浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

朝鮮人だけでなく、日本人自身が認めようとはしない歴史

2012-11-03 00:16:46 | 資料

日本は韓国統治の際、韓国人に貴族の地位を与えている。
日本の朝鮮統治は植民地ではなく、内地延長であった。

侯 爵 5名 

李載完、李載覚、李海昌、尹沢栄、 朴泳孝。

 李載完(イ・ジェワン)

李氏朝鮮及び大韓帝国の政治家、陸軍軍人。本貫は全州李氏。大院君の甥にあたる。

  李載覚

李氏朝鮮末期の政治家。本貫は全州李氏。荘献世子の玄孫にあたる。

 李海昌

李氏朝鮮末期の政治家。本貫は全州李氏。

 尹沢栄(ユン・ドギョン)

李氏朝鮮末期、大韓帝国及び日本統治時代の朝鮮の政治家。純宗の舅にあたる海豊府院君尹沢栄の兄。

 朴泳孝( パク・ヨンヒョ)

李氏朝鮮の政治家で、日本統治時代の朝鮮における貴族で実業家。日本名は山崎永春。韓国国旗である太極旗のデザインを考案した。

李完用内閣の宮内大臣。
併合後の1926年に中枢院議長と、1932年に貴族院議員となる。

伯 爵 3名

李址鎔。(第二次日韓協約締結時の内部大臣、朝鮮総督府中枢院顧問)
閔泳璘。


李完用(協約締結時の学部大臣、韓国併合時は総理大臣、朝鮮総督府中枢院副議長、のち侯爵)

1907年、韓国統監伊藤博文の推薦により内閣総理大臣に就任。同年6月の高宗が起こしたハーグ密使事件に際しては日本側に立って、伊藤博文統監と共に日本に対し反抗的な高宗に強い態度で退位を迫り、ついに廃位に追いやるなどして第三次日韓協約の成立にも重要な役割を担った。

8月21日に韓国統監府承認のもと、韓国皇帝から全権委員に任命され、22日に韓国併合ニ関スル条約(日韓併合条約)を調印し、この事から後に「庚戌国賊」に数えられるようになる。その後、大日本帝国の下で伯爵の爵位を与えられ、1920年には陞爵して侯爵となった(朝鮮貴族)。1926年には大勲位菊花大綬章を授与されている(李王家以外の朝鮮人では戦前唯一の授与)。

  大韓帝国皇帝純宗による全権委任状。1910年8月22日。

子 爵 22名

李完鎔、李埼鎔(1945年4月に貴族院議員)
朴齊純、高永喜、趙重應 閔丙奭、
李容稙、金允植、權重顯、李夏榮、 李根澤、
宋秉、(日韓の融和に努めた功績により没後に正三位勲一等が追贈される)
任善準、李載崑、


尹徳栄(尹榮 併合後に貴族院議員)趙民熙、
李秉武(日本の陸軍士官学校卒、1李完用内閣の軍部大臣臨時署理侍従武官長。
1920年に陸軍中将)
李根命、閔泳奎(1906年に議政府議政大臣)、
閔泳韶、閔泳徽、金聲根。

男爵 45名 

尹用求、金奭鎮、韓昌洙、李根湘 、趙羲淵。
朴斉斌、成岐運、金春熙、趙同熙、朴箕陽。
金思濬、張錫周、閔商鎬、趙東潤、崔錫敏。
韓圭卨、南廷哲、李乾夏、李容泰、閔泳綺・
李鍾健、李鳳儀、尹雄烈、李根澔、金嘉鎮。
鄭洛鎔、閔種默、李載克、李允用、李正魯。
金永哲、李容元、金宗漢、趙鼎九、金鶴鎮。
朴容大、金思轍、金炳翊、李胄栄、鄭漢朝。
閔炯植、洪淳馨、兪吉濬、閔泳達、趙慶鎬。

親日派排斥の動きはアメリカ軍政庁統治下の南朝鮮過渡立法議院時代に既に始まっていた。

立法議院は「民族反逆者、附日協力者、謀利奸商輩に関する特別法」を議決したが、アメリカ軍政庁は拒否権を発動し、公布されることはなかった。

1948年5月10日、総選挙が実施され、5月31日に制憲国会が開会された。そして大韓民国憲法とともに反民族行為処罰法が制定された。

2005年、親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法が制定される。
2005年にウリ党の崔龍圭、民主労働党の魯會燦など与野党169人の議員が国会に提出し、12月8日に可決、同月29日に公布された。
大韓民国大統領直属の国家機関として親日反民族行為者財産調査委員会を設置し親日であった反民族行為者の財産を選定して国家に帰属することとしている。通称、親日法。

