浮世風呂

日本の垢を落としたい。浮き世の憂さを晴らしたい。そんな大袈裟なものじゃないけれど・・・

日本の戦後は終わっていない

2015-09-23 00:15:58 | 資料

戦後教育の原点   

 戦後わが国の教育は、敗戦直後の1945.10.2に開始された GHQのCIE(総司令部民間情報教育局)によるWGIP(戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための宣伝計画)が全ての原点になっている。日本人が二度と再び連合国に対抗できないようにすべく精神的文化的に洗脳するというシステマティックで科学的合理的な計画であった。広範な分野にわたり特に日本古来の伝統的な美風や秩序や伝統は軍国主義に通じるとして徹底して破壊された。教科書の墨塗りも経験した。神仏に手を合わせる、祖先を敬うのは封建的として忌諱されたのである。

 祖国・国家・国益・公益といった観念はおぞましいものであり、人権と自由が最高の美徳だとされた。国家は個人と対立するいわば「必要悪」の存在であり自由に対する責任、平等に対する競争、権利に対する義務はないがしろにされた。民間情報教育局の標的は正鵠を得ていて、70年後の今日 情報つまりマスゴミと教育において見事に成果をあらわしている。一部の大新聞や教育現場における実態を見ればはっきりしている。

すべて日本だけが悪い、侵略戦争を仕掛けたのだ、日本の軍隊は殺人者だ、靖国神社に祀られているのは戦犯だ、日の丸君が代は侵略のシンボルだ、平和!!を
と叫んでさえいれば平和は来る、そういう情報を送り子ども達を教育してきて70年。
今なお謝罪外交を繰り返した歴代政府や外国にひたすら追従する新聞マスコミ報道を見ていたら、不埒な侵犯(拉致事件やミサイル脅迫などを含む)に対して国を守る勇気や自己犠牲や使命感といった感情が出てこないのも無理のない話で、あながち今の若者たちを責めることは出来ないということだろう。
しかもそういう教育が ”日本にとって”間違いであったかどうかの評価も定まっておらず、むしろ助長している新聞が大半である。

世界中どこの国でも愛国心は美徳とされる。自国他国のを問わず、国旗国歌に敬意を払うことは幼時から躾けられる。その対極にある日本は世界にも稀な国でありそういう国にした占領軍の計画の見事さには今にして感服するしかない。

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占領下においては、日本政府は既に権力者ではなく、日本に君臨していた真の権力者はGHQであった。従って言論の自由があったかどうかは、日本政府に対する批判が自由であったか否かではなく、GHQに対する批判が自由であったか否かで考えなければ意味がない。

GHQは自らに対するいかなる批判も絶対に許さなかった。新聞も、雑誌も、書籍も、信書も、ラジオ放送も徹底した検閲を受けた。その徹底ぶりは、記事にあるようにGHQの方針に合わないものは、たとえ川柳や風刺画さえも許さなかったことからも容易に理解できる。そして、一方で日本政府に対する批判は奨励した。敵である日本政府に対する批判を解禁し、それを奨励したのは、それが占領政策の遂行、日本の弱体化に好都合であったからに他ならない。

日本出版法 

   趣 旨 
 聯合軍最高司令官は日本に言論の自由を確立せんが為茲に日本出版法を発布す。本出 版法は言論を拘束するものに非ず寧ろ日本の諸刊行物に対し言論の自由に関し其の責任 と意義とを育成せんとするを目的す。特に報道の真実と宣伝の除去とを以て其の趣旨 とす。本出版法は啻に日本に於ける凡ゆる新聞の報道論説及び広告のみならず、その他 諸般の刊行物にも亦之を適用す。 

  日本出版法 
第一条 報道は厳に真実に則するを旨とすべし。 
第二条 直接又は間接に公安を害するが如きものは之を掲載すべからず。 
第三条 聯合国に関し虚偽的又は破壊的批評を加ふべからず。 
第四条 聯合国進駐軍に関し破壊的批評を為し又は軍に対し不信又は憤激を招来する が如き記事は一切之を掲載すべからず。 
第五条 聯合国軍隊の動向に関し、公式に記事解禁とならざる限り之を掲載し又は論議すべからず。 
第六条 報道記事は事実に則して之を掲載し、何等筆者の意見を加ふべからず。
第七条 報道記事は宣伝の目的を以て之に色彩を施すべからず。 
第八条 宣伝を強化拡大せんが為に報道記事中の些末的事項を過当に強調すべからず。 
第九条 報道記事は関係事項又は細目の省略に依つて之を歪曲すべからず。 
第十条 新聞の編輯に当り、何等かの宣伝方針を確立し、若しくは発展せしめんが為の目的を以て記事を不当に顕著ならしむべからず。 

