後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「奥多摩へ紅葉狩りに行きました」

2020年11月20日 | 日記・エッセイ・コラム
秋も深まりました。東京の奥多摩も紅葉黄葉が美しい季節になりました。昨日その奥多摩へ紅葉狩りに行きました。JR奥多摩線の御岳駅から多摩川を遡りながら鳩ノ巣まで行き、あちこちに車を停めて紅葉の写真を撮りました。5枚の写真をお送りします。お楽しみ頂けたら嬉しいです。









紅葉を眺めて楽しむことを何故紅葉狩りと言うのでしょうか?
現在の紅葉狩りは単に紅葉を眺めるだけですが平安時代の貴族たちは紅葉を求めて山や渓谷へ行き真っ赤なもみじの木を手折り実際に手に取って楽しんでいたのです。
つまり昔の紅葉狩りは実際に紅葉を採っていたのです。ですから自然に紅葉狩りと呼んだと言われています。しかし自然保護を大切にする現代では実際に紅葉の木を折ることはしません。
現在は紅葉を求めて山や渓谷へ行き紅葉した美しい風景を楽しむことを紅葉狩りと言います。
紅葉狩りの由来にはもう一つ紅葉伝説があります。
平安時代に紅葉という名前の鬼女がいました。その鬼女を朝廷の命令で平維茂が討伐したのです。この話が由来になっているという説もあるのです。
この鬼女紅葉の伝説は能や歌舞伎や神楽の演目のひとつになっているのです。
詳しくは、「紅葉伝説」、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%85%E8%91%89%E4%BC%9D%E8%AA%AC に掲載されています。
さて紅葉の風景を楽しむのは日本人だけではありません。中国は勿論、紅葉風景が美しくなる国々の人は同じように眺め楽しむのです。
私は昔、スエーデンの大学で働いていたことがあります。季節は晩秋で、赤レンガの建物でした。その廊下に長い横窓がついています。窓の下に幅30cm位の棚が長くついています。その赤レンガの棚の上に枯れた麦が穂のついたまま無造作に置いてあったのです。
殺風景な廊下を通る度に私は一面に広がる麦畑を連想して心がほのぼのとしました。そして遥かな日本の紅葉風景を想いました。
穂のついたままの麦を飾っていたのは秘書の女性でした。季節によって飾るものを変えるそうです。
私は風流なのものが好きなのは人類共通であると思ったのです。


それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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