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後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

結婚する息子と別れる母親の気持ちを描いた文章をご紹介します

2009年10月08日 | インポート

ネット上の友人に伊万里さんという方が居ます。伊万里焼きが大変好きでハンドルネームを伊万里としたようです。その方が趣味人倶楽部というSNSの日記欄に息子と別れる母親の心の揺れ動きを書いています。男親とは違うので、私には興味深く読ませて頂きました。転載の許可をご本人から頂いたのでご紹介いたします

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「♪ 思えば 遠くに来たもんだ~~ ♪」―伊万里

子供というもの 例外はあるにせよ 良くも悪くも 親の期待をことごとく裏切り 巣立っていくものだと思っている。かつて 自分がそうであったように 親を泣かせて独立していくものだと思う。
親稼業とは「希望」「落胆」「あきらめ」「受容」の連鎖だと思う。
息子が大学に入り 一人暮らしを始め引越しをした時 この先もう 一緒に暮らすことは 無いであろうと思った。「子別れ」だと思った。大学の4年間 息子が離れた地でどんな生活をしていたか 私は殆ど知らない。知りたいとも思わなかった。「子別れ」したのだから それで良いと思ってきた。
卒業の時 4年ぶりで息子の住む町を訪れた。空港に迎えに来た息子の傍らに 可愛い女性がいた。
話には聞いていた 息子の彼女だった。一目 見て 私は彼女を好きになった。無条件降伏であった。初対面にもかかわらず どこか懐かしく昔から知っている女の子に会えた気持ちになれた。と いうか 私に似ていると思った。性格 感性がどことはなしに 似ているのだ。
あれから 二人は遠距離恋愛を続け 反対をなさるご家族を説き伏せ 昨日やっと 結納にこぎつけた。スルスルと事が運び お母様と二人っきりになれた時 初めてお話をさせていただいた。
二人のことを応援してくださったのは お母様だけだと聞いていたので 御礼を申し上げたかったのだ。
女同士である。奇しくも同じ年齢 同級生、おまけに結婚に至った経緯もよく似ている女同士 ゆっくりお話しをしたかったのだ。
不出来な息子を認めて応援してくださったこと、快よく息子を受け入れて下さったこと 離れた地に娘さんを送り出してくださることに感謝した。結納に至る日までの二人を見ていて感じていたこと全て お話させていただいた。その時 お母様が涙を流された。お母様の胸のうちを 初めて聞かせていただいた。
私は 親として二人にしてやれることは 殆ど残っていないと思っている。 
これから始まる二人の生活に口を出す気もサラサラない。ただ お母様の思いは いつか息子に話さねばと 思っている。来月 二人は入籍する。挙式は来年になるそうだ。親稼業 いよいよ卒業である。
私に 可愛い娘ができた。(終わり)

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ある秋の日の午後の窓の外と内の写真

2009年10月08日 | 写真

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台風で午前中は大雨と強風。皆様のお宅は被害無かったでしょうか。こちらは台風一過の午後は抜けるような青空です。あまりにも美しいので、窓から青空の写真を撮りました。隣の姪の家のオレンジ色の壁が空の青さをより際立てています。

一転、窓の内を見ると何故かロールケーキが机の上に乗っています。ケーキを自分で作るため研究用に買ってきたものです。構造を詳しく観察して見ると、素人には難しそうです。食べてみると生クリームが充分使ってあり、チョコレート味のほろ苦さと調和して、流石プロの味です。

結論。ケーキは自作するより買って来た方が美味である。 

つまらない話なので止めます。(終わり)

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楽画樹ぐるーぷ2009絵画展のご案内

2009年10月08日 | うんちく・小ネタ

恒例の 楽画樹ぐるーぷ2009絵画展が今日、8日から12日(祝月曜日)まで午前10時から午後5時まで開催されています。場所はJR八王子駅北口前の「八王子スクエアビル学園都市センター」11階ギャラリーホールです。なお、最終日の12日は午後3時で終了します。