  一九四五年九月二十一日 
  米国太平洋陸軍総司令部民事検閲部

朝日新聞の記事で昭和20年9月17日付の「プレスコード」として紹介された記事は、9月15日のGHQ所属民間検閲支隊長フーヴァー大佐の声明に対応して書かれた。それに対し 9月18日16時~20日16時の2日間発行停止とされた。この日から朝日新聞は紙面内容が激変し、今日現在にまで至っている。

プレスコードとラジオコードとしては、この後「日本新聞遵則」と「日本放送遵則」なるものが報道・出版等関係者に公表された。 

順番に列記すると以下のようになる。 

9月10日 最高司令官指令(SCAPIN-16) 「新聞報道取締方針」 
9月15日 民間検閲支隊長フーヴァー大佐の声明 
9月21日 最高司令官指令(SCAPIN-33) 「日本新聞遵則」(日本出版法・Press Code for Japan) 
9月22日 最高司令官指令(SCAPIN-43) 「日本放送遵則」(Radio Code for Japan) 

こんなプレスコードに由来するようなものが、いまだにマスコミ内に残っていて良いのだろうか?

江藤淳も三島由紀夫も自殺したし WGIPの存在に気づいて、洗脳された日本に失望すると自殺しちゃうのかね。
そうすると社会党はGHQを教祖としたカルト集団だったと言えなくも無い。
WGIPの基本の考え方に「物事をはっきりとした善悪に分類する」というものが存在する気がする。 
それと階級闘争的な被害者と加害者意識みたいな考え。 

戦争なんて善悪で判断するものではないだろう。

米国を中心とする連合軍が、資源の無い日本のシーレーンを断ち、輸入を全て断って否応無く戦争に導いておいて、日本は最初から負けると分かっている戦争に立至った。
戦う以上は欧米の白人が搾取する植民地の解放が大義名分となった。それが悪だったと言うのだ。

検閲自体は、連合国占領下の他の地域や、戦争中には米国内でも行われていたが、日本における検閲と他の地域におけるそれとの最大の違いは、日本における検閲が検閲自体を秘匿することを強制したことである。 

検閲自体を秘匿することになった直接の原因は、検閲がポツダム宣言に違反するからであるが。秘匿することによって日本の言語空間に新たなタブーを作り出すという、洗脳作戦に有利な効果を生み出した。 

検閲の行われる範囲としては、郵便、電信電話、新聞、雑誌、書籍、放送、映画等が挙げられる。 

基本的な検閲の機能としては、情報伝達の抑制と、情報の収集という2つのものがある。 
特に情報の収集では、個人の私信を検閲することにより、一般的な世論調査機関ではなし得ないほど正確に世論動向を把握した。

複雑な日本語の文章を日系米国人といえども全てを検閲するのは無理である。そこで、日本人の報道関係者や教授や学者、知識人など5000人以上が招集されたと言われている。その当時はいくらやむを得なかったと言えども今では立派な売国奴と言えなくもない。
その人たちが、GHQの去った後、何食わぬ顔で元の職場に戻っていって、誰一人として当時の有様を語らなかった。そのことは、GHQ以後も米国の諜報機関による監視が続いたということが明らかだろう。

実際に、今も横田基地には国連の事務所が存在し、米国大使館内には「日本管理委員会」が存在する。
しかも横田基地の上空だけでなく日本の制空権は米軍が保持し、日本全国米軍の飛行が優先される。
更に、国連憲章には戦勝国が常任理事国として拒否権を持ち、日本を敵国と明記したままである。
同盟国と言いながら米国が日本を敵国条項から外せとは一度も聞いたことが無く、憲章に中華民国と記されながら中共がなぜ勝利国として座っているのか納得いく説明も未だに無い。