2005年8月29日、韓国の市民団体民族問題研究所、ならびにその傘下の親日人名辞典編纂委員会は親日人名辞典の第1回リストを発表した。親日派として名前が掲載されている。

この特別法の目的は盧武鉉政権が押し進める過去清算の一環であり、「日本帝国主義の殖民統治に協力し、わが民族を弾圧した反民族行為者が、その当時、蓄財した財産を国家の所有とすることで、正義を具現し、民族精気を打ち立てることを目的とする」(第一条、目的)とされる。

現在の子孫が持つ財産を、過去にさかのぼって「親日派」であったと判明すると、財産を没収するという事後法である。
それがまかり通る自体が異常な国と言える。

笑えるのが、この法律成立のために多大な尽力をしたウリ党の崔龍圭は、法律成立後に自らの先祖が親日派であったという事実が判明した。それ以後、誰もがこの親日派とされないために、反日を大げさに語り始めたのは否定出来ない。

この法律の、「わが民族を弾圧した」という出発点が、まず最大の『歴史ねつ造』を膨大に重ねる原因となっている。

南朝鮮(韓国)の歴史教科書

 韓国の教科書の歴史は、韓国の歴史教科書なのに日本に対する記述がやたら多いことが特徴である。この教科書は日本でいうところの「日本史」と「世界史」を合わせたようなものだと理解したほうが適切なほど、我々から見ると「韓日史」の教科書じゃないの?と思うくらいに、一隣国でしかない日本について非常にたくさんのことが書かれている。隣の大国中国のほうが文化的にも、政治的にも大きな影響があったにもかかわらずである。

しかも、歴史教科書でありながら、神話の時代の話を年号まで入れて確定的に書いてしまうのはあまりにもお粗末である。

韓国が独島といってる島は、教科書では島根県の竹島とは別のものといえる。この教科書にある地図を見ても大きさも位置も違う。

韓国の歴史教科書は中国同様、国定教科書で1種類しかない。国家が歴史解釈を統制し、1つの歴史解釈しか許さない。政府の主張したい歴史を、大きく反映したものである。

 最大のデタラメは何といっても、1910年の日韓併合まで韓国が有史以来あたかも独立国であったかのように記述されていることに尽きる。このデタラメこそが日本に凄まじい災禍をもたらしている。

 1258年に高麗はモンゴルの襲撃により事実上壊滅する。その後、三別抄というパルチザンが江華島、珍島、済州島で抗戦するも1273年には平定され、高麗はモンゴルの完全属国になる。その後はモンゴル皇帝の元に人質に出されていた王子が高麗に戻され王になる。傀儡政権時代だ。ちなみにその後、日本を攻撃した元寇はこの傀儡政権が元に提案して実行された。高麗史にそう書かれている。

ところが韓国の国定歴史教科書では「高麗と元(モンゴル)は講和を結んだ」でおしまいだ。これでは事実が全く伝わらない。あたかも対等の立場で戦争を終結させたかのようなデタラメ記述なのだ。

 しかしより深刻なデタラメは1637年1月30日の三田渡の盟約を完全黙殺していることだ。一切記述がない。清との間に戦争があったことすら記述がないのだからあきれる。第16代朝鮮王仁祖は丙子胡乱で惨敗し、清のホンタイジの前で9回土下座(三跪九叩頭の礼)してやっと許してもらった。

三跪九叩頭の礼

大清皇帝功徳碑復元記念レリーフ 清国皇帝(ホンタイジ)に土下座で許しを乞う16代朝鮮王仁祖

この時の謝罪を記念して仁祖王自らが建立した石碑があの有名な大清皇帝功徳碑(三田渡碑)だ。内容の要約はこうだ。

・愚かな朝鮮王は偉大な清国皇帝に逆った。

・清国皇帝は、愚かな朝鮮王を窘め、この大罪を諭してやった。

・良心に目覚めた朝鮮王は、自分の愚かさを猛省し、偉大な清国皇帝の臣下になることを誓った。

・我が朝鮮は、この清国皇帝の功徳を永遠に忘れず、また清国に逆った愚かな罪を反省するために、この石碑 を建てることにする。

間違ってもらっては困るがこの石碑は清国皇帝が建立したのではない。朝鮮王が自ら建立したものである。もちろん建てざるをえない状況に追いこまれたからだが。

1273年の事実や1637年の三田渡の盟約は韓国の歴史上最も重要な事実であるにもかかわらず、1273年のほうは、デタラメな記述のみ、三田渡のほうは完全隠蔽で記述すらない。

