後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「南米、カラカスの闘牛場でのミサで一緒に祈った人々」

2024年06月08日 | 日記・エッセイ・コラム

ベネズエラは南米大陸の北の部分を占める国。首都、カラカスに2週間ほど滞在した。1976年の事だった。裕福な人々は平地の街中に住み、貧しい人々は街を囲む山の斜面に手造りの家々を作り密集して住んでいる。熱帯特有の、あくまでも濃いコバルトブルーの空の下、人々は陽気で、明るく生きている。しかし、貧富の差の大きさと、生活の厳しさに、胸が痛くなる。こんな風景は南米以外には無い。ベネズエラへの人々への追憶は何故か悲しさに満ちている。

カラカス市で開催された国際会議で知り合った研究者に山の斜面の部落を案内して貰う。彼も貧民部落の出身なので案内出来ると言う。入り口に、蛇口の壊れた水道が一個あり、水が流れている。半身裸の男の子が水の入ったヤカンを2個持って坂道を登って行く。レンガや白いシックイで固めた不揃いの小さな家々が重なるように、斜面を埋めて、上へ、上へと続いている。誰も居ない。ガランとした空虚な路地を乾いた風が吹いている。悪臭もせず清潔な感じである。

中腹まで登ったら家の前で老婆が編み物をしている。我々をとがめるように、険しい目つきで見ている。案内してくれた彼が何か現地語で挨拶する。途端に笑顔を見せる。彼と老婆が何か話し合っている。後で彼に聞いた。ガランとして誰も居ないのは、日雇いの仕事で、皆な出た後だからと言う。そして観光客が現地の案内人なしで来ると殺されるから私へ注意するようにと言ったという。老婆と別れるとき、私の安全を祈るのか十字を切って見送ってくれた。そうだ、ここはカトリックの国。しかし見上げる部落には教会らしい建物が無い。

ホテルへ帰って、「キリスト教のミサに行きたいが何処かに教会があるか?」と聞いてみた。受付机のボーイが、「それなら裏にある闘牛場へ、朝7時に行け」と言う。

翌朝、早起きをして行ってみた。荒れて崩れかかった巨大な闘牛場の観客席を人々が埋め尽くしている。街の背後の山の貧民街から来た人々であるという。清潔ではあるが、みんな貧しそうな身なりだ。闘牛をする円形の土の上に小さな絨毯をしいて3人ほどの白衣の神父さんが祈っている。同じような白い服を着た20人くらいの侍者の姿も見える。貧民街には教会が無いので闘牛場を教会のかわりに使っているのだ。普通のカトリックのミサのようでもあるが、スペイン語が分からない。雰囲気や式次第が日本のカトリックと違うようだ。現地に昔からあるインディオの原始宗教と交じり合ったようなミサの雰囲気である。回りの人々はスペイン人とインディオの混血で浅黒いひとが多い。日本人のように見える人々も多い。そんな中へ溶け込んでしまい、一緒に祈った。賛美歌も一緒に歌った。メロディーだけで。

茫々、あれから50年。一緒に祈ったカラカスの人々のことが忘れれない。

写真はインターンットからお借りしました。

1番目の写真はベネズエラの首都、カラカスです。山に囲まれた盆地にあります。

2番目の写真は周囲の山を埋めつくす貧民街です。ベネズエラだけでなく南米にはよくある光景です。

3番目の写真はベネズエラの闘牛場です。南米では闘牛はよくあります。

4番目の写真はカトリックの野外ミサの風景です。

今日は南米のベネズエラの思い出を書きました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。 後藤和弘


2 コメント

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とても魅力的な記事でした。 (公務員の履歴書)
2013-07-04 02:26:00
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
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公務員の履歴書 さん (後藤和弘)
2013-07-20 16:45:07
公務員の履歴書 さん


コメント有難う御座います。

またよろしく。

後藤和弘
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