器時代からそこに定住していた原住民にとっては歴史上、最大の悲劇になったのです。
それは人類の大きな人災のなかでも最大級の悲劇だと私は考えています。
しかしこの事実をもって、「欧米人は狩猟民族で残虐な遺伝子の持主です」と結論するのは絶対に間違っていると考えています。
その理由は人間が何を食べて生活していようが、それとは関係なく等しく残虐な性質を心の底に持っていると考えられるからです。
その悪魔の意思が表に現れて行動を起こすか否かは周囲の状況次第なのです。
もし日本人が15世紀に遠洋航海のための大型帆船を作っていたら同じようなことをしたに違いありません。げんに豊臣秀吉は中國大陸の明を征服するために朝鮮に2度も攻め込んだのです。しかし朝鮮の兵士は南米の原住民のように無力でなく果敢な抵抗をしたのです。その首都の漢城を落とし鴨緑江まで達しましたが明までは攻め込めなかったのです。
私は人生の達人になろうとしています。ですから西洋の植民地主義は人類へ大きな悲劇を与えたという事実はそのまま素直に受け入れませう。
しかし、「欧米人は狩猟民族で残虐な遺伝子の持主です」という考え方は受け入れずに水に流してしまいます。明鏡止水の心境を保ちたいと思っています。
このようにして毎日を平穏な気持ちですごしています。今日の挿絵代わりの写真は先日、伊豆半島で撮った河津桜や菜の花の写真です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)
====参考資料===========
「南米の征服、領有権主張および植民」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E8%AB%B8%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E9%99%B8%E3%81%AE%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%8C%96
初期に既存文明を征服したのはスペインとポルトガルであった。1494年、トルデシリャス条約がローマ教皇によって批准され、これら2つの王国は自分達だけで非ヨーロッパ世界を二分した。その境界線は南アメリカ大陸の上に引かれた。この条約に従って、スペインの探検家バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアは太平洋に接する陸地はすべてスペインのものと主張した。スペインは初期にカリブ海の島嶼を征服していたが、急速にその領土拡大を進め、16世紀半ばまでにアステカ帝国およびインカ帝国を滅ぼして、南アメリカ西部から中央アメリカ、メキシコに至る地域を支配下においた。その同じ時期にポルトガルは南アメリカの東部を征服し、ブラジルと名付けた。

他のヨーロッパ諸国は、自分達に何の相談も無く定められたトルデシリャス条約に文句を付け始めた。イギリスとフランスは16世紀にアメリカ大陸に植民地を築こうとしたが、初めは失敗に終わった。しかし、17世紀に入って、その2王国に加えてオランダが恒久的な植民地を築くことに成功した。既にスペインが征服していたはずのカリブ海の島嶼(一部は疫病で無人化していた)であったり、スペインが植民地建設を試みたフロリダより北部の北アメリカ東海岸であったりした。

一方、これら後発のヨーロッパ諸国はすでにスペインとポルトガルが支配していた中南米やインド洋を避け、北アメリカの北を回航してアジアに至る航路(北西航路)を開拓しようとした。ジョン・カボット、ジャック・カルティエ、ヘンリー・ハドソンといった探検家らは国や貿易会社に支援され盛んに北アメリカや北極海に船を出した。こうした探索はカナダなど北アメリカの探検を進める原動力となったものの、グリーンランドの西方の海はことごとく流氷に閉ざされており、誰一人「北西航路」を発見できた者はいなかった。

北アメリカにおける初期植民地は、スペイン領フロリダ、イギリス領バージニアとニューイングランド、フランス領アカディアとカナダ、スウェーデン領ニュースウェーデンおよびオランダ領ニューネーデルラントであった。18世紀に入ってデンマーク=ノルウェーがグリーンランドの植民地を復活し、シベリアを横断したロシア帝国がアラスカに足場を築いた。

その他にも多くのヨーロッパ諸国がアメリカ大陸の植民地化について興味を示すようになり、領土争いは次第に激しさを増した。植民地の者達はしばしば隣の植民地からの攻撃に怯え、また先住民族や海賊の攻撃という可能性もあった。