この2つの事実の捏造および隠蔽を日本は韓国政府に対して徹底的に糾弾すべきだ。

  

 三跪九叩頭の礼とは、中国清朝皇帝の前でとる臣下の礼の1つ。 朝鮮は「千年属国」と言われるが、そもそも韓国の古い国旗にまで「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから否定しようがない。

 そして、宗主国の国王にこの礼を行うだけではなく、「その使者にさえもわざわざ ※迎恩門まで出向いて」この礼を行ったという事実が、哀しく在る。 (※迎恩門とは、中国の皇帝の臣下であり、冊封国であった朝鮮の歴代の王が、中国の皇帝の使者を迎えるための門) 中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、下国のなかの下国であり、その立場は「琉球」(沖縄)以下だった。

 迎恩門 

 天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣であり、また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、 朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが「渓陰漫筆」に書かれている。(黄文雄「韓国は日本人が作った」徳間書店)

 朝鮮国王は清の皇帝によって任命されていた。朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられていなかった。「朝鮮国王が、宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉がたった1つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、年貢への見返りを3年間停止する」という厳しい処罰を受けている。

 「清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければ」ならなかった。朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。

 

・・・このどうしようもない惨めな朝鮮を 清の属国から独立国にしたのが日本である(1895)。 この、1000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、彼ら朝鮮民族の「民族気質」に深刻な影響を与えることになる。

日韓併合は宗主国が元や清から大日本帝国に変わっただけというのが、実態に近い。だが韓国の歴史教科書では有史以来初めて独立が奪われたかのように記述されている。

韓国には独立門という有名な門があるが、デタラメ歴史教育のせいで、ほとんどの韓国人はこの門を日本から独立して建造されたものと勘違いしている。実際は清国からの独立を記念して建てられたものであるにもかかわらずである。韓国の歴史教科書に独立門の写真は掲載されている。しかし一切説明がない。当然下関条約第1条の内容も韓国では国家機密なので隠蔽され教えられない。

下関条約

主な内容

清国は、朝鮮国が完全無欠なる独立自主の国であることを確認し、独立自主を損害するような朝鮮国から清国に対する貢・献上・典礼等は永遠に廃止する。(第一条)

清国は、遼東半島、台湾、澎湖諸島など付属諸島嶼の主権ならびに該地方にある城塁、兵器製造所及び官有物を永遠に日本に割与する。(第二条、第三条)

清国は、賠償金2億テール(現在価値で銀1kgが12万円程度なので、8950億円前後。当時価格で日本の国家予算8000万円の4倍強の3億6000万円前後)を日本に支払う。(第四条)

割与された土地の住人は自由に所有不動産を売却して居住地を選択することができ、条約批准2年後も割与地に住んでいる住人は日本の都合で日本国民と見なすことができる。(第五条)

清国は、沙市、重慶、蘇州、杭州を日本に開放する。また清国は、日本に最恵国待遇を認める。(第六条)

日本は3か月以内に清国領土内の日本軍を引き揚げる。(第七条)

清国は日本軍による山東省威海衛の一時占領を認める。賠償金の支払いに不備があれば日本軍は引き揚げない。(第八条)

清国にいる日本人俘虜を返還し、虐待もしくは処刑してはいけない。日本軍に協力した清国人にいかなる処刑もしてはいけないし、させてはいけない。(第九条)

条約批准の日から戦闘を停止する。(第十条)

条約は大日本国皇帝および大清国皇帝が批准し、批准は山東省芝罘で明治28年5月8日、すなわち光緒21年4月14日に交換される。(第十一条)

ちなみに40年足らずの日本統治時代、朝鮮民族は民族規模が700万人から2500万人にまで増えている。人類史上類例がないのではないか。40年足らずで一民族が3.5倍にまで拡大するなど。日本統治は朝鮮民族に空前の繁栄をもたらした。しかしデタラメ教科書はそういった事実も都合が悪いので隠蔽する。

