日々改善

今日の問題を明日に残さない!問題解決を図って行く様をリアルに描写していきます。経営コンサルの視点で物事を見ていきます。

エライ!エライ!じゃないでしょ!!

2008-04-09 | 他人のフリ見て我が身を正す
あるファミリーレストランでの出来事です。
お父さんとお母さんが小さな子供をつれて食事をしていました。

昼下がりのファミレスです。
店内はたくさんの家族連れでごった返しています。
何組もの家族連れが待っている中
少しでも早く食事を終わらせ外に出ようとあせっていたとき
いくつか前方のテーブルでひときわ大きな声が発せられました。

エライ!エライ!○○ちゃんすごいねぇ!
お母さんが大きな声で二歳ほどの我が子に向かって
これ以上の笑顔は無いという程の満面の笑みを向けていました。
お父さんも我が両手にその子の弟か妹を抱えながらニコニコしています。
そう、○○ちゃんが子供用の椅子に靴を履いたまま立ち上がっているのにです。

子供を躾ける筈の親が常識を無くしてしまっています。
周囲の人に対する思いやりを忘れてしまっています。
学校教育が問題ではありません。
問題は家庭の中にあります。

子供は褒められればそれが良いことだと思ってしまいます。
他の人が座る筈の椅子は土足で踏みにじることが良い事だと教えられています。
自分の子供だけを可愛がり、
間違った道徳を教えていく、
一瞬の子育ての間違いが
将来の日本を壊して行く事を忘れないでおきたいものです。

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2 コメント

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本当に、そう思います。 (gao-gao)
2008-04-10 23:40:03
本当に、そう思います。

親の一つ、一つの言葉・態度が糧となって、子供(幼児)は育っていきます。だって、それしか「生きるための糧」がないのだから。

私は人様に褒められるような育児をしているとは思っていません。毎日、誰かしらに怒り散らします。
…怒るのは決していいこととは思いません。

でも、人は「樹」に似ていると思います。
芽が出て、「ちょっと曲がってる」けど「ま、いいや」では、曲がった樹のまま成長してしまいます。
後で矯正するのは大変です。

だから怨まれてもいい、嫌われて、老後捨てられてもいいから、他人の気に障る行為はするなと繰り返し言っています。

小学2年の長男が、昨日の夕飯にアサリ汁を両手でグチャグチャいじりながら食べていました。2度、静かに「やめてね」と、注意しました。でも、手でグチャグチャするのが面白すぎたらしく、忠告を無視。…私は、ぶち切れました。

「面白いのは分かる。一緒に食べている、周りの人が不愉快だ!」

本人は悪気があってしてるわけではないのに、かわいそう…と、背中で思いつつ、真剣に怒りました!!

一時、子供の心に傷をつけるかもしれない、親の怒り。
幼い子なら、なおさらだと思います。
私も、後に4歳と、2歳の娘がいます。
同様に叱ります。(って「怒る」と「叱る」は違いますね)
他人に対して不愉快な思いをさせる行為は、これから先、その子にとってマイナスにしかなりません。

子供ながらに「不条理だ…」「理不尽だ…」って思うと思います。でも、そこから「考える」そして、「学ぶ」ことが始まると思うのです。


だから、みんなが使う、自分の物ではない椅子に対して、親は面倒かもしれないけれど(私は面倒。でも椅子にあがろうとするときは、脱がせました。)、「親業」として、靴を脱がせるべきです。
本当にそう思います。だって、その行為は、イコール「自分さえよければ、後はどうでもいい。」って教えていることになってしまうのですから。
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日々改善 ( gao-gaoさんへ)
2008-04-30 22:35:55
コメントありがとうございます。
私は我が子が小さい頃は、周囲への迷惑を考えてできるだけ子連れでは食事に行きませんでした。
どうしても自宅で作りたくないときは、外で買い物をしたり、ピザなどを取り寄せたりして家族で食事をしたものです。
最近は、自分さえ良ければ・・・という親が増えすぎて、自分達一行だけが楽しければ周囲はどんなに迷惑顔でもどうでも良くなってしまっています。
「人」という文字は、棒に棒が寄りかかる即ち人と人が支え合うという字なんだよ。などという話自体が古臭くなってしまっているのかもしれませんね。
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