つまり世界は未だに日本を敗戦国として縛っていることになる。

◆ロバート・フェルドマンの日本解体シナリオ

15/08/29  村田貞雄 るいネット

政府の経済財政諮問会議のワーキンググループ委員を務めていたロバート・フェルドマンは、グローバル企業(実質は米国企業)の日本支配、市場席捲のために、膨大な項目を指示している。

日本の官邸、官僚が打ち出す施策は、これらが原点となっている。日本の官僚は、米国からの指示(フェルドマン指示)に基づき、国内情勢をみながら、具体的施策を打ち出している。
日本の中央官僚は、日本の現状を分析し、自ら考え施策立案を放棄している。

月刊日本の編集長である坪内隆彦氏が、ブログ『国を磨き、西洋近代を超える』で、改めて指摘している。

(項目は、分野別に並べ直した。これをみると、医療市場、教育市場を狙っているのが分かる。)

日本解体のシナリオ─ロバート・フェルドマン提案 
http://tsubouchitakahiko.com/?p=3249

以下引用・・・・

 グローバル企業の日本支配を貫徹させるための第一歩が国家戦略特区だ。国家戦略特区ワーキンググループが2013年7月に行った有識者からの「集中ヒアリング」で、モルガン・スタンレーMUFG証券チーフエコノミストのロバート・フェルドマン氏は以下のような膨大な提案をしている。まさに、日本解体のシナリオである。

(医療、福祉分野)
国内未承認の医療技術・医療機器の持ち込み・使用許可解禁
チーム医療実施のための外国人看護士等の受入れ推進(就労資格の弾力化)
高齢者の自己負担率の引上げ(2割以上、年齢に応じた負担率の導入等)
健康を基準とした自己負担率の導入(村田注:健康保険の自己負担率)
(基本負担を6割とし、メタボ基準以下は3割、喫煙者は7割とする 
米国等との疾病分類の統一化(これに基づき診療報酬を決定)
病院(国立病院・大学病院・地方病院等、クリニックを含む)の監督の一本化
医療分野へのマイナンバー制度の早期導入
高度な診療・手術の可能な病院の集中化・絞り込み
(臨床研究中核病院の機能集中の加速化など)
介護施設等への外国人労働者の受け入れ解禁
保育所設置基準等の保育規制行政の地方移管

(教育分野)
海外留学(一年間)を大学卒業のための必須要件化
大学卒業基準としてTOEFLを採用
遠隔教育の推進
教育行政の所管を、文部科学省から特区担当又は地方自治体へ一部移管
教員給与の算定基準に実力テストを採用
教育委員会の廃止・権限縮小

(企業・雇用分野)
解雇規制の緩和・合理化(金銭解決などを含む)
社外取締役を導入した企業に対する解雇規制の緩和
有期雇用契約の自由化(60歳以上の労働者を対象とするなど)
全てのスキルレベルにおけるビザの発給要件の緩和(労働ビザの緩和)
積極的な移民政策の推進(医療、介護、農業の分野など)
就労ビザの発給要件の緩和(国内の大学・専門学校卒業者及び海外で同等の教育を受けた人材、並びに、海外の実務経験を有する専門家への対象拡大)
企業業績やその他の重要情報漏洩への刑事罰適用

(農業分野)
株式会社等による農地所有の解禁
農協への独占禁止法の適用
減反制度の廃止
米価設定の廃止
農地への不動産信託の導入

(行政・制度分野)
公的データベースの民間開放(不動産等)
公務員の給料を民間と同一基準化
マイナンバー制度に基づく行政コンシェルジュの推進
国家戦略特区推進のため特区担当部局が関係各省・自治体の人事を担当
外国法規に基づく教育・金融・法律・医療機関等の認可の推進
地方議会議員に対する選挙区毎の人口比例での議決権の配分
借地借家法の定期借家権法への乗り換え

(その他分野)
羽田・成田間、成田・仙台間の高速鉄道化
電力システム改革(小売自由化、発送電分離等)の早期実施
エネルギー新技術に係る競争促進(省エネ住宅・電気自動車等)
新聞の再販規制及び公正取引委員会からの特殊指定の廃止
金融関連記者への証券外務員試験の記者版合格を義務付け
官庁の記者クラブを廃止

・・・・引用終わり

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=307280

◆戦後教育史を覆す資料発掘! やはりGHQ主導だった教育基本法制定

『月刊正論』 2006年6月号

江道朗(日本会議専任研究員)