「渡り鳥、オオワシ、ヒドリカモ、ツルの飛翔の写真」

2016年03月07日 | 写真
この前の記事、「こんなに豊かな野鳥たちに囲まれているのに気が付いていない」への追加の写真です。

上の1番目の写真が渡り鳥のオオワシの写真で、出典は、http://s.webry.info/sp/amamoto.at.webry.info/20150.. です。
場所は湖北で、足にブラックバスを捕まえて飛んでいます。
夏季にロシア東部(カムチャッカ半島、樺太北部など)で繁殖し、冬季になると越冬のため朝鮮半島、沿海州、カムチャッカ半島南部などへ南下する。
北海道のオホーツク海沿岸部では冬季に南下するオオワシが多く見られる。日本では冬季に越冬のため北海道や本州北部に飛来(冬鳥)する。一方でカムチャッカ半島では千島列島以南へ南下せずに留まる個体も多い。

上の写真はヒドリカモの写真で、出典は、http://torimiyuyu2008.web.fc2.com/hidorigamo-h.htm です。
06年の10月上旬 数種のカモがドッと印旛沼にやって来ました。大群は数百m沖の沼の真ん中辺に居て遠過ぎて撮ることは出来ませんでしたが、時おり周囲の田圃の上空を飛びまわります。
その中にヒドリガモも居ました。♂は完全に冬羽根に換羽し終わっているのかどうか分りません。

3番目の写真はツルの写真で、出典は、http://j.people.com.cn/n/2014/1108/c94659-8806355.html?urlpage=2 です。
2014年11月8日、中国東北部の臥竜湖生態保護区を飛ぶツルの写真です。
立冬を迎え、南に向う多くの渡り鳥が遼寧省北部の瀋陽市康平県臥竜湖で休憩する姿が見られました。気候が寒くなると、竜湖生態保護区は渡り鳥の集積地となるそうです。
日本にはタンチョウ、ナベヅル、マナヅル、などが見られます。
タンチョウは北海道東部に生息し、渡りはしません。
日本でのナベヅル、マナヅルの主な越冬地は九州の鹿児島県出水市と山口県周南市の八代です。
ナベツルは、シベリア地方から中国を南下して韓国に 渡り、さらに南下して壱岐を通り、長崎半島から八代海を通って、出水市に渡来してくるといわれています。

「富士山、菜の花、相模湾の海の写真」

2016年03月06日 | 写真
3月2日に伊豆の河津桜を見に行ったとき撮った富士山や菜の花や海の写真です。伊豆は暖かい土地なので一足先に春が来たようでした。
写真から春の雰囲気をお楽しみ頂けたら嬉しく思います。









中庸で穏健な日本人の 宗教との関係は素晴らしい

2016年03月06日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は日曜日です。毎週、日曜日には宗教に関する簡単な記事を書いています。
私は宗教が好きです。ですから日本人と宗教のかかわりをいろいろな角度から考えています。
結論を先に書けば、日本人の宗教との関係は中庸で穏健なので大変素晴らしいと思っています。
日本では非常に自由に考えられています。無宗教もよい、仏教も神道もよい、そしてキリスト教もよい。これが日本の宗教の風景なのです。
日本には科学的、合理的に考える人が多いので無宗教の人が半数以上いるようです。しかし人々は優しく、清潔で、住みやすい国です。ですから私は無宗教でも良いと思っています。

仏教も良いものです。特に鎌倉時代以後に出来た禅宗系の宗派が好きです。祖父が曹洞宗のお寺の住職をしていたので、幼少のころから観音経や般若心経を唱えていました。本堂の祭壇の裏ではよく遊んだものです。
神道もなじみ深いものです。元朝参りによく行ったものです。そして広々とした神社の境内は子供の頃の遊び場でした。
そしてキリスト教も良いものです。中年になってからカトリックの洗礼を受けました。家内も一緒に受けました。それ以来45年以上、毎週、日曜日は一緒にミサに行きます。
カトリックになってから仏教や神道のこと、そして全ての宗教のことが理解できるようになりました。愚かな私は、すべての物事を比較して考えないと理解出来ないのです。
例えば仏教とキリスト教は世界宗教という点で共通しています。神道は道教やヒンズー教と同じように一つの民族だけの「民族宗教」です。

