■山南ノート(3)☆☆☆演劇航海日誌

劇団夢桟敷♂山南純平の演劇ノートです。2008年は劇団創立30周年。海は荒れているか!面舵一杯。

追い込み

2008年07月27日 | 稽古の日
 
 いつもの事ながら、追い込まれると不思議な力が湧いてくる。
 稽古場は夏の暑さだけが原因ではなく、熱い。だが、笑顔が渦巻く。
 この数日間は気絶するまで眠らない。ばたん!と倒れるまで起きている。意識がある内は公演のことばかり。意識を失うまで演劇ばかり。
 
 昨日今日の稽古では半裸で過ごす。衣装の向キミ子さんから与えられたピンクのブリーフをはいて気持ちよくポーズを決める。後から気付いたのだが横から干し柿のようなものがはみ出ていた。大きいものではない。だが、危険物である。考え一つで犯罪になる。こりゃいかん!反省します。

「愛」と「情」のエロス

2008年07月25日 | 稽古の日
 熊本県庁でパスポートの申請をする。いつでもどこでも「見切り発車」人生です。カッコつければ冒険です。とにかく、8月の末には数名でブラジル公演を実現させる為の下見に行くことになる。

 役作りのためのメモ

 忘れられた女
 「今じゃ、あたしのベッドも洗面器も疫病にかかって赤いまだらにさびついています。あたしは夜逃げの健康女。そう、自分の捨て場を探す血迷い女です。・・・あたしの惚れた男は疫病を患って死にました。あたしはついて行きたかった。真実一路の赤まだら。せめて世間並みになるために、疫病にかかりたいと、狂犬病を抱いて寝た。死人のツバも飲みました。疫病患者の髪の毛を食べ、肌を切って疫病の血を注ぎ込みました。でも、だめでした。視力2.0。握力は人の2倍、食欲性欲は荷役の馬なみ。走っても息切れせず、ますます元気になるばかり・・・。あたしは疫病にまで見捨てられた女です。お救い下さい。どうかこの肌に、百万粒の赤まだらを下さいまし。」
 この台詞にはエロスがある。「愛」では物足りない「情」がある。

 肥後の女(“火の国の女”とも言われています。)がこの台詞を吐くと、劇が演歌のようになります。元来、演歌は好きではありませんが劇に演歌が重なってしまうと感動的になるのは何故か。胸を張って言おう。それは夢桟敷が熊本の劇団だからだ。染みてきているのである。

死ぬ前に歯を磨きましょう。

2008年07月24日 | 稽古の日
 公演まで、あと9日。
 この場に及んで「寝る前に歯を磨きましょう。」と言う箇所に「死ぬ前に!」変えたらどうだろうか!と思いついた。死化粧はあるが、死ぬ前に歯を磨く人はいない。完全な死体とは?・・・寺山修司は常に「完全な死」を思い巡らせていたのではないだろうか。生きている内は「完全」はない。あるとするならば不完全な「生」である。不完全だから面白い。不完全は飽きない。完全を求めて倒れる人々がいる。窮屈になって息苦しくなって倒れる。
 クオリティーの高い芝居をやろう!と耳にすることがある。良い芝居とは何だろうか。・・・劇はそんな窮屈なものではない、と確信する。鑑賞するものでもない。ここにはLIVEでしか現すことができない驚きがあるばかり。驚きが感動に変わる。生きていることが不完全であることに気付く感動。悩んでいる人の笑顔には奥行があるのと同じ。悩んでいる人が悩んだ顔をしていては浅い。そんな劇を見ると下痢になる。つまり、腹が痛くなる。受け付けない体になってしまった。
 「死ぬ前に歯を磨きましょう。」・・・! 今日になってたどり着いたギャグ説である。
 もう一つのギャグ説はわたしの名前は病気です。
 本を読んでいるだけでは気付かないギャグ説を役者の肉声と表情で、一瞬にして気付かせてもらうことがある。役者の仕事を侮ることはできない。
 
 
 さてさて、この写真の二名様に心当たりがある人はビタミンをプレゼントします。
 ヒントは劇団笠戸丸に関係あり。・・・前途有望の四文字が似合う女子男子。
 今日は企画確認の打ち合わせをする。やるぞ、ブラジル公演!

