後藤和弘のブログ

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秋の青空に誘われて奥多摩湖まで行ってしまいました

2018年10月20日 | 日記・エッセイ・コラム
昨日は秋の青空が広がっていました。
つい青空に誘われて奥多摩にドライブに行きました。
樹々はまだ紅葉していませんがカッパー色になって秋の山々の美しい風景です。
鳩ノ巣くらいで帰って来るつもりでしたが、秋の色の山々にうながされて奥多摩湖まで行ってしまいました。

ずっと晴れていましたが奥多摩湖の上だけは暗い雲が覆っています。奥多摩湖だけ晩秋の風景になっていました。
そんな奥多摩湖の写真5枚のと続いて2枚の御岳駅の近くの多摩川の風景写真をお送りいたします。

それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)















===参考資料=========================
奥多摩湖とは、https://ja.wikipedia.org/wiki/奥多摩湖

1957年(昭和32年)多摩川を小河内ダム(おごうちダム)によって堰き止めて造られた。竣工当時、水道専用貯水池としては世界最大規模の貯水池であった。現在も水道専用貯水池としては日本最大級を誇る。現在、東京都の水源は利根川水系を主としているが、渇水時の水瓶として極めて重要な役割を担っている。また、東京都交通局の発電施設(多摩川第一発電所)も併設されており、発電された電気は東京電力へ売却され、奥多摩町・青梅市などの多摩地区に電力を供給している。
湖畔には様々な見どころ・観光施設があり、首都圏のオアシスとしても親しまれている。

ダム建設にあたり、旧:小河内村と山梨県丹波山村及び小菅村の945世帯約6,000人が移転を余儀なくされた。中でも旧:小河内村は、その大部分が水没した。移住先の一つに山梨県北巨摩郡高根町(現:北杜市)近辺があり、彼らはその後小海線清里駅(清里高原)周辺に再移住し、清里高原における農業や畜産、観光業の発展に大きく寄与した。
工事殉難者慰霊碑
建設中に東京都職員や建設会社社員、下請作業員ら87名が殉職し、現在では湖畔に慰霊碑が建てられている。
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