世界宗教とはどんな国の人々にも国籍に関係なく納得出来る教えが中心になっています。仏教の教えの、「この世ははかない。栄枯盛衰は世のならい」という教えは全ての人類に共感される教えです。このような教えはカトリックにもあります。
仏教には神が出て来ません。しかし、お釈迦さまを神のように尊敬すればよいのです。そういう信仰も人それぞれで良いと思います。
ついでに説明すればユダヤ教徒だったイエス様が、この民族宗教を根底から変革して国籍に関係なく全ての人々が納得するような教えに変えたのです。
新約聖書によく登場するサマリヤ人とは全ての外国人を意味すると考えると、いかにイエス様が外国人を大切にし、愛したかがご理解出来ると思います。

下にこの記事の挿絵代わりに北海道のトラピスト修道院の写真を示します。
修道院は東南アジアに普及している上座仏教(小乗仏教)の僧院と比較すると大変似ています。
こんなことを考えると宗教の違いによる対立や戦争が如何にバカバカしいものかが実感できます。ですからこそ一つの宗派だけを狂信することが大変危険なのです。
宗教を信じる時は、絶対に狂信的になってはいけないのです。
そんなことを考えて今日もこれから日曜日のミサに行ってきます。今日は復活祭の前の四旬節の第四主日です。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)
=============================
挿絵代わりの北海道のトラピスト修道院の写真は4年前の6月に撮りました。
詳しくは、「北海道の生活の厳しさと雄大な自然(1)トラピスト修道院の自給自足の厳しさ」をご覧ください。記事は6月21日、http://blog.goo.ne.jp/yamansi-satoyama に掲載されています。









近所に花々が咲き、本当に春がやって来ました!

2016年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム
今日の最高気温は17度です。近所の畑や公園の花々の写真を先ほど撮って来ました。本当に春がやって来たと実感しながら帰ってきました。写真をお楽しみ下さい。春です。









トランプ氏の愛国心は偏狭過ぎる!中国人の深遠な愛国心

2016年03月05日 | 日記・エッセイ・コラム
大統領候補のトランプ氏はアメリカを再び偉大な国にすると叫んでいます。
そして隣国を非難し、メキシコをあしざまに非難しています。
中国と日本の経済活動もアメリカの富を奪っていると批判しています。
トランプ氏は間違いなく愛国者です。アメリカ人の愛国心を鼓舞して賛同者を集めています。
しかし私はトランプ氏の愛国心を偏狭な愛国心と定義します。
それは世界の平和を壊す危険性を含んでいるのです。
隣国を非難、罵倒し、軍事力だけに頼る愛国心を私は「偏狭な愛国心」と定義します。
もし一部の日本人がそれを真似すれば日本へ禍いを招き、日本人を不幸にすることになるでしょう。それは危険な愛国心です。
(1)「偏狭な愛国心」と「深遠な愛国心」の違い。
「偏狭な愛国心」に対して「深遠な愛国心」というものを考えてみましょう。
「深遠な愛国心」は国際社会の連帯のなかで同盟国と調和を取りながら、仮想敵国の危険性を最小にするという愛国心です。
一番重要なことは国際社会のなかで賢明な外交を展開し、仮想敵国が攻撃出来ないようにすることです。