大日本帝国陸軍野戦病院

2008年07月23日 | 稽古の日
 午後(昼食時)~ユニット劇団笠戸丸ブラジル公演について打ち合わせをする(映像制作会社M氏とクドシンと私)。時間があれば「阿蘇の温泉で会議をしたかったですね。」と約束する。・・・その後、稽古場(武蔵ヶ丘教会)へ!

 「疫病~」公演まで後10日です。 
 話は意外な所へ展開します。それがテラヤマ劇の計算通りの迷宮だ。



 ここはヘルスセンターか?元陸軍病院か。・・・どちらでもない虚構の場所である。本当のことは!細菌兵器工場か???
 俳優一人ひとりの個性が炙(あぶ)り出されてきた。登場人物たちは怪人百面相。日々、解体と構築の猛練習決行中です。

わたしはあなたの病気です。

2008年07月22日 | 稽古の日
 暑い!熱中症で死人も出ている。・・・先日、親戚の叔母もこの暑さが影響したのか、亡くなった。私の叔父叔母は80代~90代の為、この数年葬式が続いている。生き残りが少なくなった。街で老人を見かけると親や親戚の面影を感じる。

 公演まで11日。モノローグ(独白)を数箇所、付け加える。ここに「影のオドリのためのレクイエム」を入れようか。
 
 若手演出家(咲希ー村上ー幸太)トリオ。集団による演出のためにパートの分担による三部構成のつもりで取り掛かったが、結果、一本にまとまる。誰が何処の担当という訳ではない。マニュアルなし!
 
 <演出の特徴>
 ■坂本咲希/色の主張。
 ■村上精一/活字の隙間。
 ■田中幸太/リズム
 
 三人はうまく溶け合ったのではないだろうか。そもそも集団による演出には困難があるものだが、その困難を前提に走り出すと強くなる。無政府主義である。
 
 ここには演劇のビョーキがいる。(注:私のこと?)
 ビョーキと仲良く付き合うか、戦うか、それは自由。演劇のビョーキになることが演出の仕事だと思っている。演劇は感染する。公演は発表会ではない。最終的にはお客さんを感染させること。自らに毒を少量ずつ入れ込んで抵抗力をもっていた方が良い。純粋培養された毒気の無い「小劇場」なんてつまらないものだと思うのである。・・・一味違うメッセージは「わたしはあなたの病気です。」これがキーワードである。

稽古漬け(3)

2008年07月21日 | 稽古の日
 劇団笠戸丸ブラジル公演に向けて午前中会議(報告:妄想と思われていたことが現実になってくる。若い集団的なパワーが問われる。協力者の力に支えられる。ネットワークの重要さを痛感。日本みどりの会の清田氏と卓さんの乗馬クラブへ行く。ここは南阿蘇俵山に風が爽やかなところ。ブラジル公演制作委員会を立ち上げることに!!)・・・8月末はサントス市へ下見に行くことになった。
 「疫病流行記」(8月)~「夢の下張り」(11月)公演とブラジル公演(12月)の制作が同時に進行していく。30年目の演劇。まだ、息は切れていない。午後1時からの稽古の為、スイッチをテラヤマに切り替える。だが、どれもこれも連動していることに気付く。同じだ。
 
 ←三度問う、この人は誰なんだ?
 強化稽古・その3日目

 
 衣装部の向キミ子さんが衣装・メイク(頭のデザインなど)を点検する。面白くなる。この劇は改めて集団力だと確認する。ここには面白い人々が集まって来る。個性的な者ばかり。写真(右)はERIちゃんです。今回は受付とビデオ記録を手伝ってくれることになっている。第三期の劇団員。照明は馬場君。彼とは「子どもネットワーク」からの知り合いである。田中幸太の友。

 この三日間、長時間(8時間以上)による集中強化稽古となった。名付けて「稽古漬け」。公演まで12日である。程よく発酵した頃が食べ時ということ。
 稽古終了(夜の9時半)後、座長が缶ビールを買ってくれる。これまで座長のことを「鬼」だと思っていたが、これからは「ホトケの座長」と思うことにした。