こんな国家ぐるみで過去の歴史を美化というより「創作」しまくっている韓国の教育大臣が、日本の歴史教科書にまた因縁をつけてきた。どこまでもふざけた国だ。

 韓国の歴史教科書のデタラメを具体的に列記したらきりがない。自国民を20万人大虐殺した1950年の保導連盟事件も累計8万人大虐殺した1948年の済州島四・三事件も教科書に記述がない。完全隠蔽である。日本ではたとえば天下分け目の戦いといわれた関が原の戦いですら、死者は6000名から8000名の間といわれる。韓国では、たかだか5~60年前に関が原の戦い以上の殺戮があったにもかかわらず教科書はわざと黙殺する。国定教科書の陰謀だ。だが映画「ブラザーフッド」は保導連盟事件を取り上げ韓国中を震撼させた。またベトナム戦争時、強姦で生まれた混血児ライタイハンの問題も一切触れていない。捏造・隠蔽のオンパレードだ。

 韓国では、世界史をほとんど教える学校が無くて10校に1校ぐらいしかないそうだ。韓国史と世界史の整合性が取れないので世界史を教えないと言う話であるが、韓国の歴史事態も海外から見た韓国の歴史と自国で学校の歴史教育とではかなりのずれがあるようで、高麗が元に滅ぼされて以降の李氏朝鮮の時代の内容に非常に問題があるようだ。

高麗の前の高句麗も韓国とみなしていいのかが中国とで歴史論争になっているが、高句麗は南満州あたりの国家であり北朝鮮がダブっているだけだ。以来韓国は元、明、清の従属国としての歴史であり、朝鮮王は存在していても中国王朝の冊封下に置かれて来た。しかし韓国の歴史教科書では重要な部分が記述されていない。不都合な部分を省略したら歴史ではなく単なるプロパガンダになってしまう。

韓国の歴史教科書は学問ではない。ただのウリナラマンセーだけだ。

こんなクズ教科書で洗脳教育を行っている国が、日本の歴史教科書に言いがかりをつけてくる。日本人は歴史に対してある種の畏怖の念をもっているだろう。朝鮮人にはその感覚が致命的に欠けている。だから自分たちはクズのような歴史教科書をつくっておきながら、他国の教科書に言いがかりをつけることができるのだろう。

大ストーカー民国は、今日も日本に対しストーカー行為をやめない。悪質で、しかもしつこい。

そのしつこさに、日本のロクに歴史も習ったり調べたり知ろうともしないやからが、「韓国がこれほど言うのであるから、日本がねつ造しているのだろう。日本は本当の歴史を国民に教えるべきだ」と政治家までが真顔で語る始末である。

いくら日本の教科書で教わり、歴史的事実を述べても、このPC 時代に自分では何も調べもせず、ムードだけでことの善悪を語る日本人が多すぎる。それが朝鮮流の洗脳だとも気づきもしないのだから始末に負えない。「嘘も100回言えば事実になる」とはよく言ったものである。

◆韓国では「強制的に氏名や言葉を奪い文化を奪われ天皇への忠誠を誓わされた」として騒がれている。 

「創氏」とは、改名とは異なり、即ち「朝鮮式の姓名と日本式の氏名という2つの名前を持つこと」である。

 麻生太郎氏が 2003.05.31.東大での講演会で言及している。『歴史認識を一緒にしようといっても、隣の国と一緒になるわけがない。 たとえば朝鮮人の創氏改名の話。日本が満州国をやる前に創氏改名の話が出たことは一回もない。 しかし、当時、朝鮮の人たちが日本のパスポートをもらうと名前のところにキンとかアンとか書いてあり「朝鮮人だな」と言われた。 仕事がしにくかった。だから名字をくれ、と言ったのがそもそもの始まりだ』 このムード作りに大きく貢献したのが、李光洙(イ・グァンス)を筆頭とした親日派ジャーナリストの活躍である。

李光洙は、「三・一独立運動」により2年半の実刑判決を受けたが、釈放後親日派に転じた。 彼等の主張は「参政権・義務教育等日本人と同じ権利を獲得するには、兵役・徴用・納税等日本人と同一の義務を果たすと共に、創氏改名・神社への参拝等・日本人と同化している実績を示すことが必要である」というものだった。

 問題は、「それがどの程度国家権力により強制されたか」であるが、知事や議員や将校には、創氏しなかった多くの朝鮮人が実在したことから、彼らが創氏せずに、地方行政が組織として創氏改名を推し進めたとは考えにくい。 

 ちなみに、台湾総督府では 許可制をとり、日本語常用家庭、神道崇拝者、家庭清白者(犯罪者がいない)の3条件を満たす者しか許可されなかった。その結果許可されたものは2%にも満たなかった。 当時は支那事変の最中である。日本人か台湾人か区別がつかなくなることが、最も懸念されたのである。   

