後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「姉っさ。迎えにめえりやしたと馬が言う」

2020年02月21日 | 日記
今日は認知症と孤独死にまつわるエピソードをご紹介したいと思います。
始めは認知症の女を昔可愛がっていた馬が迎えに来る話です。馬は背に乗せてあの世へ送って行くのです。

認知症の牛枝さんの所に毎日夕方、3人の客が来るのです。その客は3頭の馬です。栗毛と鹿毛と青毛の馬です。昔仔馬の頃、牛枝さんと一緒に郷里の野原を遊び回った懐かしい3頭の馬です。
彼等は軍隊に徴用され戦場で死んでしまったのです。あの世でも牛枝さんと一緒に遊びたくて毎夕、迎えに来るのです。
・・・年嵩の栗毛の馬が牛枝さんの手をそっとなめる。
「姉っさ。今日も、迎えにめえりやした」
「そんなにせっついても、人の息は切れねえもんだ」
・・・そうして馬達は牛枝さんの初恋の人も連れて来るのです。凛々しい軍服姿です。牛枝さんを残して戦死しました。
こうして牛枝さんは毎夕のように3頭の馬と楽しい話をします。しかしどういう訳か3頭が暫く来ません。
ある日、3頭がそろってやってきます。栗毛が言います。
「姉っさ。しばらくぶりでやんす。今日はとうとう皆で話合って、おめえさを迎えにめえりやした」
「おう。ハヤトにナルトにミツルか。会いたかった、よう来てくれた」
牛枝さんは3頭の馬の大きな瞳を代わるがわる見ました。美しい懐かしい眼です。
「姉っさ。ではいよいよ出立です」「おう。有難や。この日ば今まで待っていた」牛枝さんは栗毛の手綱を掴んでヨイショッと馬の背に乗った。
暫くして牛枝の娘さんが旅立った牛枝さんの顔を見るのです。それは微睡んでいるような死に顔でした。

村田喜代子さんが書いた「エリザベスの友達」という小説の一節です。新潮社、2018年10月出版です。
認知症の人は昔の自分に帰り、その頃の場面を見ているのです。その頃会った人と話をしているのです。本気なのです。この本には認知症のいろいろな症例に対する対応方法が書いてあるのです。それが娘との暖かい愛情のオブラートで包みながら書いてあるので楽しい気分で読めるのです。
そして変なことをして荒れる認知症の老人を一瞬にして静かな平穏な気持ちにさせてしまう大橋看護師が重要な役割で出てきます。
妻や夫が認知症になったら愛情を持って接することも重要なのです。

今日の挿し絵代わりの写真は家内が木曽で撮った馬の写真です。





今日はついでに孤独死しそうな私の友人のことを書きます。
その友人は孤独に憧れ、山林を1000坪ほど買い、その中に家を作り独り暮らしをしていました。一生独身でしたので家族と縁が遠いのです。
自分で4輪駆動の車を運転して甲州や信州の旅を楽しんでいました。家の周りにはいろいろな草花を咲かせ、モリアオガエルを育てながら山の生活を満喫していました。
私は何度も彼のところに遊びに行って楽しい時を過ごしました。
シイタケの原木を貰ったり、クリンソウやワスレナグサの鉢植えも貰って来ました。
モリアオガエルの樹上の卵塊も見ました。家の中で飼育中のモリアオガエルの可愛い姿を何度も見ました。私自身の山林の中の小屋から500メートルだけ離れていたのです。
私の小屋の庭でも何度も二人でバーベキューもし一緒にビールを飲みました。

その彼も高齢になり自分で車を運転できなくなりました。
その時近所の別荘に来ている男が親切にも彼の通院と買い物に車で連れて行ってくれたのです。その上、山林の家の周囲の草刈りまで何度もしてくれたのです。
私は感動して彼の別荘を訪れたこともありました。
そんな親切なボランティアが5年ほど続いたとき別れが突然やって来ました。
私の友人が愚痴を言い出したのです。非難の対象は通院してる眼科の医者へ対する悪口です。自分の面倒を見ようとしない市役所の福祉課の役人達の悪口を言うのです。
通院に5年間も連れて行った別荘の人は静かに忠告しました。高齢になったら全ての人に感謝したほうが良いのですと言ったのです。しかし聞く耳を持っていません。親切に5年間も助けてくれた別荘の人に反論したのです。
私は別荘の人に味方をしました。そうしたら山林の中の独り暮らしの友人は怒り出し絶交を言い出しました。
こうして山林の中の独男は孤立無援になりました。彼は何年か後に文字通り孤独死をするでしょう。
後で親切な別荘の人と話し合いました。彼は良いことと信じ助けたつもりでしたが、迷惑だったのでしょう。自分が愚かだったのですと言います。そして淋しく微笑んでいました。

それから2年経過し目が見えなくなりました。北杜市の市役所の福祉課の人が何度も訪れて説得して目の見えなくなった友人を市の施設に入れたのです。福祉課の人の親切で孤独死は免れたのです。
結 論です。「高齢者は親切を干渉と考えてはいけません」

今日は認知症と孤独死にまつわるエピソードをご紹介いたしました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたしす。後藤和弘(藤山杜人)

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