稽古漬け(2)

2008年07月20日 | 稽古の日
 エロチックな場面に手こずっている。そこで「セクシーに!」と投げかけたら・・・おぉぉお!頭の先から花火があがった。
 ←再び、この人は誰なんだ?
 強化稽古・その2日目

 昼からだるいだるい。これは暑さの所為。一時間百円の冷房を使いっぱなし。今日は吉野スタジオ裏にある沖畑公民館での稽古だった。咲希のダンス振り付けで汗を流す。なかなか面白いものになった。名づけて「フライダンス」。ラストの場をあたる。おっと、口が滑りそうになる。
 今日の訪問者は田中ファミリーとyuiちゃん。田中ファミリーは途中で阿蘇のキャンプに消える。皆でついて行きたいところ、稽古大切。あ~!yuiちゃんに包帯を巻くのを忘れた。明日は強引に「通し!」に入るか。
 あと13日。両手の指では数えられない。足の指を三本加えて数える。

稽古漬け(1)

2008年07月19日 | 稽古の日
 夏公演の本番前は南阿蘇での合宿(二泊三日)が恒例になっていた時期があった。この数年の夏は福岡ー大阪ー名古屋の旅公演の為に稽古での合宿はしなくなった。今年は久しぶりにやろうか!案もでていたが、時間と費用の面から没。通常3時間~4時間の稽古時間を連続3日間8時間以上するということで合理化した。
  この人は誰?
 強化稽古・その1日目

 武蔵ヶ丘教会pm1:00からの予定が咲希、幸太と私の三人は宣伝チラシ配布の為に1時間遅れて到着する。今日は真夏日。体感温度は体温よりも高い。稽古場は冷房を<強>にする。長時間の稽古の時は集中力との勝負である。劇団員たちとは家族同様、気を抜くと馴れ合いが生じることがある。川は低い所へ流れるが、志は高いところへ!・・・稽古終了は夜の9時をまわっていた。考えてみれば、水分補給はしたものの食事抜きの稽古である。帰りにレストランに寄って自宅に帰り着いたのが11時過ぎだった。合宿だったら夜は宴会になるところであるが、腹が減り過ぎて和食セットと親子丼を食べる。ノンアルコール!
 やらなければならないことが山積みされている。この公演作業とは別の企画準備である。ところが、疲労の為にダウンする。暑い一日目は終わった。
 明日の二日目は<構成>の点検からする。会場は沖畑公民館.pm1:00-9:00の予定。終わったら一杯やっか。

ギアチェンジ!

2008年07月18日 | 稽古の日
 ニュートラルではない。歯車の回転速度があがる。 

 am10-pm12<熊本県城南町・火の君総合文化センター>ブラジル移民100周年記念式典へ行く。(劇団笠戸丸メンバーとして、田中瞳/田中幸太/村上精一/夢現/山南・・・日本みどりの会、清田さん、大島さん、三井さんたちと久々に会う。・・・「オブリガータ(ありがとう)笠戸丸」井上祐見さんの歌に酔う。記念講演「ブラジルの大地に生きて」藤崎康夫さん(ニッケイ新聞東京支社長)の 「笠戸丸はいつ日本に連れて帰ってくれるか」のおばあさんの話に熱くなる。
 関係者の皆様と昼食を食べながらブラジル公演に向けて決意が固まっていくばかり!8月末には下見に行くと約束する。

 午後より次回公演会場である同仁堂スタジオライフの下村さんと打ち合わせをする。問題点も発覚するが具体化してきた。公演まで15日である。各人のギアチェンジが見えてきた。スピードアップしている。
 私と卓さんは夜のブラジル交流会の為に稽古を欠席するが、残りのメンバーは明日から三日間(~21日)で仕上げるメドを立てる為の段取りに入った。

 ■6月18日の夜。ショータイムに出演したギャラリー武智で交流会をする。一ヶ月ぶりだ。
 赤シャツの超大物(日本では歴史的美術家!!)先生から、「わたしの作品を売りさばいてブラジル行きの資金にして良い。」と言われる。
 みんみんが「実はわたし、山南さんの隠し子だったのです。」と自己紹介してから、その先生は深く感動してくれる。
 
