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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

「嗚呼、懐かしい昭和時代」、その(2)「激動の出来事一覧」

2023年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
以前に八王子の長いイチョウ並木の黄葉の写真を撮りにいきました。この見事なイチョウ並木は途中で北方向に曲がると昭和天皇陵の紅葉した参道になります。そして昭和天皇陵と大正天皇陵が並んであります。その写真を道順に従って示します。1番目の写真と3番目の写真はお借りした写真であとの写真は私が撮りました。




この昭和天皇陵と香淳皇后陵は武蔵野御陵と呼ばれ、大正天皇陵と貞明皇后陵は多摩御陵と呼ばれています。二つの御陵は深い森に囲まれ静かな長い参道が続いています。
境内は自然な昔の武蔵野の森のようなのです。広い駐車場も森の中です。私はよくここに行き深い森の道を歩きます。
昭和天皇と香淳皇后を偲びながら昭和という激動の時代を考えていました。私が通った小学校の教室には昭和天皇と香淳皇后のお写真が飾ってあったのです。
そこで「嗚呼、懐かしい昭和時代」という連載記事を書く決心をしました。
その1番目の記事は、「嗚呼、懐かしい昭和時代」、その(1)「消滅した満州の日本人学校」でした。
今日は激動の昭和時代に起きた主な出来事の一覧を示したいと思います。

(1)昭和の戦前期
1927年(昭和2年) 昭和金融恐慌、東方会議、山東出兵、南京事件
1928年(昭和3年)済南事件、張作霖爆殺事件
1929年(昭和4年) 世界恐慌。
1930年(昭和5年) ロンドン海軍軍縮会議、濱口首相遭難事件。
1931年(昭和6年) 柳条湖事件、満州事変
1932年(昭和7年) 血盟団事件、五・一五事件、第一次上海事変、満州国建国。
1933年(昭和8年) 国際連盟脱退、滝川事件。

1936年(昭和11年) 二・二六事件、西安事件、阿部定事件。
1937年(昭和12年) 盧溝橋事件、第二次上海事変(日中戦争(支那事変)始まる)。
1938年(昭和13年) 張鼓峰事件。国家総動員法。
1939年(昭和14年) 第二次世界大戦開戦、ノモンハン事件
1940年(昭和15年) 日独伊三国軍事同盟、日華基本条約締結。
1941年(昭和16年) ゾルゲ事件、大政翼賛会、日ソ中立条約締結、真珠湾攻撃

12月8日 南方作戦発動、太平洋戦争(大東亜戦争)始まる。
1942年(昭和17年) ドーリットル空襲、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島の戦い。
1943年(昭和18年) アッツ島の戦い、学徒出陣、同盟国イタリアが連合国に降伏。
1945年(昭和20年) 硫黄島の戦い沖縄戦、占守島の戦い、国際連合設置、九州大学生体解剖事件。
3月10日 東京大空襲。
3月26日 沖縄戦。
5月 同盟国ドイツが連合国に降伏

7月 ポツダム宣言。
8月6日 広島市への原子爆弾投下。
8月8日 ソ連対日参戦。
8月9日 長崎市への原子爆弾投下。

8月10日 ポツダム宣言受諾の決定。
8月15日 玉音放送。
9月2日 降伏文書調印。

(2)昭和の戦後期
戦後のアメリカなどによる占領期、1945年(昭和20年) - 1952年(昭和27年)
1946年(昭和21年) - 1950年(昭和25年) 農地改革
1946年(昭和21年) 伊豆諸島返還。日本国憲法公布(1947年(昭和22年)5月施行)、人間宣言、昭和南海地震。
1951年(昭和26年) サンフランシスコ講和条約・(旧)日米安全保障条約締結。
1952年(昭和27年) 主権回復。トカラ列島返還。

1954年(昭和29年)自衛隊発足。第五福竜丸事件。
1956年(昭和31年)日ソ共同宣言発効、国際連合に加盟
1960年(昭和35年) (新)日米安全保障条約発効、安保反対闘争、日米新安全保障条約、カラーテレビ放送開始。
1964年(昭和39年) 第二水俣病発生、東京オリンピック開催
1965年(昭和40年)日韓基本条約締結。

1968年(昭和43年)東名高速道路開業、小笠原諸島返還。
1970年(昭和45年) 日本万国博覧会(大阪万博)開催。よど号ハイジャック事件。
1972年(昭和47年) 札幌オリンピック、あさま山荘事件、沖縄返還、日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明調印。

1976年(昭和51年)ロッキード事件
1978年(昭和53年)成田空港開港、日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約締結。
1987年(昭和62年)国鉄分割民営化によりJRグループが発足。
1988年(昭和63年)リクルート事件。
1989年(昭和64年)昭和天皇崩御、皇太子明仁親王が天皇に践祚。平成に改元。