国家の独立が問われている

 「自民党執行部は、公明党と妥協した教育基本法改正案を呑めというのか」-。自民・公明両党執行部からなる教育基本法改正に関する協議会が4月13日にまとめた最終改正案に対して、自民党を支えてきた諸団体から強い不満の声があがっている。「現行基本法の理念を守りたい」公明党に引きずられ、多くの問題点を残す内容となったからだ。

 校長らに多数の自殺者を出してきた国旗掲揚・国歌斉唱反対運動の法的根拠として利用されてきた現行法十条の「教育は、不当な支配に服することなく」との文言はそのまま残った。

 わが国の宗教団体の大半が加盟する「日本宗教連盟」(神社本庁、教派神道連合会、全日本仏教会、新日本宗教団体連合会、日本キリスト教連合会の主要五団体で構成)が求めていた「宗教的情操の涵養」の盛り込みは見送られた。

 最大の争点となっていた「愛国心」の表現は、「『国』の概念から統治機構を除く」「他国や国際社会の尊重を反映させる」(4月14日付「公明新聞」)という公明党の主張に譲歩し、「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」となった。「国を愛する心」ではなく「国を愛する態度」ならば、卒業式で国歌を歌っているふりをすればいいということになりかねない。

 現場に悪影響を与えてきた文言が残るだけでなく、新たな問題も惹起しかねない法案の動向について教育関係者が強い憂慮を示しているのとは対照的に、世論の関心はいま一つだ。

 それは何故か。いろいろな理由があるだろうが、教育基本法制定当時、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって「愛国心」や「宗教的情操」がいかに削られ、「不当な支配」が盛り込まれたのか、ほとんど知られていないことが一因だと私は考える。

 教育基本法は、憲法同様GHQによって実質的に押し付けられた法律なのである。しかも、GHQや彼らに協力した日本人は、「押し付け」を巧妙に隠蔽し、日本が自主的に制定したかのように偽装した。教育という国の根幹、国民精神に大きな影響を与える法律だけに、このような制定経緯は日本という国家の独立性を揺るがすものである。基本法が教育現場に与えている悪影響に加えて、この点が広く知られていれば、改正論議はもっと高まっていただろう。

 教育基本法制定をめぐる実情が知られていない責任の一端は、基本法を作成したとされている教育刷新委員会の副委員長を務めた南原繁東大総長にある。南原氏は講和独立後、占領政策の全面的見直しを始めた政府自民党の動きを念頭に、こう断言したのである。

《わが国の戦後の教育改革は、教育刷新委員会を中心として、これら政府当局者の責任においておこなわれただけである。(中略)私の知る限り、その間、一回も総司令部から指令や強制を受けたことはなかった。少なくとも教育刷新委員会に関する限り、すべては、われわれの自由の討議によって決定した》(朝日新聞社編『明日をどう生きる』昭和30年)[傍線筆者。以下同じ]

 教育界のみならず戦後の言論界に強い影響力をもっていた南原氏の発言によって、「教育基本法はGHQの干渉を受けることなく日本人が自主的に作った」という定説が確立され、その見直しは長らくタブーとなってしまったからである。

 その定説も、鈴木英一氏や高橋史朗氏らによる占領文書の研究を通じて疑問視されるようになってきているが、残念ながらその成果が国民全体に共有されているとは言い難い。

自主的な教育改革を否定したGHQ

 そもそも敗戦後、わが国の教育改革がどのように始まったのかも誤解している人が多い。

 日本政府は昭和20年8月の敗戦を受けて直ちに、戦時中の「軍国主義教育」の全面的見直しと、「平和国家建設」に向けた教育改革に着手している。

 9月15日に発表した「新日本建設の教育方針」では、戦時中の「軍国的思想および施策を払しょく」し、「平和国家」を建設するため、「国民の教養の向上」「科学的思考力のかん養」と共に、「国民の宗教的情操と信仰心を養」うことを通じて、「平和愛好の信念」を養成する方針を掲げている。

 GHQからの指示を待つまでもなく、日本は自主的に教育改革を始めたのだが、アメリカ国務省調査分析課は十月五日付内部報告書「日本の戦後教育政策」の中で、「新日本建設の教育方針」を取り上げ、「科学教育の振興」には「日本が原爆開発への遅れにみられる日米間の科学技術のギャップを埋めるためのものであるという意図が巧妙に隠されている」などと批判している。