 劇団員全員で参加できたら良かったのだが本番が近くなっているために、美味しいものを後回しにしてもらった。
 pm10:30帰宅。・・・夜遊びをする体力が落ちていることに気付く。今、健康には気を配っておりマッスル。

南十字星の家族

2008年07月17日 | 稽古の日
 釘だらけの食卓について
 無邪気に釘を何本も打ち込んでいる少女がいる。疫病にかかった少女。
 食卓には、釘だらけになった靴。釘だらけになった時計。五寸釘で封頁された書物。
 釘を打ち込んだパンを食べ始める少女。少女は上機嫌だ。
 断片的な肖像である。・・・この断片が次へつながるとどうなるか。あと一歩で宇宙の暗黒へ。

 それにしても稽古前の集中豪雨はすごかった。稽古場に、みんな、ずぶ濡れになってやって来た。少女の石崎優香ちゃんは風呂上りのようにやって来た。近くで雷が落ちた。へらへら笑って村上精一が来る。焦げ臭い田中幸太が来る。今日の稽古でこの三人が登場する「肖像」が見えてきた。
 あと16日ある。急激に世界が広がっていく。

演出会議(2)

2008年07月16日 | 稽古の日
 ■1.今日から8月公演「疫病~」の稽古は休みなしの連日になる。あと17日。これよりカウントダウン!!
 ■2.劇団笠戸丸(ユニット)の12月ブラジル公演に向けての制作面でもカウントダウンである。何とか8月中にはメドを立てたい。
 ■3.劇団創立30年企画、11月公演に向けての計画も急ぐ!!30年前に上演した「四畳半夢の下張り~梅川の死のような微笑み」の改定。この「30周年」に伴い「小劇場史」の編集にも取り掛かる。

 とにかく目が回ってふらふらする。青汁を飲んでいなければ血管が破裂して死にそうだ。只今、ビタミン依存症である。

 エロチックな7分間。
 全体の流れが見えてはきたが、エロチックな場面が希薄なような気がする。このエロおやじメ!テキストを眺めて解釈している限りはエロチックである。だが、形になっていかないのはどうしてだろうか。エロおやじとしては、「エロチックな7分間」を工作中である。あと17日。時間はある。ある者にとっては「退廃」と思われがちな<エロス>に挑戦する。男はどうでも良い!女性陣よ、「セクハラ!」と思ったら直ちに反撃してください。私の視野は7分間のエロチックに狭まれているのだから・・・。

小劇場史(47)

2008年07月15日 | 小劇場30年
★劇団夢桟敷<小劇場30年>を振り返って連載中です。ここでは走り書きのつもりで書いております。何度か書き直して整理してみようと計画中です。
 尚、不定期で気ままに掲載します。流れがつかめない場合はココをご覧下さい。

 小劇場の変化

 いつの頃からか、「小劇場」が大衆化していた。それに気付き始めたのは熊本に帰って来た1980年代半ばではなかっただろうか。・・・<第二期>
 私たち夢桟敷のことも怪しげな集団だとは思われなくなっていた。いわゆる「アングラ」も風化したのか、死語のようでもあった。何をやってもチヤホヤされた時期がある。簡単に「芸術」だと思われたらしい。あるいは演劇をコマーシャルに利用できるものだと捉えられるようにもなっていた。1980年代である。
 さほど中身を変えた訳でもなく、気付けば「小劇場」と「商業演劇」の境界線が曖昧になって来たのである。一方、「アングラ劇」の「新劇」への里帰りと呼ばれるようにもなっていた。それが、1980年代の演劇だった。演劇の現場で囁かれていたのは「何も無い時代」とも言われていた。つまり「演劇では何も起こらない。」悲観的な様相もあった。負のエネルギーを感じていた。世にはその反対側を負のエネルギーと感じている者たちの方が圧倒的に多かったのだ。反対側の前衛やアングラ劇、アバンギャルドは海外へと流れていた。逆輸入現象が起こり、大衆化の反対側は権威ともなっていく。国内の「小劇場」=大衆化は元祖「小劇場」の権威と両極のようにも見えた。それが1980年代「小劇場」の二極化だった。
 