そして軍備は戦争の抑止力になる現実を理解し、それを常に増強し、維持する努力も大切です。
この深遠な愛国心を日本の文化に調和させて強めることが非常に重要だと私は信じています。
(2)仏教国の日本の愛国心。
では、日本の文化の特徴とは何でしょう。
いろいろなとらえ方がありますが、今日は仏教国という特徴を取り上げてみたいと思います。
お釈迦様は人や動物や全ての生き物を殺すなと教えました。
ですから戦争も禁止です。しかし愚かな人間はお釈迦様の教え通り出来ません。
仮想敵国が日本へ攻め込んで来たら、私は銃を取り、戦う決心をしています。お釈迦様の教えに反して戦います。
しかし戦いながら第二次世界大戦の間に反戦を主張した僧侶が居たことを考えています。
そして悲しみながら銃を撃ちます。
私の「深遠な愛国心」とはそのようなものです。矛盾に満ちています。
しかしトランプ氏の真似とは程遠い内容の愛国心です。
(3)中国人の深遠な愛国心。
それでは日本の仮想敵国の中国の人々の愛国心を想像してみましょう。
人口の多い中国人ですから「偏狭な愛国心」の持主も「深遠な愛国心」の持主もいます。
この後者だけを取り上げて考えてみます。
私が付き合ったことのある多くの中国人は例外なく深遠な愛国心の持主でした。
ですから私は中国人が好きです。安心して付き合えるのです。一旦知り合いになると終生裏切らないのです。
広い心の持ち主なので、北京の中国政府を支持するとか台湾の中国政府を支持するとかを問題にしないのです。
中国人は古くからの中華文化を誇りにしています。そして中国民族を深く愛しているのです。意識的に政治的イデオロギィーを避けているのではありません。そんな矮小な問題を超越して中華文化を愛し、中華料理を楽しんでいるのです。
昔、欧米に住んでいる間に時々中華料理店へ行きました。欧米人に疲れた時に自然と足が向くのです。店に入って料理を注文し、座っていると何故かホットするのです。くつろげるのです。中国人の大きな懐に抱かれたような安堵感があるのです。
中国の悠久な歴史を考えると、中国が幾つかの国に分かれていた時代もあったのです。ですから大陸にある中華人民共和国と台湾の中華民国が並んで存在していても気にならないのです。どちらも同じような中華文化の国なのです。
それに比較すると日本人は日本文化を誇りにしているでしょうか?日本民族を深く愛しているでしょうか?
日本人の愛国心は軍事力や経済力のみに偏り過ぎているようで心配しています。もっと広く日本文化を愛するようにしたいと思っています。
明治維新の文明開化以来、日本人の欧米崇拝は時々度が過ぎています。もう少し隣の中国人の深遠な愛国心のことも考えるべきと思います。
(4)中国人の心を支える宗教世界。
さて話はトランプ氏から離れますが、最後に中国人の心を支えている彼等の宗教について書いておきます。
中国へ行くと仏教の寺院やラマ教の寺院をよく見かけます。
しかし少し注意深く観察すると関帝廟と孔子廟があちこちにあり、人々が長い線香を煙らせて拝んでいます。戦国時代に活躍した実在の武将の関羽様の像へ対する信仰です。
横浜の中華街の中にも関帝廟があり、参拝者が絶えません。参拝している人々は中国人と日本人です。関帝様は海を越えて日本人も守っているのです。
1800年前の中国の戦国時代がこうして日本人へかかわっているのです。 下に横浜の中華街の関帝廟の写真を示します。