 実は朝鮮人というのは日本の併合以前にも何度も自ら名前を変えている。

 まず、高麗時代に現在のものに近い中国式の名前に改名、その後、モンゴルが大陸の覇者になると、国王を筆頭に次々にモンゴル風の名前に改名、そして日本併合後は8割が日本名を創氏することとなる。そして終戦後、朝鮮半島が日本の領土でなくなった時、また中国式に改名する。

 彼らにはまったく「節操」という物が無く、永年、ただただ従属する立場だったことが分かるだろう。

  19世紀から20世紀前半にかけての世界は、弱肉強食の「植民地化」の時代だった。

  大東亜戦争(太平洋戦争)前には、アジアのほとんどの国は、西欧諸国の植民地となっていた中、最後に極東地域が残り、その中で日本のみが、明治維新を成し遂げ近代化と富国強兵により西欧諸国と対等な力を得ることに成功していた。

  朝鮮は混乱し、国としての体裁は無く、防衛力もなく、財政は破綻し、国家的破産状態にあり、植民地とされるのはもはや時間の問題だった。

  日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で清の冊封体制から李氏朝鮮の独立を認めさせた。

  日本にとっての朝鮮の位置は、脇腹に突き付けられた短刀のような物であり、そこで朝鮮に独立と近代化を求めた。

 しかし朝鮮は、ロシアに「事大(弱者が強者に付き従い保身を計る態度)」する有様であったが、韓国最大の政治組織「一進会」が、維新のため、日本に併合を求めた。それをもって、世界が認める形(アメリカが仲介でポーツマス条約)で日本は朝鮮を「保護国」とした後に併合した。

 

  併合反対派は、朝鮮王室と支配者層である両班であった。 こうして大韓帝国が成立、朝鮮内の開化派は迎恩門を取り崩し、1897年独立の記念として新たに独立門を同じ場所に建てた。

 朝鮮人の玄永燮は、「日韓併合前の朝鮮は地獄であったといってもよい」と述べている。

 「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国を救う道は併合しかなく、併合相手は日本しかない。

  欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。 それ以外に、我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して人間としての幸福が受けられる道はない」

  朝鮮全権大使 李成玉「李完用侯の心事と日韓和合」

 1910年8月22日、韓国併合ニ関スル条約(日韓併合条約)が調印された。

併合直後に釜山港に上陸したら道らしい道がないことに驚いたそうだ。なかには、道の真ん中に家が建っているところもあった。

 なぜかと言ったら、とにかく千三百年間支那の属国であったから、「道路を作ったら侵略される」ということで、道らしい道がなかったのだそうだ。

 それから、家にトイレもなかったから、臭いもすごかったすごかった。朝鮮人は部屋の中で尿壺で用を足し、その大小便を朝、窓から外へ捨てるから、もう臭くてプンプンしていた。

 伊藤博文が「仁川で上陸してソウルの王宮まで行くのに、臭くてとてもかなわんということを書いているが、当時の朝鮮の人に言わせるとそれがいいと言うのだ。異民族が侵入してこないためにもこれがいいんだと。

 そういう非衛生的な状態が蔓延していたから、コレラ、チフスがすぐ出る。それに、病院がないから人がばたばた倒れて、その辺にごろごろしていた。

 日本人はそういうところに行って、街路をきれいに整備した。そのお陰で朝鮮は三十六年間で近代都市に生まれ変わった。 また、病院をどんどん作って衛生思想を普及した結果、コレラ、チフスといった伝染病が根絶され、餓死者が一人も出なくなった。 餓死者というのは、栄養失調だけでなくて病気もあるから、この功績はいくら強調してもしすぎることはないと思える。

 そういう朝鮮総督府の善政は、朝鮮の民衆が一番よく知っていたはずである。

 朝鮮人から日韓併合に未だに恨みに思われているのは、唯一日韓併合時だけが植民地支配されたと思い込んでいるからだ。学校ではずっとそう教えてきた。1000年にも渡って中国王朝からの冊封下では過酷な搾取で貧しい生活を余儀なくされてきたが、日韓併合で韓国はインフラも整備されて人口も3.5倍に増えて近代国家らしくなったということも、韓国の歴史ではそのようには教えてはいない。

