後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「お盆のいろいろな行事の写真」

2024年08月13日 | 日記・エッセイ・コラム
今日はお盆の風習のあれこれを書きたいと思います。
日本で最初にお盆を行ったのは推古天皇で、今から1400年も前の飛鳥時代です。 長い間、貴族や僧侶だけが行う特別な行事でしたが、江戸時代に入ると、ろうそくや提灯が大量生産されたこともあって、一般の人にも定着していきました。そして現在の一般的なお盆の期間は、8月13日から16日までです。
お盆の行事のあれこれの写真を示します。
写真の出典は、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E7%9B%86 です。
1番目の写真は精霊馬です。精霊牛馬とも言います。ナスとキュウリに割り箸などで脚を付けてウシとウマに見立てるのです。胡瓜の馬はあの世にいる故人が乗って急いでこの世に帰って来るのです。お盆が終われば茄子の牛の乗ってゆっくりあの世に帰ります。
2番目の写真は精霊船です。まこもで作った船にお盆中に供えた供物を載せ川に流 します。お盆が終われば精霊牛馬をまこもで作った船に乗せて流します。
3番目の写真は家の入口に飾られた盆提灯です。 故人の帰りを歓迎します。
4番目の写真は乾かしたまこもでの迎え火です。送り火も同じようにします。
苧殻(おがら)を焚く地方もあります。
 5番目の写真は幕末期のお盆の様子です。(『日本の礼儀と習慣のスケッチ』より、1867年出版 )
さてお盆の歴史を簡略に書きます。
仏教用語の「盂蘭盆会」の省略として「お盆」)と呼ばれています。盆とは文字どおり霊に対する供物を置くお盆のことです。供物を供え祀られる精霊も意味します。
中華文化圏では道教を中心として旧暦の七月を「鬼月」とする風習があります。旧暦の七月朔日に地獄の蓋が開き、七月十五日の中元節には地獄の蓋が閉じるという考え方は道教のものです。台湾や香港を中心に現在でも中元節は先祖崇拝の行事として盛大に祝われているそうです。
その盆の風習は日本全国に広まったのです。全国に比較的広まっている風習としてお盆休みの帰省があります。故郷を離れて暮らすことが一般化した昭和の後半から全国的に見られるようになりました。
海外では新年などに行われる花火大会ももともとは故人を供養するため始まったのです。隅田川花火大会も故人を供養するため始まったのです。
隅田川花火大会は、大飢饉とコレラで多くの死者が出た1732年(享保18年)に8代将軍・徳川吉宗が大川端(現在の隅田川河畔)で催した「川施餓鬼」が起源です。1733年7月9日(享保18年5月28日)、幕府は前年にならって川施餓鬼とあわせ両国の川開きの日に花火を打ち上げたのが、現在の花火大会のルーツと言われています。 
七夕はそもそも「棚幡」(たなばた)とも書き、故人を迎える精霊棚とその棚に安置する幡(ばん)を拵える日でした。7日の夕方から勤めたために棚幡がいつしか七夕になったのです。
 なお、お盆期間中、僧侶に読経してもらい報恩することを棚経(たなぎょう)参りと言います。棚経ともいうようになったのです。
東アジアのお盆のことです。韓国ではお盆は百中とも言います。8月24日から8月26日までの伝統行事のお盆です。これは朝鮮民族の習俗で陰暦の7月15日に祖先祭祀や墓参を始めとする行事が行われる祭日です。
韓国各地の寺では、「百中祈祷」という名で盂蘭盆斎をやります。ソウルあたりの寺院では数多くの信徒が集まるそうです。 
中国と台湾では、「盂蘭節」という旧暦7月15日に伝統行事のお盆があります。

今日はお盆の歴史といろいろな行事を説明しました。そして韓国、台湾、中国のお盆も簡単に紹介しました。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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