上は横浜、中華街の関帝廟の写真で私自身が撮りました。
ついでに書けば、日本にはもう一つ埼玉県に本格的な道教寺院があります。
台湾から多くの宮大工を連れて来て建てたそうです。その写真を2枚示します。出典は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E5%A4%A9%E5%AE%AE です。



道教に加ええて中国人は仏教寺院も信仰しています。日本の神仏混淆のような宗教世界なのです。道教のことを知れば知るほど私は中国人に親近感を感じます。漢字が同じだけでなく宗教へ対する感じ方が同じなのです。
話がそれましたが、日本の平和を守るのは「深遠な愛国心」だけです。間違ってもトランプ氏流の「偏狭な愛国心」ではないと思います。
中国にも韓国にも「深遠な愛国心」の持主が多く住んでいます。それを想うと心が豊かになります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

水ぬるむ多摩川の流れ

2016年03月03日 | 写真
昨日はバス旅行で伊豆半島の河津桜の写真を撮りに行きました。
今日は少々疲れたので近所の多摩川の写真を撮りに行きました。府中市の多摩川は悠々としていて、水ぬるむ流れという風情でした。
写真をご覧頂き、ゆったりとした気分になられたら嬉しく思います。









トランプ氏が大統領になったら三つの甚大な影響を受ける日本

2016年03月03日 | 日記・エッセイ・コラム
今朝の新聞によるとトランプ氏は3月1日の11州の選挙で7州で一位になり、また躍進しました。この勢いですと、彼は共和党を代表して大統領の候補者に決定することが現実味を帯びてきました。
一方、民主党の候補者がもしクリントン氏と決まれば、トランプ氏との決勝戦になるのです。
しかしこの11月の最終選挙でどちらが勝つかは予断が許されません。
もし差別主義者のトランプ氏が勝って、2017年から4年間、アメリカ大統領になった場合に日本の防衛、経済、社会文化は甚大な影響を受けると考えられます。
そして大統領がクリントン氏になった場合でも、この約一年間にわたって吹き荒れた「トランプ旋風」の日本への大きな影響はまぬかれないと考えられます。
それではこの日本への影響を3つの分野について概観してみようと思います。
(1)政治では安倍総理の軍備強化路線を助け、自主防衛政策を促進
トランプ氏は日米安保が不公平であり、アメリカは日本の防衛の支援を限定的にとどめるような意味の発言をしています。そして在日米軍基地は撤収はしない。しかしそれはアメリカが再び偉大になるためであり日本はもっと努力すべしという考えのようです。
彼は「偉大なアメリカ」と、全ての外国とを差別しようとする差別主義者なのでに日米安保に疑問を感じているのです。
もし彼が2017年からアメリカ大統領に就任したら、安倍総理は日本の軍備強化策をとらざるを得ません。平和憲法も早急に改正する方向に走るでしょう。
この方向は安倍総理が以前から主張していた「戦後レジームからの脱却」の方向に一致しているのです。
しかしその一方で在日米軍基地の早急な再配置も要求されるでしょうから、普天間基地の辺野古への移転も急がざるを得なくなります。
軍事的には中国と北朝鮮との対立が一層緊張する方向に変化するでしょう。
このような情勢では平和憲法の改正も容易になります。
これこそ安倍総理の主張している「戦後レジームからの脱却」になるのです。
安倍総理はトランプ氏が大統領になることを内心、ひそかに待ち望んでいるとしても不自然ではありません。
(2)日米貿易で日本が不利になる条件の要求
トランプ氏は中国も日本も経済活動を通じて、巧妙にアメリカの富を奪っていると差別的な発言をしています。この点ではクリントン氏も同じです
具体的には知的財産の盗用と為替レートと貿易関税の問題です。
分かりやすい問題の貿易関税だけを取り上げてみます。
トランプ氏はオバマ政権の進めて来たTPPにあからさまに反対しています。脱退するという方向です。そして日米貿易ではアメリカの小麦や牛肉の日本の関税を撤廃し、自由に輸出出来るようにすべしと公言しています。
これは一つの例に過ぎません。あらゆる日米貿易の分野でアメリカに富をかき集めるような政策をアメリカ側は要求してくるでしょう。
戦後70年、アメリカは日本経済の復興と高度成長を助けて来たのです。今度はアメリカが再び偉大な国になるために日本は借りを返すべきと考えているのでしょうか?
その真意は別にして日米間の経済活動は日本がやりにくくなることが予想されます。
この動きは中國経済の減速とあいまって安倍政権を苦しめることになるでしょう。
(3)日本が排他的で差別的な社会になる
戦後70年、アメリカは黒人差別を無くし、全ての差別的な考えの払拭に努力して来ました。差別用語の撤廃やヘイトスピーチの禁止などはアメリカ社会が世界に先駆けて推進して来ました。
それはアメリカの輝かしい理想主義でした。アメリカ社会は完全なる平等世界として多数の同盟国の尊敬を集めていたのです。
日本もこの理想主義の影響を強く受け、徹底的な差別用語の禁止をしています。それは日本の社会や文化の変質を意味していたのです。
ところがトランプ氏はメキシコなどの外国を差別し、さらにイスラム教徒は入国禁止などと公言しています。メキシコ経由で不法入国した人々を侮蔑するヘイトスピーチを誰はばかることなく叫んでいます。
アメリカのワシントンポストのような有名な新聞がトランプ氏は大統領としてふさわしくなと猛烈が攻撃をしていますが、ますますトランプ氏の得票が増える一方です。
このアメリカ社会の180度の差別主義への変更は驚異的なものです。この動向は日本の差別主義者を勇気づけています。
日本にはかつて学歴差別が強くありました。官尊民卑などという差別もありました。男女差別も強かったのです。
差別は人間の心に潜む悪魔の心なのです。それを押さえるという文化から押さえなくても良いという文化へ変化しているのいが「トランプ旋風」の社会現象なのです。
すでにその影響はあるのでしょうが、もし彼がアメリカ大統領になったらその影響は甚大なものになるでしょう。
以上はトランプ旋風の日本への影響を3つの分野について概観した結果です。
考察は荒いものですので部分的には間違っているところはあると存じます。しかし大筋においては正しいのではないでしょうか。皆様からコメントを頂けたら幸いです。