 「米国の目的を支持すべき、平和的かつ責任ある政府を、究極において確立する」(9月20日付「降伏後における米国の初期対日方針」)、つまり日本にアメリカの傀儡政権を樹立するという方針をアメリカ政府から与えられている以上、GHQとしても、日本の自主的な教育改革を認めるわけにはいかなかったのだ。10月30日には、「教員及び教育関係官の調査、除外、認可に関する件」という指令を出し、日本の国柄を守る立場から自主的な教育改革を推進し、占領政策に異を唱えてくる文部省官僚たちを直ちにすべてクビにしろ、と命じている。

 この容赦ない方針によって「実際の文部大臣は総司令部」(内藤誉三郎・文部大臣官房総務室)という状況を作ることに成功したGHQは次に、自らの政策に迎合する日本人グループの形成に取り掛かる。昭和21年1月9日、「米国教育使節団を受け入れるため」という名目で、GHQは日本側に「日本教育家委員会」を作るよう指示したのである。その委員長に就任したのが、前述した南原氏であった。

 熱心なプロテスタントであった南原氏だが、戦前から愛読書として旧約聖書とともにマルクスの『資本論』を挙げるなど社会主義に強いシンパシーをもっていた。内務省に入省した南原氏は大正8年、日本最初の労働組合法を立案、大正9年にはレーニンの『国家と革命』を翻訳させ部内資料として出版している。大正10年に東大助教授に転身、その弟子には、戦後の進歩的文化人の代表格であった丸山真男東大教授や、中国共産党と組んで日本の戦争犯罪を告発する戦後補償裁判を主導した土屋公献元日弁連会長がいる。

 この南原氏を中心に進歩的文化人たちが結集した「日本教育家委員会」は、3月5日に来日した米国教育使節団を受け入れ、戦前・戦中の日本の教育政策を非難する「報告書」の作成に協力している。この委員会のメンバーが中心となって21年8月10日に新設されたのが、前出の教育刷新委員会(委員長、安倍能成元文相)なのである。

リモート・コントロール

 協力者としての刷新委員会を組織したGHQは、教育改革の主導権が文部省ではなく刷新委員会にあることを再確認すべく、密室会談を主催する。

 GHQの教育改革を担当していた民間情報教育局(CIE)は9月4日、田中耕太郎文相、山崎匡輔文部次官、教育刷新委員会の安倍委員長、南原副委員長を集め、①刷新委員会は、文部省から完全に独立する。②文部省は、刷新委員会が提案した政策を実行する。③刷新委員会と文部省、CIEの連絡調整のために「連絡委員会」を設置する--という方針を提示したのである。

「刷新委員会が方針を決定し、文部省はそれに従え」と命じられた田中文相は、「文部大臣が原則について何も決定できないなら、議会での質問に対する答弁も困難だ」と抵抗するが、南原副委員長はCIEの方針に全面的に賛同し、文部省は刷新委員会の下請けに過ぎないことが決定される。

 では、南原氏が指摘しているように、刷新委員会がGHQから干渉されることなく教育改革の方針を作成できたのかと言えば、そうではなかった。

 注目してほしいのは、③の連絡委員会の設置である。日本側の文献では「連絡委員会」と呼ばれるが、英語の原文は「Steering Committee」、直訳すると「舵取り委員会」となる。その狙いを、アメリカのハリー・レイ教授は、《CIEは連絡委員会を通して、教育刷新委員会を米国教育使節団の報告書の枠内で指導し、文部省に教育刷新委員会の提案を受け入れさせることが可能になった。ステアリング・コミッティーは日本語で「舵取り委員会」とも訳される通り、教育刷新委員会の「独立」の陰に隠れて、CIEが日本側をリモート・コントロールする送信機のようなものであった》と説明している(『戦後教育改革通史』明星大学出版部、平成5年)。

 9月24日、第一回舵取り委員会に出席した刷新委員会の大島正徳委員は、3日後の27日に開催された教育刷新委員会第四回総会で、刷新委員会で何を議題とするかはすべて事前に舵取り委員会を通してもらいたいと言われたとして、こう報告している。