 劇団はメジャーへの登竜門として位置づけられるようになると個性が平均化していくようになる。この熊本でも「タレント養成所」と呼ばれるものがある。劇団の養成所化やテレビタレント(芸能)を目指す俳優志望者も潜在的には増えてきた。しかし、それが演劇への活性化につながって行かないのは何故だろうか。詰まるところ、演劇が商品として売れなければ意味がないからである。ここには文化の発想とは根本的に異なる。文化は演劇を商品化して利潤を追求する方向とは対立することがあるからである。結果として利潤が生み出される。利潤が目的とならない計算外が文化の力だ。ちなみに、劇団夢桟敷が原点としているものは文化とも呼ばれない風俗だったのである。つまり、サブカルチャー。文化への補完。主流や本流なるものへの抵抗感があった。大衆化や権威に無関心であった。
 
 芸術論や文化論とは無縁な集団であり続けている。これについては他人様が考えてくれている。他人様とは観客でもある。特にリピータが言う「文化・芸術」は自由だ。この集団のやっていることの意味を考えてくれている人たちがいる。自分のことのように賛同してくれている人たちもいる。大きな支えになってきた。義理やリップサービスで近づいているのではなく、熊本に異風を吹かせたい少数派だと思う。演劇人よりもミュージシャン、美術家、市民運動家が周りに集まっていた。
 「小劇場」が新劇や商業化の波を送り出している時に、夢桟敷は異種共同作業に入って行った。ある意味では演劇界とは疎遠な時期を送ることになった。これが<第二期>の特徴であり、客観的に「小劇場の変化」を見ていたのである。つまり、情報としての演劇やタレント育成としての芸能界やメジャーとしての下請け的な活動を離脱していたのである。まるで「小劇場」の変化を内部で体現していたような関係のようでもあった。

 日本の「小劇場」は第一世代の寺山/唐の時代から一歩前へ出ようともがいていたのだった。その原動力になったのが、流山児さん、つかさん、山崎哲さん、いわゆる第二世代と呼ばれる劇作家や演出家たちの第三世代への北村想、野田秀樹への影響力があったのだと思う。

 ■ヨゼフKと本田浩隆 
 この1980年代半ばの時期に、本田浩隆が入団してきた。彼も世代としてはタレント志向が強かったように思う。まさにバブル経済真っ最中である。美男子はジャニーズ事務所を思わせた。ダンスの振り付けは彼=本田がやるようになった。暗黒舞踏とモダンダンスがかけ合わされて行く。ステップを踏む、飛跳ねる。
 この時期は小本浩一(スター)とたちばななつき(アイドル)が抜けた頃でもあった。恐ろしい顔?風格をしたヨゼフKと姉御の佐藤めぐみが主要な若手で、彼らと組み合わされる。性格的には水と油のような関係であった。もう一人、本田君と同級生だった家近という俳優がいた。この水(本田)と油(ヨゼフ)の間に夢現が主演としてドカーンと立っていたのである。
 ヨゼフKと本田浩隆の接点とは何だったのだろうか。まるで筋が違っていた。このミスマッチが面白かった。ミスマッチは夢現が接着していた。まるで、台頭する大衆化「小劇場」と前衛化「小劇場」の振り子のような関係でもあった。

 ■造形作家・山本てつお
 1980年代半ば<第二期>では彼の存在は夢桟敷の<空間>としては必要不可欠なものとなった。単なる舞台美術ではなかった。美術の表現が演劇に大きな影響を与えていた。つまり、彼の作品が夢桟敷の演劇と重なったのである。彼との共同作業を通じて、演劇=美術だとも思えるようになる。あくまでも集団としての表現として美術作品は演劇と関わることによって「動の世界」へ変化することがわかった。これが、劇団の活動として美術展へ参加していく契機にもなった。

 社会的に「小劇場」が大衆化・権威化されている時に、夢桟敷はコラボレーションとパフォーマンスに走っていたことになる。時代は「思想の進化」から「イメージの進化」へ表現世界が要求されていたのだった。哲学的な観念の固さから視覚的な形の柔らかさへ流れる。
 映像と舞台のコラボレーションの可能性は!
 俳優たちが「小劇場」からテレビへ進出している時期に、舞台へ映像を取り込もうと発想していた。演劇を作る勢いを映像へも傾けることとなる。
 「アンドロイド伝説」他、光るオブジェ、照明効果としての映像などの実験を舞台で展開する。

