後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

フェレイラは棄教したがロドリゴはしなかった

2017年02月05日 | 日記・エッセイ・コラム
ロドリゴはポルトガルでフェレイラを先生にしてキリスト教神学を学び宣教への道へ入ったのです。
そして、その後、恩師、フェレイラは日本に渡り、18年間も宣教活動に情熱的に従事します。フェレイラの宣教活動は大きな成果をあげ、何万人もの日本人がキリシタンの洗礼を受けます。しかしそのフェレイラも遂に捕らえられ穴吊りの拷問にあい棄教します。
その噂を聞いたロドリゴは無謀にも長崎近辺の山地に上陸したのです。恩師の背教を確かめキリスト教に復帰させるためでした。苦しい潜伏生活の末にロドリゴは遂に井上筑後守に捕らえられ棄教を迫れるます。どうしても棄教をしないロドリゴに井上筑後守はキリスト教を捨てさせる役割をフェレイラにさせます。

映画、「沈黙ーサイレンスー」の山場です。ロドリゴは昔の恩師、フェレイラと対座します。
ロドリゴの頬に熱い涙が流れ落ちます。
しばしの沈黙の後で血の滲むような会話が続きます。
この会話で重要なことは下の2つと思います。

(1)日本ではキリスト教は根づかない。
恩師、フェレエラはロドリゴに諄々と説きます。この国は沼のようなものでキリスト教は絶対に根づかないと説明するのです。
日本の宗教の歴史を研究したフェレイラの確信的な説明です。この国に入ってきた外来の宗教は八百万の神と習合し、もともとの教義が変わり果てるのです。ザビエルの持ってきたキリスト教の神は「大日さま」という太陽信仰になってしまうのです。日本人に神は見えませんが大日さまは毎日見られるのです。この国では大日さまや大木や高い山が信仰の対象になっているのです。このような国にキリスト教がそのままの教義で定着する筈がないのです。
棄教し沢野忠庵という名前になっているフェレイラの言葉は理路整然としています。そしてそれは現在の日本にも当てはまるのです。
それはキリスト教に限ったことではありません。仏教も自然宗教の神道と混淆習合し、お釈迦様の教えが変わっていることを皆様はご承知の通りです。
しかしフェリエラの日本人に神は見えませんという言葉は間違っています。大部分の日本人にはキリスト教の神は見えませんが殉教して死んでしまったキリシタン達にはパライソにいる神が見えていたのです。見えていたからこそ拷問に耐えられたのです。
殉教したキリシタンは15万人とも30万人とも言います。しかしその数十倍のキリシタンが踏み絵を踏み、棄教したと装って解放されているのです。
棄教を装ったが本当は棄教しなかった人々が隠れキリシタンとなって子々孫々、明治時代まで生き延びてきたのです。

(2)神父が本当に信者を愛しているなら自分が棄教して数多くの信者を拷問から解放すべきである。
キリシタン取り締まりにあたっていた井上筑後守は一度は洗礼を受けたキリシタンだったのです。最初は外国人神父を捕らえると拷問にかけ殺していました。しかしそのやり方はキリシタンの信仰をますます強めると気が付きます。
神父を殺さないで棄教させる方が良いと考えたのです。
その為にはロドリゴの目の前で数名のキリシタンを穴吊りにして苦しむ姿を見せるのです。そしてロドリゴへお前が踏み絵を踏み、棄教すればこの苦しみ抜いているキリシタン達を即刻解放すると言うのです。
常日頃、信者を大切にし愛していたロドリゴは踏み絵を踏みます。井上筑後守は約束通り穴吊りの拷問を止めさせ全員を解放します。

棄教した神父は転びバテレンです。江戸のキリシタン屋敷に住み日本人になるのです。岡田三右衛門という日本人になってしまったロドリゴはあてがわれた妻と余生を暮らします。処刑された男の妻を貰い受けるのです。
さてロドリゴは本当に100%棄教したのでしょうか?
彼を秘かにパードレと呼ぶキチジローを下男にして平穏な夫婦生活をします。
刑死した前の夫のことを想うと笑顔になれない暗い妻をロドリゴはいたわったに違いありません。そのいたわりは無駄ではなかったのです。
棺桶の中のロドリゴの手の中に秘かに小さな十字架(メダイ)を握らせたのはあてがわれた妻だったのです。この冷たく見える妻は知っていたのです。夫は本当は棄教していないと知っていたのです。
燃え盛る棺桶の中で小さな十字架が何時までも燃え尽きないで輝いていたのです。
この場面は遠藤周作の原作にはありません。カトリックのセコセッシ監督が追加した場面です。
しかしこの場面でロドリゴが救われているのです。カトリックの私もホッとしました。
そう言えば、フェレイラも100%棄教していたかは疑わしいものです。本当の心の底は神だけが知っているのです。

映画の「沈黙」にはいろいろと考えさせられる問題が沢山ありますが、今日はこの位に致します。
挿し絵代わりの写真は明治時代になって禁教が解けたあとに九州のキリシタンの村落に建てられた教会の写真です。






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