 《この委員会は自主的なものであって、我々はこの委員会が決めることは文部省の指令に依るものでなく、又司令部の指令に依ってやるべきものでもなく、全くオートノマス(自律的)にやるべきだが、委員会に正式に議題にする前に、先ずこのステアリング・コミッチー(舵取り委員会)で相談して、これは議題にするが宜いかどうかを考えなければならぬ》(『教育刷新審議会教育刷新審議会会議録 第一巻』岩波書店、1995年)[引用文の( )内は筆者が補足]

 結局のところ刷新委員会は、CIEの許容する範囲内でしか「自主性」を認められなかったわけである。

CIEによる第一の介入は「愛国心」の排除

 戦後の教育改革の主導権を政府・文部省から、リベラル派の進歩的文化人による刷新委員会に握らせ、かつ同委員会を、舵取り委員会を通じて背後からコントロールするという仕組みを構築することに成功したGHQは、いよいよ教育基本法制定に着手することになる。

 教育基本法制定に初めて言及したのは田中耕太郎文相だった(昭和21年6月27日、衆議院)。しかし、それをもって教育基本法制定は日本側の発案だったと断言することはできない。義務教育の無償化や男女平等を謳った日本国憲法の制定に伴い、田中文相の意志とは関係なく、教育関係法規は全面的に書き換えなければならない状況に置かれていたからである。GHQに日本国憲法を押し付けられた段階で、教育基本法を制定せざるを得なかったわけで、真の発案者はGHQと言ってよい。

 文部省は7月18日、省内に「教育調査局」を新設し、教育法の全面改正に向けた準備を開始し、9月27日、刷新委員会第一特別委員会に、文部省の「教育基本法要綱案(9月21日案)」を提出している。

 注目すべきは、この「要綱案」に「愛国心の涵養」という趣旨がなかったことだ。実は明治24年に公布された文部省令の「小学校教則大綱」の第二条には、「尋常小学校ニ於テハ(中略)殊ニ尊王愛国ノ志気ヲ養ハントスルコトヲ努メ」と、愛国心の涵養が明記されていた。

 ところが、GHQは日本占領直後の昭和20年9月10日から、事前検閲という形で言論統制を始めていた。当初はラジオ放送や新聞、雑誌だけだったが、やがて一般国民の手紙や教科書まで検閲の対象となる。21年2月4日には、CIEが教科書検閲の基準を設定し、軍国主義、超国家主義のみならず、「国民的、国家、わが国」といった用語までも削除されるなど、国家そのものが否定されることになった。こうなると、GHQの支配下に置かれていた文部省としても、「愛国心」という言葉を予め削除した要綱案を作らざるを得ない。これを私は、教育基本法に対する、CIEの第一の介入と呼びたい。

 愛国心が欠落した要綱案に異議を唱えた人もいた。刷新委員会第一特別委員会では、天野貞祐一高校長(のち文相)が「ただ自分のために生きるのではなくして、社会国家の為に生きるとか、何かそういうものを入れたいと思う」と主張したが、東京文理科大の務台理作学長(日教組の「教師の倫理綱領」作成に協力)が「個人を犠牲にせず、個人の自由をあくまでも尊重する(中略)そういう精神に教育の理念が基づくべき」と反論、これに社会党の森戸辰男議員(のち文相。日教組と提携)が賛同したため、「国の発展に尽くす」という趣旨は完全に消えることになったのである。

「不当な支配」もCIEが強制

 刷新委員会の日教組派の委員たちによって、愛国心が排除された教育基本法要綱案が固まった段階で、CIEは本格的な介入を開始する。

 11月12日、CIEのジョセフ・トレーナー教育課長補佐は、刷新委員会の事務局を担当していた関口隆克・文部省審議室長を呼び出した。トレーナーは、舵取り委員会つまりGHQの了承なく、文部省が刷新委員会に要綱案を出したことを取り上げ、「文部省が議会に提出する諸法案は、CIEの承認を得なければならない」と詰問、関口室長は「今から、あらゆる問題を舵取り委員会に提出する」と改めて約束する。

 11月14日、関口室長は「9月21日案」の英訳をCIEに提出、密室による本格的な改悪が始まることになる。CIEがまず問題にしたのは、「男女共学」の項目だった。

 11月18日、CIEは男女共学について積極的な言及を行うよう要求、これを受けて関口室長は「男女はお互に敬重し、協力し合わなければならないものであって、両性の特性を考慮しつつ同じ教育が施されなければならないこと」という案を持参するが、CIEは了承せず、文部省案の「両性の特性を考慮しつつ」という文言は削除されてしまう。もし教育基本法に「両性の特性を考慮」という文言が残っていたならば、現在問題となっているジェンダー・フリー教育がこれほど横行することはなかったと思うと、CIEによる第二の介入は大きな禍根を残したといえよう。