今日の挿絵代わりの写真は昨日撮って来た伊豆半島の河津桜の写真です。すでに季節が移ろい葉桜になっていました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)









趣味は墓地の散歩、そして好きな場所は多摩墓地の一角

2016年03月02日 | 日記・エッセイ・コラム
いきなり私事で恐縮ですが祖父がお寺の住職をしたいたので幼い頃からお経に馴染んでいました。誰もいない本堂は良い遊び場でした。墓地も隠れん坊遊びには丁度良かったのです。
そのせいか大人になってもお寺や墓地の散歩は好きなもの一つになってしまいました。
散歩をしていると楽しかった幼少の頃のことが思い出されるのです。
そして墓地を散歩しているともう一つとても深い感動を覚えるのです。
一面に整然と並んでいるお墓を見るとそのお墓を建て、墓参りをしている遺族の一人一人の優しさが感じられます。人間の素晴らさを思い嬉しくなるのです。
そして墓石一つ一つにお釈迦さまが分け隔て無い慈悲を与えていると感じるのです。一切衆生悉有仏性としてお釈迦さまは全ての人の悟りと救済を願っているのです。
そんな訳で私はお寺に行けば必ずのように裏にある墓地を散歩します。
近所の都立小平墓地と都立多摩墓地は広大で樹木も多いので散歩の楽しい場所です。
そして特に好きな場所は多摩墓地の一角です。
そこには都内で亡くなった薄倖な無縁仏の墓碑が並んでいるのです。この世では孤独で幸いの薄かった人々の共同のお墓なのです。
そして「倶会一処(くえいっしょ)」と書いてあるのです。
その意味は先に浄土に往生している先祖たちと、共に同じ浄土に生まれたいと思う心持ちを表したものであるし、また同じ浄土へ往生させていただくことを喜ぶ姿も意味しているのです。
この世で全く孤独で不幸だった人も亡くなれば多くの先祖や親類、そして友人たちと一緒に楽しく過ごせるという意味なのです。
この無縁仏の共同のお墓は東京都のお役人が作ったのです。素晴らしいお役人たちです。
その都庁のお役人たちが作った無縁仏の共同のお墓の写真を示します。







これらのこの世では薄倖だった人々の共同のお墓は明治5年からの歴史があるのです。
それは明治5年に渋沢栄一が中心になって作った貧民共済施設の養育院の死者のお墓から始まったのです。渋沢栄一は日本の経済を大きく発展させた有名な人物です。しかしその一方で貧民救済事業にも力を注ぎ無縁仏のお墓も作ったのです。
最後の5枚目の写真はこの歴史を書いた説明板の写真です。

写真を拡大してご覧になれば鮮明な字が読み取れます。
さて養育院の創立は、養育院設立時の東京府知事大久保一翁(忠寛)が幕府の目付だったときに立案したと言います。
そのときに資金源とされ、養育院の設置資金にも使われたのが、松平定信が定めた江戸の貧民救済資金「七分積金」でした。
明治になり、当時七分積金(営繕会議所共有金)の管理を担当していたのが「日本資本主義の父」渋沢栄一でした。
渋沢栄一は1874(明治7)年より養育院の運営に関与し、1876(明治9)年5月11日に養育院事務長に任命されました。養育院は、1890(明治23)年、東京市営となり、渋沢栄一は養育院長に就任しました。以来91歳で亡くなるまで約50年間院長を続け、養育院廃止論の逆風を受けながら養育院を存続させ、分院・専門施設を開設して事業を拡大しました。
松平定信・大久保一翁・渋沢栄一と受け継がれてきた江戸・東京の福祉事業の歴史は戦後もつづき、現代の東京都健康長寿医療センターの設立につながっています。
詳しくは、http://www.tmghig.jp/hospital/about/about05.html をご覧下さい。

この多摩墓地の一角を散歩しながら私は人間の優しさを想います。そして楽しい散歩になります。そうして全国の市町村にある7万余のお寺の一角にある無縁仏のお墓を想像するのです。
そんなふうに時を過ごしながら今日も老境の一日が過ぎ行きます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)