後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「行田への遥かな旅、美しい城と秘密の食べ物」

2022年12月19日 | 日記・エッセイ・コラム
今日は遥かに遠い町をご紹介したいと思います。関東平野の北にある行田市のことです。ロマンチックな旅でした。
東北自動車道を加須ICで降り、17km西へ走れば行田市に着く筈です。ところが道の左右は茫々たる水田と麦秋が広がっています。人家が遥か遠方に散在するばかりです。とても心細くなり旅愁を感じさせます。旅愁はロマンチックな思いに繋がります。知らない町への憧れも湧いて来ます。途中の風景の写真を示します。

1番目の写真は 東北自動車道を加須ICから行田市までの風景です。撮影日時は2008年6月7日午後です。
写真のような風景の中を根気よく走ると行田城が現れます。行田市は水田に浮かぶ孤島のようです。
行田城の高い天守閣は美しい白壁の建造物です。天守閣は高い石垣に囲まれ碧い水を湛えたお堀に写っています。3枚のお城の写真を示します。

2番目の写真は行田城の天守閣です。

3番目の写真は行田城の簡素な造りの隅櫓です。

4番目の写真は行田城を囲んでいるお堀の様子です。
行田城は忍城とも言います。この城は1479年に成田顕泰の作った城です。
埼玉県にある行田市は利根川と荒川の間にある低地です。周りは水を満々と湛えた水田が果てしなく広がっています。
江戸時代にはこの水田はほとんど沼や湖でした。そんな湖沼を外堀代わりに忍城を作ったのが、熊谷を本拠にしていた戦国武将の成田顕泰(あきやす)です。1479年に完成しています。
外堀のような湖沼が周りに広がり、敵が近づけない難攻不落の名城でした。その後111年間、1590年の秀吉による関東平定まで成田氏の城として存続しました。

1590年の秀吉の小田原城攻略の時には、城主の成田氏長が北条氏に味方します。
石田三成の率いる軍勢が忍城を取り囲みました。三成は湖沼の地形を巧みに利用して水攻めに出ました。利根川と荒川へ延長14kmもの堤を築き、多量の水を流し込んだそうです。今でも堤の一部が三成堤という名で残っています。

深い水で完全に囲まれましたが、なかなか落城しません。それを見た人々は、「城が浮いているから落城しない。浮き城だ!」と言い合ったそうです。映画「のぼうの城」で野村萬斎さんが城主を演じていました。水面は7月になると一面淡紅色の蓮の花に彩られます。
しかし、小田原城が落ちた後では、忍城も開城せざるを得ません。
江戸時代には徳川の城として、親藩、譜代16人の城主が在城しました。
上の写真にある白い天守閣は三階櫓と称する建物で1702年に完成しました。城番になった阿部忠秋が城の大改修をした時に作りました。
幸い、阿部氏はその後184年間城主を務めます。明治維新後、城は取り壊され民間へ払い下げになりました。現在の三階櫓は1988年に行田市によって再現された建物です。

私は若い頃から日本のお城の美しさに魅了され日本中のお城を丹念に見て回りました。
北海道の松前城、本州の津軽城、盛岡城、仙台城跡、白石城、松本城、掛川城、犬山城、名古屋城、大阪城、彦根城、姫路城、岡山城、松江城、高松城、熊本城などを訪れました。
日本のお城は戦争の為の構造もしていますが、それよりも美しく作られている文化財と思います。

考えて見ると箱根の関所から東には立派な天守閣のある本格的なお城は3つしかありません。
お城のある風景を見ながら戦国時代の歴史を想って頂けたら嬉しく思います。

城の話を止めて行田市の不思議な食べ物をご紹介したいと思います。
忍城のそばに水城公園があります。入るといきなり行田名物「ゼリーフライ」の看板の店があります。

5番目の写真は行田名物「ゼリーフライ」の看板の店です。
これが奇妙な食べ物で、秘密の名物らしいのです。ジャガイモ粉、おから、小麦粉を混ぜ、葱少々をいれ、木の串に笹かまぼこのような形につけて、油で揚げ、ソースに漬けたものです。おやつに行田の人々が好んで食べるそうです。買って食べたら素朴な懐かしい味がします。しかし何とも形容しがたい微妙な味です。味の好みは習慣によります。行田の人は子供の頃おやつとして食べ、習慣で好みの味になり、大人も老人も気軽に食べます。市内にゼリーフライを売る店が数十軒あるそうです。行田の主産業である足袋工場が当時は多くあり、女工さん達のオヤツとして作られたものだそうです。
好奇心の強い観光客が買っている。味はどうですか?と聞くと、買うのは2本だけにしたほうが良いですよ、と忠告してくれる。食した後で忠告に感謝!

行田の人の合言葉。「うまい。うまい!、うま過ぎる!」と呼びかけると、「十万石饅頭!」と答える。答えられない人は行田の人でない。よそ者である。この饅頭はテレビの「秘密のケンミンショー」で最近取り上げられたので有名になりました。
地方テレビ局のコマーシャルで、「うまい。うまい!、うま過ぎる!十万石饅頭!」と30年間変えずに流れていたそうです。

たまたま入ったウナギ店の隣が「十万石」の菓子店であった。ウナギを丁寧に焼いている間に家人が饅頭を十分過ぎるくらい買ってきた。上質の小豆をつかった、じょうよ饅頭で「花園饅頭」の行田版でした。

行田への旅は関東平野の広さとローカル文化の面白さを実感した小さな旅でした。
地方の歴史を調べると戦国時代から徳川の江戸幕府が出来るまでの動乱の時代の地方、地方の実態が浮き彫りになってくるのです。それぞれの地方には激しい時代の変化と武将の興亡があったのです。その動乱に巻き込まれた農民や町人を想うと粛然としたき気持ちにもなります。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。