 CIEによる第三の介入は、「教育行政」の項目であった。

 11月29日の刷新委員会第13回総会に提出された「要綱案」には、「教育行政は、学問の自由と教育の自主性とを尊重し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならないこと」とあった。刷新委員会はこの表現で合意していたのだが、CIEのトレーナーは「教育の自主性の尊重」という表現を問題視し、修正を要求した。

 文部省に案を作らせても満足できる表現が出てこないことにしびれを切らしたトレーナーは自ら英文で要綱案を作成、12月13日、「教育行政」の項目は「教育は、政治的又は官僚的な支配に服することなく(Education shall not be subject to political or bureaucratic control)、国民に対し独立して責任を負うべきものである」という表現に変えるよう、文部省に通告したのである。その後も、教育行政の表現をめぐってCIEと文部省による密室会議は続き、翌22年1月15日案で「不当に」という言葉が追加され、最終的に現在の表現になったのである。今回の基本法改正でも焦点となった「不当な支配」という表現は、CIEによって強制されたものであったのだ。

「伝統を尊重して」「宗教的情操」も削除

 第四の介入は、「伝統の尊重」の削除である。11月29日の刷新委員会総会に提示された要綱案では、前文に「普遍的にしてしかも個性ゆたかな伝統を尊重して、しかも創造的な、文化をめざす教育が普及徹底されなければならない」と明記されていたが、トレーナーは「伝統を尊重して」という言葉の削除を命じた。当時の通訳が「伝統を尊重するということは、再び封建的な世の中に戻ることを意味する」と述べたからだ、と明星大学の高橋史朗教授とのインタビューでトレーナーはその理由を説明している。

 第五の介入は、「宗教教育」をめぐってであった。前述した11月29日の要綱案では、宗教教育について「宗教的情操のかん養は、教育上これを重視しなければならない。但し官公立の学校は、特定の宗派的教育及び活動をしてはならないこと。」と規定されていた。この表現は、社会党の森戸委員でさえも合意した案であり、宗教的情操の涵養が重要だという認識は、社会主義者も含め当時の日本人の総意であったのである。

 ところが、CIEは「宗教的情操のかん養」を削除し、「社会における宗教生活の意義と宗教に対する寛容の態度は、教育上これを重視しなければならない」というCIE案に差し替えるよう日本側に要求した。しかも「宗教に対する寛容の態度」という表現は、「無神論者に対する寛容を含む」と解釈されることになったため、宗教を敵視する無神論(つまり社会主義、共産主義)を奉じる児童・生徒に配慮して事実上、学校教育において宗教に関する教育はすべて禁止されることになってしまったのである。

 この第四・第五の介入で、伝統的な死生観や慣習を学校教育で教える法的根拠が失われてしまった。

 要するに今回公明党が重視した「教育基本法の基本理念」なるものはすべてGHQ・CIEの密室介入の産物に過ぎないのだ。

自主制定というGHQの偽装を証明する議事録を発見

 この冷厳な事実を日本の立場から証明する史料を今回発見した。CIEが文部省や刷新委員会を背後からコントロールするために設置した舵取り委員会の「日本側議事録」である。

 教育基本法制定の真相を理解するためには、舵取り委員会でのやりとりを知る必要がある。日本側は必ず議事録を残していると思ったのだが、なかなか見つからない。国立国会図書館や首都圏の主要大学図書館などで探し、文部科学省や戦後教育史の専門家にも問い合わせたが、「知らない」という回答であった。調査は3年以上に及んで諦めかけていたが、「教育刷新委員会会議録」の原本を保存している財団法人野間教育研究所の「書庫」でついに見つけた。

 万年筆で書かれたざら紙による、昭和22年1月23日から24年7月28日までの31回分の舵取り委員会議事録のファイルで、『教刷委連絡委員会記録全一冊(ステアリングコミティ)』という表紙がついていた。

 CIEが教育基本法の要綱案に対して介入していた昭和21年後半の議事録はなかったものの、肉筆の生々しい文字から浮かび上がってきたのは、想像通りCIE主導で教育基本法を含む改革が行われていたという現実であった。