大学時代の同級生のT さんが毎年数点の油絵を出展していますので家内と一緒に観覧に行きます。毎年、T さんの腕が上達しているのが鮮明に分かります。今年は難しい人物の絵2枚も含めて4枚の油絵を展示していました。特に人物の描き方に長足の進歩が感じられます。風景画も作風を変え、果敢に挑戦しています。

他の出展作品もみな楽しい絵ですので是非ご覧頂ければ嬉しく思います。

下に T さんの風景画の写真2枚と2人の人物画の写真1枚と会場風景の写真1枚を掲載致します。お楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終わり)

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戦後、ほぼ10000件のアメリカ兵による殺人事件を報道しなかった日本のマスコミ

2009年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

大雑把に推定すると、約10000人の日本人が戦後占領したアメリカ兵の個人的犯罪で殺されているようです。その事実を皆様はご存じですか?

私がほぼ10000人と推定する根拠は、日本政府の調達庁にあった労働組合が実行した調査結果です。その詳細は以下の通りです。

1945年のアメリカ軍の日本占領から1958年迄、アメリカ兵による犯罪で殺された日本人は総計2536人、他に負傷者は3012人いました。政府の調達庁が都道府県へ問い合わせて回答のあったものだけの合計です。回答の無かった都道府県は、群馬、東京、京都、岡山、香川、宮崎などです。回答があったが書類が破棄されてこの調査結果に含まれなかった所は、青森、福岡、山形、神奈川、広島、愛媛、鹿児島などです。米軍基地の多い福岡や神奈川の件数を加えると数倍の件数になると思われます。

この様なアメリカ兵の個人的な犯罪により殺された日本人へは政府の調達庁や厚生省から見舞金が支払われて来たのです。昭和20年から昭和28年までに殺人事件被害者4339人の遺族へ見舞金が支払われていたのです。他に怪我した被害者、4,075人へは療養見舞金が支払われていました。

一番上に書いた殺人事件の数、2536人という数は遺族へ支払われた見舞金件数の4339人より非常に少ないですね。この調査は政府の調達庁にあった労働組合が実行したものであり官庁サイドの秘密保持の為、件数が非常に少なくなってしまい、また調査結果も矛盾しているようです。(以上の数字の出典:鶴見俊輔編著、「廃墟の中から」日本の100年第9巻、筑摩書房2008年8月初版)

正確な調査が出来なかった原因は調達庁や厚生省がアメリカ政府へ遠慮して各都道府県からの回答書類を破棄し秘密にしたからと推定されるます。

昭和20年から昭和28年までに殺人事件被害者4339人の遺族へ見舞金が支払われている事実だけを見ても、大雑把に10000人の日本人が戦後アメリカ兵の殺されたと推定しても大きな間違いが無いと思われます。これが冒頭に書いた10000人の根拠です。

日本の政府も新聞も放送局も戦後のアメリカ兵の犯罪を殆ど報道しませんでした。あからさまにしてアメリカ政府の怒りを買わないように気を使ったからです。関係した官庁は情報公開どころか書類を破棄し歴史の闇に葬ってしまったのです。

しかし新聞の三面記事には散発的に「おおきな男」が殺人事件を起こしたとか、「くろい人」が傷害事件を起こしたという記事を掲載していました。

昭和26年に日本が独立国家になった後にこそ正確な数字をマスコミが発表すべきだったと信じています。戦争の被害は戦場や空襲を受けた場所に限るのではないのです。敗戦後の占領地にも戦争被害が起きるのです。それに対して敗戦国の政府が見舞金を出して来たのです。

こういう酷い事実も知ってこそ、「絶対平和の重要性」を胆に命ずることが出来るのです。

我々はまだまだ戦争の悪魔性を知っていません。歴史の闇へ葬られた事実を調べ直すのがマスコミの使命ではないでしょうか?昨日今日の事件は興味本位にあれだけの報道をしながら、戦後の闇を一切知らぬ存ぜぬという姿勢に幻滅を感じます。皆様はいかがお考えでしょうか?

今日は日本の情報公開が進み、ますます戦争反対の気持ちが強くなるようにお祈りいたします。           藤山杜人