山南ノート4【劇団夢桟敷】

山南ノート4冊目(2008.10.3~)
劇団夢桟敷の活動や個人のことなどのメモとして公開中。

TOKIO報告(1)

2014-12-13 18:37:39 | 透明人間三部作-2014-2015
劇団夢桟敷No.65
透明人間3部作第2弾
「火の君、鳥の物語」TOKIO公演

2014年12月6日(土)-7日(日)◎スペース早稲田

TOKIO公演、無事に終了致しました。
「無事に!」は阿蘇中岳の大爆発により公演中止や日本中が天変地異、政変で交通機関の麻痺と大暴動が勃発しなかったことです。
何が起こってもおかしくない混沌とした時代です。混沌から劇は生まれる。劇も混沌としたものになった。そのまんま「演劇の変」を表した。

今年(2014)は劇団を結成して35年。結成した場所がTOKIO早稲田で旧名ブラックホール。
その早稲田で30年ぶりとなった東京公演が実現できました。しかも、流山児★事務所のスタジオで!私たちにとっては絶好の場所となりました。
ある意味、夢桟敷にとっては恩人の劇団であり大きな影響を受けているからです。

いわゆる「里帰り」?
いえいえ、そうではありません。35年の演劇漂流の途中であります。
演劇の渦に巻き込まれ、何かにしがみついてきた。その何か?は「ポストアングラ」だった。
1960年代に登場したアングラ劇を知らない世代と劇を送り出しています。その世代をTOKIOに連れて来て熊本に持ち帰り、次に繋げる魂胆があった。
魂胆とはポストアングラを若い世代へ受け継ぐこと。どうしても、この場所、ここの人たちとの繋がりを持ちたいと思っていた。

12月4日(木)、熊本から早稲田に到着すると客席や舞台はほぼ完成されていた。図面通りに照明器も吊るされており、経験が浅い舞台監督のタロー君はイワヲさん(流山児★事務所の舞台監督)の仕事ぶりに大きな刺激を受けていた。
現場でしか伝わらないものがある。貴重な体験をしたのだった。机上のスタッフワークショップとは大違いだった。

その日は予定よりも早く稽古に入れた。夕食を取るのも忘れて、気づくと夜8時を過ぎていた。
慌てて晩飯、入浴に行く。このひと時に旅を感じる貴重な時間だ。この日に禁酒を解禁した。禁欲に区切りをつけた。
旅公演は劇場と居酒屋くらいしか記憶に残らない。
夜の早稲田を歩いていると30年前までのこの町が蘇ってきた。今はなくなっているが、地下鉄駅の角にオリエントやルナの喫茶店があった。稽古が終わってコーヒーを飲みに行くと早稲田の学生演劇の連中もいてミーティングをしていた。早稲田の括りで仲間意識が高まったのだった。
その頃に比べると早稲田が高齢化したようにも思えた。気のせいかなぁ?
学生相手のボロアパートも見えない。高級なマンションが並んでいる。

あくる日12月5日(金)の昼には仮面工房の賀久さん、豪さんが合流して来た。リハーサルを2回繰り返すことができた。大きなダメ出しはなかったが、熊本で稽古していた時の方が異様に見えるのだった。全体的に力が抜けて見えた。力を温存しているのだろうと思い、注意はしなかった。現場では役者が自分でペースを作り本番体制に向かう。萎縮は禁物である。
久しぶりに私も緊張した仕込み時間だった。あの人この人が見に来られると思うと、石を投げつけられるのではないかという恐怖があった。
熊本の田舎モンが!ばかたれがー!甘い!まじめにやれー。罵声が飛び交うものだと思っていた。
最悪を想定して舞台に石を並べることは辞めた。流行語の集団的自衛権ではない。武器になるものは危険だ。トキオは恐ろしいところだと信じていたのである。
(つづく)