 例えば、教育基本法案が大詰めを迎えていた昭和22年1月23日の議事録には、次のようなやり取りが書かれてあった。

 《辻田 通常国会に提出する案は三つあつて(教育基本法、学校教育法、地方教育行政法)今第一が法制局で検討中である。

 トレーナー 教育基本法は今我我も一緒に検討中で未だ確定していないと思うが…。

 辻田 決定したものではなく教育部と平行して法制局にも検討して貰っているのだ。主として字句の問題で、内容にはふれていない》

 文部省の辻田力調査局長が、CIEの了解なく教育基本法要綱の法案化作業を法制局に依頼したことを、トレーナー教育課長補佐から咎められ、うろたえている様子が分かる。
 教育基本法が衆議院本会議に上程された三月十三日の舵取り委員会「議事録」にはこう記されていた。

 《日高 教育基本法と学校教育法のその後の経過を話す。前者は本日議会上程、後者は十五日或いは十六日に議会上程と予想している。非常に困難があったが通過するものと期待している。

 オア 文部省の御骨折りに感謝する》

 この「御骨折りに感謝する」という文字を見た時の衝撃は忘れがたい。なぜCIEが、文部省に対してお礼を言わなければいけないのか。徹底した密室介入によってGHQ製に換骨奪胎した教育基本法案を、日本人が主体的に作った案として国会に上程することに成功したため、思わず本音が出たのだろう。教育基本法が日本人のためではなくGHQのために作られたことを、この一文は物語っているといえよう。

「属国の悲しみ」を克服せよ

 マーク・T・オアCIE教育課長から労いの言葉を直接かけられた文部省の日高第四郎学校局長はこのとき、どのような思いを抱いたのか。調べたところ、日高局長が後にCIEとの折衝について書いた一文に「属国の悲しみ」という表題をつけていることが分かった。

 CIEによって徹底的に改悪され、わが国の教育に大きな悪影響をもたらすことが予想される教育基本法を、日本人自身が作成したと偽って国会において成立させなければならなかった。日高局長が味わった「属国の悲しみ」はその後語り継がれることもなく、忘れ去られてしまっている。

 それは、「日本人によって教育基本法は作られた」かのように偽装したGHQ・CIEを擁護して、「一回も総司令部から指令や強制を受けたことはなかった」と虚言を弄した南原東大総長のような人物が戦後教育の中心にいたからだ。さらに、誤った「教育基本法制定史」を流布したのは、南原氏だけではなかった。今回私が見つけた「舵取り委員会議事録」には複数の人間が閲覧した足跡が残されていたのである。教育基本法に対する疑問が国民の間に芽生えることを避けるためか、敢えてその存在を公開してこなかったふしがあるのだ。

 今回の教育基本法改正にあたって「宗教的情操」や国を愛する「心」を削り、「不当な支配」を残すことに合意した与党幹部たちもある意味、そんな悪質な情報操作の被害者かも知れない。何しろGHQの密室介入の産物を、日本人が守るべき教育理念だとすっかり勘違いしてしまっているのだから。

 しかし、与党幹部たちの誤った「教育基本法制定史」観によって、わが国の教育の歪みが放置されてはたまらない。今からでも遅くはない。正しい「教育基本法制定史」観に基づいて与党案を抜本的に修正すべきだ。

 幸いそのモデルは出来ている。超党派の「教育基本法改正促進委員会」(亀井郁夫委員長)が、わが国の歴史と伝統に立脚し、「愛国心」や「宗教的情操の涵養」、「教育に対する国の責任」などを謳った、日本人のための新教育基本法案を作成している(下村博文編『教育激変』明成社)。

 わが国の根幹を定める教育基本法の改正は、GHQの改悪を克服する方向で成し遂げられるべきである。


えざき・みちお 昭和37年(1962年)東京都生まれ。九州大学文学部卒業。月刊誌『祖国と青年』編集長を経て平成9年から日本会議事務総局に勤務、政策研究を担当。共著に『日韓共鳴二千年史』『再審「南京大虐殺」』『世界がさばく東京裁判』(いずれも明成社)など。

※初出 月刊『正論』2006年6月号、肩書などは当時のまま)

http://ironna.jp/article/1824?p=1

               目覚めよ日本!


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