韓国では日本には関係がない朝鮮戦争がどうして起こったのか内容すら知らない若者が非常に多いのも、いかに韓国政府が自国に都合の良い歴史しか教えていないかということを表している。なぜ韓国政府が歴史をねつ造するのかというと、被害を受ける国が日本だけということが非常に大きい要因である。日本政府はいくら歴史を改竄しても全く文句の一つも言わないからである。

 

2011年5月の韓国中央日報にて、
1901年4月頃にソウル市内で電信柱の修理すると題して、古い写真と記事が掲載されている。
何気なく見れば昔の光景で済む話だがこの記事の言わんとしているのは日韓併合後に、日本によって、ありとあらゆるインフラが整備され、人口が倍増した事実をなんとしても闇に葬りたいと韓国のメディアが併合前に、韓国にインフラが存在し且つ、文化的な生活をしていたと言いたいのだ。

記事には、
「当時景福宮(キョンボックン)北門の神武門(シンムムン)通りの横には洋式時計塔があり、女性が別に治療を受けた病院もあった。
いまでは消えてしまった姿が110年前のソウルを訪れたある西洋人のカメラに記録された」
「大韓帝国時代のソウルを確認でき歴史的史料として価値が高い」とある。

 しかし、1901年4月と称する写真には、なんと鯉のぼりが、写っているのである。
これの意味するのは、明らかに、この写真は日本統治の影響が濃い時代と証明している。
電柱に登っている人間とその下で何か作業を行う人間と群集の服装の違いにも注目だ。
明らかに、電柱修理を行っている人間は日本人である。

そもそも日本が併合した1910年以前の韓国には、病院はおろか銀行、整備された道路も鉄道も無かったのである。
識字率は2割以下、ハングルすら読めない故に、日本が教育を行い識字率を引き上げインフラ、経済基盤を全て日本が建設したものである。

これは、台湾でも同様の事であり、日本政府は本土の資金援助無しでも統治地域で自立し経済活動出来る様にするがの方策であった為、欧米の植民地とまったく異なる統治を行った。しかしその事実を受容れられない半島人達はあの手この手で、偽の証拠を持ってきて歴史捏造に奔走する。

韓国は国、民間が一緒に捏造を行いそれを脳内で真実と思い込んで、他人に押し付ける異常な国である。

 韓国ドラマで時代劇が盛んに作られる。時代考証をしようにも、正確な書物も歴史書も南朝鮮には残ってはいない。僅かに残っている資料も漢字で書かれ、自分の子供の名前さえ殆どの人が漢字で書けないのに、読める訳もない。そうして想像でかかれた時代劇が、いつの間にか韓国史のノンフィクションとして国家を揚げて事実と伝えられるに至っては、もう言葉を失うしかない。伝説も伝記も区別なく、学者もメディアも大発見と発表するのである。

そのくせ日韓併合前の事実は、一切国民に知らされることはない。それは、到底民主主義の自由主義国家とは別の国ということである。

併合前

 南大門前メインストリート 

併合後

たったこれだけの写真でもその事実がわかる。しかし、併合前の写真など、今の韓国国内で見ることなど決してないだろう。日帝の陰謀だと言われるのがおちだ。

 今、植民地時代をウスウスながらも思い浮かべることができる年齢層は、終戦当時15歳に達していた、今は75歳以上の老人達である。それ以下の朝鮮人は他人から聞いて、あるいは学校教育を受けて反日感情に走っている。

  15世紀頃の朝鮮の国王世宗の時代に、中国で通貨の流通を知り朝鮮に導入、自国民に馴染ませる為に通貨を使わない者は処罰するとした。しかし流通はしなかった。

 12世紀の日本、平家の時代、平清盛は周囲の反対を押し切って、中国から貨幣を輸入して流通させようとしたところ、国民自らから率先して利用し、爆発的に広まった。

 そして、15世紀に朝鮮の国王世宗の役人が、日本に来た際に、漢文の見聞録を書き残している。その中に、日本(室町時代)は社会の隅々にまで貨幣が浸透し、乞食でさえ米を欲しがらず金を欲すると驚いている。

さらに有料の宿屋、渡し舟、馬まで用意されて、日本では金さえ持っていれば旅ができる事に驚いている。 
(老松堂日本行録より)

 そして、近代に入り19世紀末の朝鮮をイギリス人女性イザベラバードは、日中韓を旅してそれぞれ旅行記を書き残している。

当時の朝鮮半島の様子をソウルとその周辺でのみ銅銭が流通しているのみであり地方に行くとそれさえも流通しておらず。物々交換が行われていると指摘している。(朝鮮紀行より)

