上野の報恩寺で「俎板開き」を見学した。
四條流の包丁儀式という作法を見たいから。
10時から始まるというので、ちょっと前に着いた。
普通の寺で、予想外に空いている。
まず、鯉を捌くこの儀式がなぜ寺でなされるのかの説明があった。
結論から言うと、殺生をして生きていかざるをえない人間存在の矛盾、
すなわち”悪人”であることが原点という浄土真宗的認識のため。
包丁人は烏帽子・直垂という正装で、鯉を捌くのだが、
右手に包丁、左手にさえ箸という、いわば両手利き的な操作。
しかも、踊るような滑らかで大胆な動き。
これだけでも、相当な修業が必要。
また儀式であるだけに、所作は統制され、すべてに意味がある。
私は、その所作の細かいところを見たいので、デジカメでずっと動画撮影。
包丁さばきだけでなく、俎板への進退歩行などもチェック。
礼法だけでなく、こういう所作が数百年間も伝承されているのが日本文化の凄さだ。
四條流の包丁儀式という作法を見たいから。
10時から始まるというので、ちょっと前に着いた。
普通の寺で、予想外に空いている。
まず、鯉を捌くこの儀式がなぜ寺でなされるのかの説明があった。
結論から言うと、殺生をして生きていかざるをえない人間存在の矛盾、
すなわち”悪人”であることが原点という浄土真宗的認識のため。
包丁人は烏帽子・直垂という正装で、鯉を捌くのだが、
右手に包丁、左手にさえ箸という、いわば両手利き的な操作。
しかも、踊るような滑らかで大胆な動き。
これだけでも、相当な修業が必要。
また儀式であるだけに、所作は統制され、すべてに意味がある。
私は、その所作の細かいところを見たいので、デジカメでずっと動画撮影。
包丁さばきだけでなく、俎板への進退歩行などもチェック。
礼法だけでなく、こういう所作が数百年間も伝承されているのが日本文化の凄さだ。