以上は以下の資料をもとに抜粋し整理したものです。
「日本史の出来事」、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2%E3%81%AE%E5%87%BA%E6%9D%A5%E4%BA%8B

戦前の昭和11年に生まれ昭和33年に大学を卒業した私にとっては上の出来事はよく新聞でも読み鮮明に覚えております。そして戦前、戦後の食糧難の苦しい経験と相まって昭和の出来事は忘れることが出来ません。
この連載で取り上げる事件の順序は年代順ではなく現在の日本に大きな影響を与えたものを順に取り上げます。
最後に表題に「激動」と表現した理由を書いておきます。
昭和20年に日本が外国に完全に占領されたのは日本の歴史において初めてのことです。開闢以来の大事件でした。
この米英などによる占領は日本の社会と文化を根底から変えたのです。それは正しく激動の出来事でした。
この連載では日本がどのように変わったかも書いて行く予定です。
皆様は昭和という時代をどのようにお考えでしょうか?

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りいたします。後藤和弘(藤山杜人)

「嗚呼!年老いて趣味が無くなり、一つだけ残った」

2023年11月26日 | 日記・エッセイ・コラム
誰でもそうでしょうが老化すると体力が無くなります。すると体力が必要な趣味は続けられなくなります。
その上、知的な能力も次第に衰え、難しい本を読み続ける根気も無くなりがちです。
この状態を「あの人は枯れてきて立派だ」と褒める人もいます。
本人は達観の境地だ、いや諦観の境地だと言いながら、心静かに日々の流れに身を任せます。
しかし若い人から見れば趣味の数も減り、あまり読書もしない老境は悲しいものと映るようです。若い頃、私も老境は悲しい時期に違いないと考えていました。
体力が無くなったので25年続けて来たヨットの趣味を75歳ですっぱり止めました。
近くの高尾山や旧甲州街道の小仏峠に何度も登る趣味も80歳で止めました。
自転車で遠方に行く趣味も18年前に出来なくなりました。
難しい本を読み続ける趣味も消えて久しいものです。
趣味は幾つも止めてしまいましたが楽しい思い出が沢山残りました。
馬齢を重ね、87歳になって、私の趣味はたった一つだけになってしまったのです。
たった一つの趣味とは山林の中の小屋へ行って、ただ周囲の自然の風景を眺めることです。
四季折々、何時行ってもその風景を眺めて時を過ごします。気持ちが豊かになります。この世の憂いも忘れます。とても幸せな気分になります。
これを趣味と言えるか疑問ですが、私は残されたただ一つの趣味だと思っています。
晩秋にはその小屋の周囲の紅葉を眺めて時を過ごします。ある年の晩秋にった写真をお送りしましょう。
1番目の写真は小屋へ登る小道の紅葉です。雑木林の中の道を写した写真です。
四季折々、暗い雑木林の向こうに明るく陽の射した道が見えるのです。それを眺めながら車をゆっくり走らせます。至福の時間です。
2番目の写真は小屋の近くの雑木林です。冬に薪拾いをする雑木林です。真冬にはこの美しい紅葉もすっかり落葉します。すると林の中が明るくなります。枯れ枝が沢山落ちていて薪拾いが楽しく出来ます。
3番目の写真は小屋の窓からみた紅葉です。小川が流れています。その向こうは斜面になっていて岡の上に登る小道が作ってあります。昔、この急坂を子供や孫たちが登っていた姿を思い出して笑みが湧いてきます。急坂を「イノチガケ」と小学生の孫が名づけました。
4番目の写真は実にシンプルな薪ストーブです。非常に簡単な構造ですが薪がすぐに燃え上がり、室内が急速に温まるのです。薄い鉄板で出来ています。
初めのストーブは札幌から取り寄せましたが山梨県でも売っていました。
5番目の写真は粗末な小屋の写真です。質素な小屋だけに泊まると苦労が多いのです。
水道が無いので小川の水を使います。小川の有難味が身に沁みます。そんなことが楽しかったのです。この小屋の光景は1975年から変わっていません。すこしペンキが剥げかかっているだけです。

さて一般的に考えてみると趣味は人それぞれです。
若い時の趣味を高齢になっても相変わらず続けている人もいます。
身近にいる家人をつぶさに観察していると趣味は私と随分と違います。流石に茶道の趣味は止めましたが、花を世話をする趣味や読書の趣味は相変わらずです。特に源氏物語や現代文学の読書は熱心に続けています。これには感心しています。
妻のもう一つの趣味は広い公園を走る趣味です。今でも広い場所に行くと走り出します。しかし観察していると走る速度が遅くなっています。歩幅も狭くなっています。しかしフォームだけは昔のままです。

さて皆様は年齢とともにどのように趣味が変わっていったでしょうか? 趣味のお話をお聞かせ頂けたら嬉しく思います。

 それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)