 日韓併合によって大切な朝鮮文化がことごとく破壊されたと言いながら、自ら貴重な遺跡を破壊していることには全く言及されない。もっとも、遺跡を遺跡とも思っていないのだから、日本に対する言いがかり以外の何ものでもないことがよく分かる。

韓国から見れば、竹島は日本軍国主義の侵略の象徴として教えているのであり、それが問題の解決を難しくしている。それに対して日本は単なる領土問題としてみているからずれが生じてしまう。竹島問題もアメリカの支配下に日本がある限り解決は難しいだろう。その意味では北方領土も尖閣もアメリカが主導権を持っているから日本政府自体はどうする事も出来ないだろう。

 韓国にしてもアメリカの支配下に無ければ存在できない国であり、韓国民はそれを知っているからアメリカに対しては歴代中国王朝のように従っている。アメリカは帝国として韓国と日本を対立させて支配している。だから竹島問題も解決しないのであり、韓国も日本も真の独立が無ければ領土問題は解決しない。
 
◆日本と韓国以外の国では、「朝鮮人は遺伝子異常で頭がおかしい」ことはすでに何度も報道されているのである。

知らないのは日本人と朝鮮人だけだ。
世界のほとんどの国が朝鮮人は哀れな歴史によって国家そのものがまともでないことを知っているのである。

1886~91年に朝鮮で布教したアメリカ人宣教師ホーマー・ハルバート「朝鮮亡滅」より抜粋

 韓国人は本当に怒ると、正気を失う。 自分の生命すら見えないような状態になり、牙のある動物になってしまう。
口の周りに泡が溜まり、更に動物のような表情になる。悲しい事だが、この怒りの衝動で理性を忘れる悪弊は、男だけではない。女は立ち上がって酷い大声で喚くので、最後には喉から声が出なくなり、次には強烈に嘔吐する。
精神錯乱になった女を見る度に私は思う。「どうして脳卒中で倒れなかったのか?」と。

韓国人は子供の時から、自分の気持ちを制御する術を学ぶ事がないらしい。子供も親を見習って、自分の気に入らない事があると、狂人のように大暴れする。
結局、欲望を達成するか、あるいは長時間の後、鎮静に戻るか、そのどちらかに落ち着く。

後に火病という朝鮮人にしか存在しない精神病が同じ症状だと医学界で証明されている。

韓国人の遺伝子の特徴について

 米人類学者Cavalii-Sforzaの遺伝子勾配データによれば、 朝鮮人は世界でも類を見ないほど均一なDNA塩基配列の持ち主であり、これは過去において大きな Genetic Drift(少数の人間が近親相姦を重ねて今の人口動態を形成)か、あるいは近親相姦を日常的に繰り返す文化の持ち主だった事を表す。
(文献:The Great Human Diasporas: The History of Diversity and Evolution.
1995.. Luigi Luca Cavalii-Sforza and Francesco Cavalli-Sforza. Addison Wesley Publ. ISBN 0-201-44231-0)

韓国では、昔から若くて綺麗な娘達は中国に献上されていたので、女性が足りず近親相姦が繰り返されてきた。
遺伝子レベルで見ても「父と娘」「母と息子」が結ばれないと出来ない遺伝子が大多数見つかっている。

umiushiakaiドイツで人類のゲノム解析やってる大学教授の話

 朝鮮民族は近親相姦の物と思われるゲノム上の痕跡(修正不能)が多すぎて、他の民族では考えられない異常な近親相姦を、民族として繰り返してたと思われるあまりにショッキングで常軌を逸した内容なので、そのゲノムの発表はタブーとされている。
また、朝鮮人男性の40%に発症すると言われる統合失調症も、それが原因である可能性が大きい。異常な民族と言わざるを得ない。

両班と白丁・・・支配者と被支配者

今風に言うなら1%と99%・・・
李氏朝鮮時代、国民のほとんどはであった。
戸籍も、名前も、財産も、教育も無い。
ただ生きているだけの存在。
農作業に精を出して作物を沢山作っても
役人に奪われるだけ。

もろもろの労働は家畜の仕事・・・
従って、白丁は人間ではなく家畜である。

戸籍も、名前も、財産も、教育も、未来も
何もかも奪われた極悪の環境で、近親相姦が当たり前のように行われていたというのは容易に想像できる。

日本では出身とかとか盛んに言われる昨今だが、彼ら朝鮮人の出自はそれ以上に過酷だったと証明されている可哀相な民族なのである。

しかし、だからといって、歴史を全く無視して、我が民族は大帝国を築いた5000年もの歴史がある誇らしい5大文明の末裔であると言うのは、いくらなんでも法螺話としか世界は認めない。