蛇女

2008年07月14日 | はぐれ雲
 「見世物小屋の蛇女」のyoutubeです。→コレをクリック!!(注)生きた蛇を食べる場面があります。気持ちが悪くなる人もあると思いますので、そういう人は絶対に見ないで下さい。「絶対に見ないで!」と言うと絶対に見たくなる人がいますね。責任はとりかねます。
 ■
 次回公演のチラシを配っていると「怖い!」と言われることがあります。イヤイヤ、上の動画に比べるとアートです。つまり、怖い=美しい!です。そろそろ、劇も仕上げに入る頃になりました。美しい「見世物小屋」へ!揺るがせ「小劇場」
 
 この動画は先日、大阪のcoさんから贈られてきたものです。思わず、出演者が坂本咲希ではないかと皆で大笑い!(本人も笑う。)・・・そこでmixi日記で紹介すると。

 >僕は見世物小屋の雰囲気大好きです。この女性の方凄いですね(笑
 >見世物小屋は子どもにとっては見てはならぬ、怪しいところでした。私は子どもの頃、「轆轤首の女」を見た記憶があります。ドキドキして心臓が壊れて死ぬかと思いました。
 >飲み込むだけかと思っていたら、本当に食べるんですね(^^;ヘビは嫌いじゃないので、ヘビにちょっと同情(笑)
 >「親の因果が子に報い・・・~」なんて口上で呼び込みをやっていました。包帯を巻いた少女が椅子に座っていました。その子は万華鏡を売っていました。
 >キャー!関係者ですか?
 >村の祭っぽくていい雰囲気ですね。こんなんもっとやってほしいですね。お兄さんの口上が、軽い!
 >二度目をみました。少し慣れました。最初はびっくりしましたよ。

 などなど。。。坂本咲希ではありません。
 それにしても「怖いもの見たさ」とは人間の心理をうまくついています。好奇心がなくなるとダメですね。「見るな!」と言われるとますます見たくなるのが世の常、人の常。「饅頭怖い」も同じこと。
 ところで「青汁は飲むな!」・・・先日、大ちゃんから贈られてきた「青汁」を飲むようになって体の調子良い。頭が軽くなった。血管に詰まっていた毒が体内から流されてしまったようだ。血管が元気になった。暫くは脳梗塞で死なないと思う。残念だね。不健康が好きな人は青汁を飲まないことだ。

演出会議(1)

2008年07月13日 | 稽古の日
 稽古が終わって「演出会議」になる。ナカミを書くとネタバレになる。お~!早く本番を迎えたいものだ。・・・一度、7月21日までに仕上げて、又、壊しては組み立てられる。その作業の回転速度が高まるエクスタシー!これがいいね。 解体と構築だ!「テラヤマイズム」の影踏みを楽しもう。
 pm9:30-am2:30(事務所にて。)  

紐(ひも)学

2008年07月12日 | 稽古の日
 ヒモ。「疫病~」では重要なキーワードになる。これは「6.暗夜風癩」で見せることとなる。イメージは稽古場で具体化されていく。あやつりの糸。首吊りのロープ。犬の首輪につながれている鎖。道具は雄弁である。劇団員たちは俳優であり、ヒモの専門家にもなる可能性を秘めている。
 鞭(ムチ)でもある。使い方によって鞭は快楽の道具にもなってしまう。つまり変態の道具だ。楽しく遊べるか、SM愛好者。あくまでも演劇だから日常生活に持ち込まない方が良いだろう。ノーマルでは通用しなくなるからだ。・・・声をひそめて言おう。「私はMだ。」あ~、天井から逆さまになって吊られたい。鞭の美女からパチン!と打たれたい。「これでもか!これでもか!」「もっと、もっと」である。良い子は覗くがよい。だが、決して真似はしないように。危険だからだ。劇の<説明>ではない。SM。<説明>は嫌いだ。