今でも、韓国では性犯罪の発生数が非常に多い。
老人が幼女を強姦する。
父親が娘を強姦する。
李氏朝鮮時代では平気で行われていたことである。

レイプや近親相姦へGO!との情報がDNAにしっかりと刻み込まれているみたいである。

韓国の性犯罪・・・
2006年頃から爆発的に増えているようだ。
歯止めがかからない・・・。
ますますレイプ・近親相姦が増えている。

世界中にはびこる韓国人売春婦・・・
ゴキブリさながらの増加率だそうである。
退治するより増える数の方が多い!
これも、遺伝子上の性に関連する情報の記述がおかしいのが原因なのだろうか?

「私は、日本軍に強制連行された従軍慰安婦だった」と平気で名乗り出る。
強制連行は無かったと証明されているが、平気で嘘をつく。
平気な顔で慰安婦だったと言う。
慰安婦少女の像を設置する。
日本人の感覚では絶対考えられないことである。

これも呪われた遺伝子の「なせるわざ」であろうか?

韓国人も中国人も
自分たちの歴史や、生活や、思考回路や、行動パターンで日本人を分析する。
李氏朝鮮時代、両班に娘が奪われたから、多分、日本軍も韓国人を強制徴用し慰安婦にした。
自分たちが平気でレイプとかするから多分日本軍も同じ事をする。
従軍慰安婦の根拠というのはその程度のものである。

  

笑顔を見せている右端の女性は、歴史教科書では必ずカットされて掲載される。

 日本兵のあとから河を渡る(韓国人)慰安婦の写真

「従軍○○」とは軍に同行する人を指す。

従軍記者、従軍カメラマン、従軍看護師などは存在が確認されている。

上の写真のような「従軍(追軍)慰安婦」はいくらでもいたが
強制によるもの?がいたかどうかは証言以外に証拠がない。

当時は、慰安婦を業者が募集すれば、親や本人によりいくらでも女性が集まる時代である。

千円もあれば故郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べている時代である。いかに月収が多いか分かるというものであろう。現代の韓国においても、働く若い女性の8割が風俗に携わるという事情からも、この給料でどれほど人気のあった職業だったか想像がつくだろう。

ナヌムの家に住む(自称)従軍慰安婦 「李容珠(イ・ヨンス)さん」の証言

1944年、16歳の時に強制連行され台湾へ。

旧日本軍の従軍慰安婦としての生活を3年間強制された。(1947年まで)

(終戦により日本軍がいなくなった後も、現地で2年間ほど働いていたことになる)

このことを指摘され、従軍慰安婦の期間を 3年間→1年間に修正

2007年さいたま浦和の公演の配布資料

チョン・ソウンさんの証言

「13歳(1937年)の時にインドネシアに強制連行され、従軍慰安婦として
7年間(~1946年まで)性奴隷にされた。」

2004年他界。享年80歳

(日本のインドネシア攻略は1941年。それ以前はオランダの植民地である)

しかし、日本人の誰もが可哀相な元従軍慰安婦として、自虐史観に陥った。少し考えれば、誰でもその嘘に気づく筈なのに、なんとも今の日本人はお目出度い鴨ばかりである。

自分で全く考えず、大衆迎合が正しいと刷り込まれた日本人は、米韓中の本当に良い鴨なのだろう。

◆李明博大統領の、天皇を侮辱した言葉が世間を騒がせた。翻訳は、さすがに気を遣って柔らかく報道された。しかしどんな発言が本当はなされたのか、日本には伝わってはいない。

実際に発言された言葉は、韓国の関係者ですら気を遣うほどの汚い言葉であった。

『日王は韓国民に心から土下座したいのなら来い!
 
重罪人に相応しく手足を縛って頭を踏んで地面に擦り付けて
 謝らせてやる 。
 
重罪人が土下座もしない、言葉で謝るだけならふざけた話しだ
そんな馬鹿な話しは通用しない。それなら入国は許さないぞ』

貴方は許せるだろうか?なぜこれだけの事を言われても、日本政府は朝鮮に気を遣う?

現在の日本の閣僚の殆どが、言葉が分かるのに。 


最新の画像もっと見る